時代を映し出してきた番組プロデューサー丸山氏の視点 変わりゆく社会構造の中で 「関係性」を再考/更新し続けるということ【後篇】

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VEIL SHIBUYAは、渋谷二丁目再開発プロジェクトの一環としてアカデミア・ビジネス・アートなど分野・業種を越えて活躍する人々叡智を社会に還元するプラットフォームを目指している。そのために、異分野をつなぐための場づくりや仕掛けづくり、そしてVEILの価値づくりのあり方について、日々模索を続けている。今回はNHKBSプレミアムで放送されている『世界サブカルチャー史 欲望の系譜』をはじめ、経済教養ドキュメンタリーとして話題になった『欲望の資本主義』シリーズなど数多くの番組をプロデュースしてきた丸山俊一氏のインタビューが実現した。前編では、番組づくりで大切にしてきた視点を振り返りながら、領域横断的・融合的なインキュベーションを推進していくためのヒントを頂く。さらに、後編では番組づくりと都市空間づくりの共通点を探索する。

☞【前篇】はこちらから

他者とのつながりの中で見えてくる気づき

――丸山さんの番組をいろいろ見ていると、自分が常識だと思っている流れとは違うような仕掛けが存在することによって僕の中で思考が始まるんです。僕自身も企業の課題などに向き合う中で、問いのリデザインを試みますが、受け手側が問いはこれで合っていると思っているときに、「待てよ?」と思わせることが結構難しいんです。

皆さん自身の中にいつの間にか生まれているバイアス、自身で作りあげてしまっている固定化したものの見方から、少し抜け出てみる可能性に気づいてもらうことが大切なように思います。半歩身をズラしてみたり、自らがものを見ているフレームを相対化してみたりすることで、他者のまなざしの可能性にも気づくことです。同じものを見ていても、全く異なる見え方をしている人の存在、その視点に気が付くことが素朴な初めの一歩ではないでしょうか。そうした発見につながるような誘い、問いを共有する精神は大切にしています。

先の「社会」と「個人」の話でも、最近は、ネットワークの中でのさまざまな関係性の可能性を無意識に閉ざしてしまったままで、大事なのは社会だ、いややっぱり個だ、と、極端から極端へと振れる意見が溢れることが多いように思えます。どうしても、自分のフレームの中で納得したい、早く「正解」が欲しいと思ってしまうからなのでしょうか。他者との様々な関係性を想像してみる余裕が無くなっているのかもしれませんね。社会は、メッシュ状のネットワークで、一人一人は、関係性の網の目の結節点にあるとイメージしてみた方が自由になれると思うんです。結節点として独立しているけれども、当然関わる人と人の関係性で違う顔も生まれる、と。もっとそこをフラットに考え、様々な顔を生む可能性に気づけた方が、社会と個人の間で身動きが取れなくなるところからも解放されると思います。

――まさに番組づくりと都市空間のつくり方で似ている点ですね。ハブとなるポイント、ネットワーク上のものの中に人間がいるときに、ハブとしての個人として自分が何者なのかということを内省するという面と、周りにいる他の存在とつながっていくという面がありますよね。

例えば6歳の子どもなら、フラットで様々な事象に興味をもちますよね。そのくらいの頃には誰もが持っていたような、この世界に様々な事柄に初めて触れたときのような伸びやかな可能性というか、柔らかなまだ固まらない精神を蘇らせ、それを活かせれば、その人の思考が生き生きと展開して、周りとつながっていくんだろうなと良く思うんです。そんなに言語化して順序だてて考えているわけではないのですが、そうしたベースとなる人と人の関係をどう築くか、いつも意識しています。

当然ですが、どなたにも豊かな個々別々の創造性の形があります。それは、意識して共有しましょうというよりは、むしろ、子供に帰るような感覚を呼び覚ますということの方が大事に思います。実は、もしかしたら、そのほうが難しいのかもしれませんけれども。社会のほうがいろいろと鎧を作って、誰もが6歳の頃には持っていた瑞々しさを人々に失わせているとするならば、その鎧を取ってもう一回その柔らかな可能性を蘇らせることができれば…、そうしたきっかけを、映像を通してみなさんと一緒に体験できれば、僕のような仕事の意味もそこにあるのではないかと思っています。

日本特有の「変換」というエネルギー

――もちろん答えを決めてはいけない、誘導してはいけないんですが、答えを与えて欲しいと思っている人に対して、「自分で考えて、自分の中に答えを生み出そうとする」ことへの行動変容はどうやって促すことができるのでしょうか。

