Synspective・新井元行とアーティスト・脇田玲が考える、「不可視化」という新たな学びの形

データは21世紀の新たな「資源」だと言われる。IoTの普及やAIの進化によってその活用は広がりつつあるが、わたしたちは何のためにデータを活用するのだろうか。少なからぬ企業がデータによる「可視化」に注目しているが、果たして可視化は本当に重要なのだろうか。衛星データの活用によってさまざまなソリューションを提供するSynspective代表取締役の新井元行と、慶應義塾大学環境情報学部教授であり、流体力学や熱力学に基づいたデータモデルを使った作品をつくるアーティストとしても活動する脇田玲、それぞれのやり方で「データ」と向き合うふたりの対談から、これからの時代に必要な「不可視化」の可能性を紐解く。

データの「森」を駆け抜けるSynspective

――Synspectiveの新井さんと脇田さんは活動の領域こそ異なれど、どちらもデータを使いながら新たな世界や新たな人間の認識能力を提示しようとされています。データというと「見える化」が想定されがちですが、脇田さんは「不可視化」に注目していますよね。いま清春芸術村で開催されている『清春縄文展 不可視化する時代のアート』でも縄文時代の土器を扱いながら不可視化について語られていたのが印象的でした。

脇田 わたしは数値流体力学に基づいて造形をつくることが多いのですが、縄文時代の火焔型土器を見たときに同じ美しさを感じたんです。コンピュータがない時代になぜ人々は複雑な流れの造形をつくり出せたのか。獣と向き合い、食うか食われるかの環境で生きていた縄文人は、現代の我々からは想像できないような身体感覚や空間感覚をもっていました。一説では、その特殊な感覚が土器の造形を作り出したと言われているのですが、現代人も同じようなサバイブするための身体を獲得する必要があるのではないかと思ったんです。フェイクニュースに囚われず真実を捉えるためには、膨大な量のデータという「森」を駆け抜けていく身体を獲得しなければいけないのではないか、と。Synspectiveのみなさんは、そんな森を全身全霊で走っている開拓者のように思えました。

新井 ありがとうございます。Synspectiveはいよいよ事業拡大のフェーズまで来たのですが、 経済的な観点から考えるとどうしても価値の可視化や説明に偏ってしまいがちで。実際には脇田さんが仰っているように、個別具体的なソリューションではなくもっとべつの面を見た方が5年後や10年後の大きな価値へとつながっていくのかもしれません。

脇田 もともと研究者のためのネットワークとしてつくられたWWWは世界を大きく変えましたし、Yahoo!だって最初は創業者が好きなウェブサイトをジャンル分けしてまとめていたようなサービスから始まってここまで大きな存在になったわけで。一見役に立たなさそうなものがビジネスになっていくことはよくありますよね。Synspectiveはインターネットの次にくるものをつくっているのだと感じます。そこでいかに特異性のある活動をするかですね。

新井 いま見えている価値を考えることも大事ですが、20%くらいの遊びをつくっておかないと行き詰まってしまいます。遊びをつくることは、将来への受動的な投資でもある。

脇田 経営学者のヘンリー・ミンツバーグや著作家の山口周さんは経営には「アート」「クラフト」「サイエンス」の3つが大切だと言っています。経営において、アートとは直感、クラフトは経験、サイエンスは論理だと考えられます。慎重に意思決定しようとするとクラフトとサイエンスに偏ってしまい、どの企業も同じような戦略に行き着いてしまう。アートも並置して考えていくことが不可欠です。

Synspective 代表取締役 新井元行

新たなツールは認識を変える

――サイエンスやアートは人間の認識能力を変えてしまう力をもっていると思います。おふたりは直接的に世界を変えてしまうというより、新しい「レンズ」や「眼」をつくることで人間を変え、世界を変えようとしているのではないか、と。

新井 Synspectiveは小型SAR衛星を打ち上げ、マイクロ波によって地表面を観測しています。今後30基の衛星を軌道上に配置することをめざしているのですが、世界中いつでも・どこでも地表のデータをとれるようになれば地球そのものの見え方も変わると思っています。

脇田 たとえばコウモリの多くの種は目が見えず口から発した超音波の残響で世界を認識していますが、主要な感覚器官が人間とは異なるので意味世界もまた異なっているはずなのです。Synspectiveを新たな感覚器として自分にインストールすることで、脳や思考も変わっていく気がしています。ただデータを見るだけでも教育効果がありそうですし、アーティストたちにデータを提供して作品をつくってもらうのも面白そうです。個人的にもぜひこのデータを活用して作品をつくりたいですね。

新井 アートはもちろん、さまざまな領域でこのデータを活用できるはずです。災害発生時の被害状況の調査や施設の稼働状況のモニタリング、太陽光発電に適した場所の調査など、すでにいくつものソリューションの提供を進めていて。たとえば先日発生したトンガの火山噴火のようなケースでも従来は粉塵で地表の様子が確認できませんでしたが、マイクロ波なら関係なく地表をクリアに確認できます。今後はゲームなどにも活用できるかもしれませんね。オープンワールドのゲームってしばしば遠くの風景が雑につくられていることがありますが、ぼくらの3Dマップデータがあればそこにテクスチャを当てるだけで地球と同じ形・サイズの空間をつくれる。現実の中国と同じマップを使って三国志のゲームをつくることもできるわけです。

