マリッサ・メイヤー。Googleでの成功とYahooでの失望の記録。

Yoshihiro Okuno
14 min readAug 19, 2018

--

僕はシリコンバレーのカルチャーがとても好きで憧れに近い気持ちがある。

普段から色々とネットで情報を漁ったり、本を読んだり、ジョブズのスピーチを何度もYouTubeで見たりしているのだが、ふとそのカルチャーの中で活躍する人物達の物語を日本語でまとめて見たら他の人、特にITのフィールドで働いている人にとって有益な文章になるんじゃないかと思って、頑張ってまとめてみることにしました。

そこで第一回に取り上げる人物は(今更と思う人もいるかもしれませんが)マリッサ・メイヤーです。その美貌で日本でも有名な人ですが、実際はどういう人なんだろう、何を成し遂げたんだろうかと気になったのがきっかけです。メイヤーがGoogleに入社するところから現在まで時系列で彼女のストーリーを解説していきたいと思います。

19番目のグーグラー

マリッサ・メイヤーは1975年にアメリカのウィスコンシンの裕福な家庭に生まれ、スタンフォード大学を卒業しています。現在43才(2018年現在)で、マーク・ザッカーバーグ(1984年生まれ)よりは十歳ぐらい上で、ジェフ・ベゾス(1964年生まれ)よりは十歳ぐらい若く、同世代としてはラリー・ペイジが1973年生まれなのでほぼ同じですね。わかりやすく日本の女優でいうと吉田羊さんと同じです(なんとなくイメージが近い!)。最近何かと話題のゾゾタウンの前澤さん、メルカリCEOの山田さんとはほぼ同い年ですね。

彼女はスタンフォードのコンピューターサイエンス系の出身ですので、おそらく引く手数多だったはずですが、当時18人しかいない、大したことのない会社だったGoogleに、初めての女性エンジニアとして19番目に入社します。

彼女は当初エンジニアとして自信を持って入社し、昼も夜もなく働き始めます。でもすぐにGoogleには彼女の何倍も優秀なエンジニアがいることに気づきます。エンジニアとして勝負していては彼らには勝つことはできませんでした。やがて彼女はエンジニアとしてではない別の才能を見せ始めます。

Googleの検索結果ページのフォントの改善を、エンジニアらしいデータのエビデンスを示しながら提案し、それが認められたことがきっかけで、Googleのプロダクトのユーザーインターフェースがどうあるべきかを決定する立場に抜擢されます。

それは彼女が入社してからたった一年後の出来事だったので異例の抜擢だったと言えるでしょう。でも誰も文句は言わなかったそうです。それは彼女のハードワーキングが尋常じゃなく、またその改善案も論理的に筋が通っていて、実際にプロダクトのクォリティが磨かれていったからでしょう。

僕は知らなかったのですが、入社後しばらく経って、なんとメイヤーはラリー・ペイジと付き合っていたそうです。なんじゃそりゃ!?そんなベタなロマンスありかいな!と突っ込みたくなりますが、まあ彼女の美貌ぶりとGoogleへの情熱ぶりを目の当たりにしたら、ラリー・ペイジもほっとけなかったんでしょう(知らんけど)。ちなみに現在彼女は別の男性と結婚して三人の子供に恵まれており、ラリーペイジとはその後破局しています。

マリッサと付き合っていたGoogleファウンダー、ラリー・ペイジ

入社後六年後に副社長に就任。圧倒的な成功。

彼女はそんなこんなで公私共にGoogle色に染まりながらGoogle検索、Gmail、Google mapなどの現在僕らがどっぷりとハマっているプロダクトをUIの責任者としてブラッシュアップし続け、現在のGoogleの繁栄ぶりの礎を気づきました。チームメンバー全員に、プロダクトにまつわる全ての意思決定に根拠となるデータを求め、自身もそれを実践しました。

また、APMプログラムというスタンフォードの優秀な学生をGoogleに採用するシステムを導入し、数多くの優秀な若手をGoogleに入社させるなど、プロダクト以外の組織構築という観点でもGoogleに貢献し、誰もが彼女の実力を認めるようになりました(ラリー・ペイジの彼女ということを差し置いても)。

1999年当時20人程度のちっぽけな会社だったGoogleは2004年に株式公開を果たし、90年代にテック業界の王者だったヤフーの検索シェアを大きく脅かす巨大な会社に成長していきます。