大学でも学生たちと一緒に、戦後のサブカルチャー、社会風俗の変容を通してこの国の形を考えようという講義を始めるときに、僕は日本のことを考える度にf(x)という関数を思い出すんだという話をするんですね。弓型の日本の国土の形もf(x)に似ているわけですが、欧米はじめ海外の様々な国々の概念がxとして入ってくると、なんでもそれを変換して、思わぬアウトプットを生む国、それが日本だとしたら、どうなんだろう?その変換の仕方自体が海外から興味を持たれているとしたら、そして、それが日本のサブカルチャーの一つの特徴だとしたら…、というわけです。この式は複雑で本当にどのように構成されているかよくわからないブラックボックスなのだけれども、思いもかけない変換で、不思議なものを生み出してくる…その変換のありよう自体が日本の文化風土だとしたら。「問い」はどんどん深まっていきます。

ちなみに、フランスの精神分析家のラカンも、かつて「日本人は漢字とカタカナとひらがなを使い分けるがゆえに、精神分析の必要がない」と言ったという話があります。つまり中国から中国語という文字が入ってきても、漢字という日本流の文化にアレンジし、それからひらがなやカタカナまで作ってしまう、というわけで、外来の概念を無意識にまで忍び込ませてしまう抑圧を巧みに回避してしまう、それが、結果的に変換力としても現れているという解釈もできるわけです。

日本の風土に「変換力」が一つの特徴としてあるのだとすれば、あまりオリジナリティなどにこだわろうとしなくても、それはそれで面白い、すごいことだと思ってもいいはずです。そして、その変換文化が高度化した背景についても仮説を立てて考えてみたらどうでしょうか?政治、経済、文化といった側面から見たときに、日本社会は、よく言われるように西欧的「市民社会」が確立できなかったからということなのか、良くも悪くも、異物の他者性をなし崩し的に解釈、換骨奪胎してしまう風土が日本には存在するからなのか…、この曖昧さとも、融通無碍さとも表現できる状況には、いろいろな解釈ができるのかもしれません。いずれにせよ、この国のなんでも変換、変形してしまうパワーを認識して、その力自体の本質を考えてみるのは面白いんじゃないかという話から始めるわけです。こうして、この場合ならf(x)ということになりますが、一つのものを見る装置としての記号、概念を、コロンブスの卵のようにボンと置いてみることで、そこに生まれる思考と対話があると思うんですね。

――都市構造を見てもヨーロッパの街は秩序を形に、理路整然としているのに対し、渋谷を見てみると、内と外や産業と文化がぐちゃっとなって、色んなところが癒着して切り離せないような状態になっている特性があると思うんです。そうなっているところがf(x)の公式になっているからこそ、ここ渋谷の街にポンと投げたら、とんでもないものが生まれてきたりしたわけですよね。

以前、渋谷の外れにしばらく住んでいたことがありまして、表のきらびやかさ、ポップさだけではなく、裏側から見た渋谷は様々なノイズ、猥雑さをはらんだシュールな光景がいっぱいあって、ある種のミステリー空間だと改めて思ったんですよね。会社までの通勤路だけでも、歩いて行くと様々な断層を抜けていくようなイメージが湧くんです。新旧の組み合わせ、折衷、異種配合が生まれて不思議な味わいある、ミスマッチも含めた秩序が生まれていて、そういう風に都市を捉えたら、少し風通しがよくなって面白い気がしますね。またこれも、関係性のネットワークの中で見てみると、結果的には先進性というか、ある種、欧米的な構築の中では考えつかないようなものができるのかもしれません。

――ディープラーニングの世界にも共通点があると思っていて、誰かが意図的に設計をしているというよりは、中にある要素たちがお互いに自己参照しながら、勝手に変化していっている中で得体のしれないものが出来上がっていますよね。魅力的な都市にもそういう側面があると思います。全体にこだわりすぎず、要素の間の関係性をいじることで、場所が変容していくような…。思いがけない出会いや、掛け合わせを生み出す都市のエンジンがあったら、まちづくりのあり方が変わりそうだなと思いました。

フランスの文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースの思想に、「ブリコラージュ」という概念がありますよね。要は、目的が定かではない手作業から生まれる可能性です。無心で粘土をこねているうちに何かの形を生んでいくように、使い道がよくわからない素材と戯れているうちに、思いがけない形、使い道を発見する喜び、その過程に彼は注目したわけです。

頭で、観念でつくっていくと、結果的に面白くなくなっていくことってありますよね。それこそ今のAI、ディープランニングなどの可能性も、目的意識から一度自由になる可能性の発見、すべてを生成の過程と捉えるセンスの目覚めとも解釈できます。「主体性の罠」みたいなものからどうずれていくのか、一元的な構築の発想からどう抜け出して、風通しの良い、呼吸するような自然成長性が生まれたら、それも大事な創造の一要素なのかもしれません。構築の精神と遊び心との狭間にある探究は終わりませんね。

Interview:Masato Takahashi(Any.inc)

Edit,Text:Yuko Fujimoto

Photographs:Ryo Yoshiya

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