脇田 ゲームというフィールドは面白いですよね。ただ空間やプロダクトがあるのではなく、常に物語がセットになっているので体験の質が豊かになる。このデータを使って渋谷を舞台にしたゲームをつくるのも面白そうです。災害が起きたときの現象をシミュレーションすれば、いま渋谷にある設備やサービスが果たしてディザスターレディなものなのか検証することもできますよね。メディアアートはしばしばテクノロジーをあえて間違った方法で使うことで新たな可能性を生み出すのですが、Synspectiveのデータをゲームに使うことで同じような効果が生み出される気がします。

新井 現実空間をそのままデータから再現してもただの現実ですからね。ゲームはトレーニングや教育との相性もいいですし、そこから新しいサービスが生まれる可能性も感じます。

脇田 UnityやUnreal Engineといったゲームエンジンはすでに医療や建築などさまざまな分野で活用されていますからね。AIと同じようにSynspectiveのデータセットも新たなツールになっていくのかもしれません。

慶應義塾大学環境情報学部教授 脇田玲

データは次世代の「コモンズ」になる

――今後Synspectiveのデータが新たなツールとなっていくためには、どこかでデータを社会に解放していく必要があるのでしょうか。

脇田 アドビの開発したPDFがオープンになったことで社会に大きなメリットがもたらされたように、ある程度広まったらSynspectiveもコモンズになると面白そうですね。その上でSynspectiveのデータを使うことで生じた利益の一部が公的機関に寄付される仕組みをスマートコントラクトでつくれば、データの二次利用・三次利用が自然と社会を変えていくような流れをつくれるかもしれません。

新井 データをコモンズにしていくような仕組みはすでに検討しています。ポイントはデータのスペックによって、ユーザーにとっての価値が異なることです。たとえばデータ取得から1年間は有償利用だけどそれ以降は無償にするとか、1メートル単位の解像度なら有償だけど3メートルなど少し粗い解像度なら無償とか、いろいろやり方はありそうです。

――あらゆる領域にSynspectiveのソリューションが導入されていくと社会が変わりそうですよね。単に新たなビジネスを生み出すだけではなく、人々のQOLの向上やサステナビリティの実現においても大きな効果がありそうです。

新井 Synspectiveとしてはポスト資本主義をつくりたいんです。いま多くの企業がSDGsの達成やESG投資に注力していますが、実際にはふわっとした指標しかないことも少なくありません。そういった取り組みをデータによって企業価値にきちんと還元できるようにすれば、これまでの資本主義とは異なる指標をつくりだせるかもしれない。

脇田 誰もが共通のデータをもとに対話できるようになると、不毛な分断も減っていくかもしれませんね。いまはネットメディアがSNSの情報を拡散して人々が思い込みで議論するような環境が生まれていますが、議論のベースとなる共通のデータがあれば、合意形成をゴールとした対話が成立しえます。フェアにデータを扱える環境をつくることで、適切に世界を認識できるようになるはずです。

見えないものに希望を見出す

――おふたりはデータを使ってさまざまなものを可視化している一方で、見えないものに気づく重要性を説いているように感じます。

脇田 データを使って可視化したところで、人の幸福度が上がるとは限りませんからね。たとえばいまはネットで検索すればさまざまな情報が出てくるので、何かに挑戦しようと思ってもすぐ限界が見えてしまったりする。見えるからこそ絶望してしまうわけです。本当は見えないところにこそ希望があることを考えなければいけませんよね。

新井 ベンチャーを経営するなかでまったく同じことを感じました。もし最初から豊富な知識があったらいくらでも失敗しそうな理由を思いつけますし、挑戦できなかったと思います。ぼくは宇宙ビジネスなんてやったことない状態からこの事業を始めたので、ものを知らないことが原動力になっていたんだなと。とくに宇宙開発はまだわからないことが多く、みんな知らないからこそ自由に動けるんですよね。もちろんビジネスにおいては再現性が求められるので現状の可視化を通じてビジネスモデルをつくるわけですが、可視化ってつねに過去を見ているので、本当に新しいものは生まれてきません。

――見えていることが呪縛にもなりうる、と。その方が若者も勇気づけられそうですよね。わかったり見えたりすることが重要なのではなくて、わからないことの中にこそ正解があると信じられるわけですから。

新井 さまざまなジャンルの知識を集めてコレクティブラーニングを実践することで、これまで自分が気づけなかった領域に気づけるようになっていく。学ぶことの意味が変わっていくと思うんですよね。いまぼくらの会社はビジョンとして「 Learning World(学習する世界)」をつくることを掲げていて、いろいろな専門家が集まりながら全世界的に学習が進んでいく世界をつくろうとしています。そのためには、異なるジャンルの人々が知識を共有できるプラットフォームやツールがなければいけない。そんなプラットフォームをつくることがSynspectiveのミッションなのだなと。ソリューションとしては災害対策や施設モニタリングのサービスを提供していますが、それはあくまでも専門家と社会との接点を増やしていくためにしているわけであって、重要なのは最大公約数的なプラットフォームをつくることなんです。

脇田 見えるものを増やそうとするのではなく、見えないものに気づくために学習する。神学から実学への変化と同じくらいのインパクトがありそうですね。

新井 新しいことに触れることって、新たな知識を得ると同時に、知らない世界の存在に気づくことでもありますからね。いま見えていないものに希望を見出すためにも、脇田さんをはじめさまざまな方とコラボレーションしながらデータの活用を進めていけるといいなと思います。

Interview: Masato Takahashi(Any)

Text: Shunta Ishigami

Photographs: Ryo Yoshiya

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