そして2006年、入社後6年で彼女はvice president、つまり副社長に就任します。

その後も彼女はグーグラーとして2012年まで13年間在籍しています。

ヤフーにCEOとして電撃移籍

一方その間、90年代のインターネット黎明期で王者としての地位を完全に確立したように見えたYahooは苦しみながら衰退の道を辿っていました。

Yahooは94年に、これまたスタンフォード出身の二人によって創業され、2004年の最盛期には利益が35億ドル、時価総額は1280億ドルの会社にまで成長しました。ウォーレン・バフェットのバークシャ・ハサウェイよりも価値は上だったそうです。

しかしその後は徐々に衰退を始めました。Yahooは複数のタイプのプロダクトを開発し、まだそれぞれのビジネスモデルが確立していない頃に、いち早くプロダクトをリリースしてユーザーを独占しました。しかし後発の企業がそれぞれの分野でYahooよりも良いプロダクトをリリースしていき、シェアを奪われることになります。

検索エンジンはGoogleに奪われ、オークションサイトはeBayに奪われ、多くの人がホームページに設定していたYahooのトップページはfacebookに変わっていきました。

Yahooは抜本的な改革を必要としていました。かつての栄光を取り戻すために素晴らしいプロダクトを作れる人物が必要だったのです。そしてGoogleの副社長だったメリッサ・マイヤーに次のCEOとしての白羽の矢が立てられました。

マイヤーにとってもこの話は渡りに船だったそうです。当時、彼女はラリー・ペイジがCEOを辞任したことをきっかけに社内での発言力を失い始めており、何か新しい挑戦が必要だと感じていました。

そうして彼女はかつての巨大なライバルであり、シェアを奪い続けたYahooにCEOとして電撃移籍することになりました。

Yahooでの挑戦

彼女が就任した当時、Yahooの業績は傾いていましたが、一方で僥倖にも恵まれていました。Yahooは当時未上場だったアリババの株を40%保有しており、Yahooのコアのビジネスが数年利益を出さなくても問題ない状況で、挑戦するための舞台は整っていました。

彼女はYahooをモバイルアプリの会社として甦らそうとしました。2007年にiPhoneが発表されてからの数年で業界ではスマホシフトの波が起こっており、Yahooはその波に乗れると踏んだのです。100以上あったプロダクトを10程度に絞り、かつてGoogleで起こした奇跡を再現しようとしました。しかしその試みは困難に見舞われます。

Yahooにはモバイルのカルチャーは育っていませんでした。facebookで1000人いたモバイルチームはたった60人しかおらず、当時世界中で300億通飛び交っていたYahooメールにはモバイルアプリはありませんでした。

YahooにはGoogleにあるようなブラッシュアップを美徳とするスタートアップカルチャーもあまりなかったようです。彼女が就任する前までは、Yahooにとって超重要なトップページは一年間に5バージョン程度しかテストされていませんでした。彼女は就任してから二ヶ月で37のプロトタイプを作らせたそうです。

彼女は当時15%程度だった検索のシェアを20%にまで取り戻すという宣言をしました。幹部たちにそれができるかを問い詰め、できなければそれができる他の人を探すと言い放ちました。しかし結局はさらに下降することになります。

300億通飛び交っていたYahooメールにスマホアプリは作られていなかった。

コンテンツ・メディア戦略

Yahooのが収益を取り戻すためには数多くの広告を売ることが重要でした。そのためには多くのユーザーが訪れるサイトやアプリが必要です。

Googleやfacebookも収益の多くは広告からですが、彼らのコンテンツはユーザーが作ってくれるものです。facebookではユーザーがポストする投稿自体がコンテンツですし、Googleも世界中のウェブサイトは勝手にユーザーが作ってくれ、YouTubeでもユーザーがコンテンツをアップロードしてくれます。彼らがしたことはユーザーがコンテンツをアップロードするための素晴らしいプラットフォームを用意したことなのです。

しかしマイヤーは別の選択をします。Yahoo自体がコンテンツを作り、魅力的なメディアを作ることでユーザーを連れてくるという選択をしたのです。しかしこの戦略もうまくいかなかったようです。

マイヤーは、全米でとても人気があり、長年CBSイブニングニュースのキャスターを務めていたケィティ・クーリックという女性ジャーナリストをYahooの「グローバルアンカー」として迎え入れて、クーリックを前面に押し出した、育児や健康をテーマにした女性向けのコンテンツを作り、Yahooにリンクを貼りました。クーリックは全米の主婦にとても馴染みのある人のようなのですが(日本だと女子アナというと若くて美人な人が人気なのでうまく想像できませんが。。。)、ページビューは投資額に比べると散々だったということです。

期待のケィティ・クーリックもYahoo!ではなぜか人気が出ず。。。

他にも日本でも人気があり、当時、料理本やライフスタイルを紹介したブログでとても注目されていたグフィネス・パルトロウをYahooのコンテンツのコントリビューターとして迎える話もあったようですが、これはマリッサ・メイヤーがパルトロウが高卒なのを気にして採用しなかったという報道があったようです。

その他、「デジタル・マガジン」というガジェットやテック系のネタを扱うメディアもオープンさせましたがギズモードやCNETに遠く及ばす、収益をあげるには至りませんでした。

Yahooをベライゾンに売却

メイヤーはスマホシフトやメディア戦略を打ち立てたり、数多くの買収を行ったりしましたが(2013年にTumblerを買収したのが有名ですが、そのTumblrもパッとせず)、2014年の時点ではすでに、株主は会社の売却を求め始めていたようです。当時、Yahooは370億ドル相当のアリババの株を保有していましたが、Yahoo自体の価値は330億ドルと評価されており、アリババなしではYahooの価値は-40億ドルという数字になってしまい、もはや自力で生き残ることは不可能と見られていました。

それでもメイヤーはあのスティーブ・ジョブズでさえiPodを作るのに5年かかったのだから、自分にも時間が必要と主張していました。しかしYahoo移籍からその五年がすぎた2017年、ついにYahooはベライゾンに売却され、90年代のジャイアントテックの歴史は終焉しました。メリッサは会社には残らず、2300万ドルの退職金を受け取って退社し、彼女のYahooでの挑戦は終わりました。

Yahooの株価の推移。2000年にピークを迎え、その後大幅に下落。メイヤーが退任するまでに少しだけ持ち直した。

女性イノベーターとして

ここからは個人的な考えです。

メリッサ・マイヤーはシェリル・サンドバーグと並んで、テック業界の女性イノベーターとしてシンボル的な存在だったと思います。その美貌と若さがありながら、Google時代には大きな成功を納め、メディア受けも良かったのでしょう。日本で有名なのも彼女が女性であり、とても綺麗な人だからという要因は大きいと思います。

実際問題として女性が家庭を作りながら、生き馬の目を抜くシリコンバレーのテック業界で活躍するのは至難の技だったと思います。Yahoo在籍中に彼女は二度の出産を経験していますが、妊娠中の身でも4時間の睡眠でハードワーキングしていたそうです。

彼女のポリシーとしては、猛烈に働くことでしかテック業界で成功を収められない、そこに女性も男性もない、という考えのようですね。

彼女の出産・育児休暇はたったの二週間だった。

ブラッシュアップの天才だったメイヤー

マイヤーは90年代にアップルを蘇らせたスティーブ・ジョブスのように、かつての巨象だったYahooを蘇らせることを期待されてYahooにやってきましたが、彼女はジョブスにはなれませんでした。

僕が思うに、世のイノベーターには「0→1」の発明フェーズが得意な人と、「1→100」の発展フェーズが得意な人がおり、彼女は後者だったように思います。しかも彼女はプロダクトの体験やインターフェースのブラッシュアップには類稀な才能を持っていましたが、ファイナンスやマーケティングの視点はそれほど優れている人でもなかったのではないでしょうか?

ジョブスのように会社の大きな方向性や、誰もが考えつかないような事を考える、みたいな事はあまり向いておらず、むしろジョニー・アイブみたいにひたすらプロダクトに集中する事で、結果的に企業のブーストエンジンとなるタイプの人のような気がします。

イノベーターとして張り合うにはあまりに偉大すぎたスティーブ・ジョブズ

しかしシリコンバレーのアイコン的存在になってしまったが故、本来の適性ではない場所に担ぎ出され、Yahooの終焉に責任を持たされることになったように思えます。おそらくマリッサ・メイヤー以外の誰がやってもYahooは救うのは難しかったと思いますが、彼女がその象徴となってしまったことは少し残念なような気がします。

現在。そして今後。

しかしまだ彼女のキャリアは終わったわけではありません。現在彼女は、かつてのGoogleが事務所を構え、ペイパルが事業を起こしたオフィスにあえて事務所を構えて、lumilabsというAI関連のラボを起こしたようです。

ウェブサイトを見る限り、まだ準備段階という感じで具体的なプロダクトがあるわけではないようですが、彼女のこれまでの軌跡、特にGoogleでの仕事ぶりを考えると、今後に期待が持てます。妙なプレッシャーを感じることなく、彼女本来の力で革新的な何かを生み出して欲しいと思います。

現在運営しているLUMI LABSというラボのウェブサイト

今回参考にしたサイト

lumilabs(現在メイヤーが運営しているラボ)

グーグルを勝利に導いた美人 マリッサ・メイヤーとは

What Happened When Marissa Mayer Tried to Be Steve Jobs

--

--