「判断」と「決断」の違い

山田裕嗣 / Yuji Yamada
組織のカタチ
Published in
6 min readFeb 18, 2016

昔はなんとなくこの2つの言葉を使い分けをしていましたが、「ビジネスにおける数字の使い方」だったり「会社としての意思決定」だったりについて考えている中で、これを意識すると考えやすくなるな、と思うようになりました。

「判断」と「決断」の定義

辞書的に言うと、

【判断】物事を理解して,考えを決めること。論理・基準などに従って,判定を下すこと。
【決断】きっぱりと心を決めること。是非善悪を見定めて裁くこと。

となります。(いずれも三省堂大辞林より)

中竹竜二さんという早稲田大学のラグビー部の監督だった方が、そのまんまの題名で「判断と決断」という本を書かれていますが、この中では以下のように書かれています。

【判断】は過去に対して客観的に評価すること。
【決断】は未来に対して主観的に方向性を打ち出すこと。

(ちなみにこの本、情報収集→整理→判断→→→決断→組織への浸透、という一連の流れで、自身の経験を踏まえて臨場感を持って書かれててとても面白いです。締めの章が「判断と決断は、結局、組織マネジメントのフレームワークである」というのがまた良い感じです)

私なりの実感を踏まえて言えば、

【判断】は客観性のある根拠・論理が提示できる、再現性のある(=他の人でも同じ結論を出せる)もの。
【決断】は価値観や哲学に基づく、再現性のない(=自分にしかその結論を出せない)もの。

と捉えています。

たとえば、「エクセル表で集計して白黒が合理的に決められるようなもの」は判断で、「個別の要因の重み付けを変えると結論が変わる状態で、どの要因を大事にするかは完全に『決めの問題』」みたいなときは決断だと捉えます。(なので逆に、要因の重み付けを合理的に決められる、というのは判断です)

自分が決めるときにも、人にその内容を伝えるときにも、これを意識して使い分けることでスムーズに進められるようになりました。

ただ、いざ実践しようとしていると、それぞれに違った難しさがあると感じています。

決断の難しさ

1)決める人の価値観や哲学が真正面から問われる。逃げ道がない。

「なぜそう決めたの?」と問われたときに、「自分がそう信じるから」としか答えようがないのが決断、と私は捉えています。そこでは自分自身がそのまま問われるので、ふとした瞬間に無意識に「決断」すべきことから逃れようとしてしまうことがあります。

以前、「いい会社」に投資するという鎌倉投信のファンドマネージャーの新井和宏さんの著書(投資は「きれいごと」で成功する)を読んだ時に感じた「怖さ」を違う投稿で書きましたが、数百億円を「自分/自分たちがいい会社と信じるもの」に投資し、そして成果を出す、というのは決断の在り方の一つの極地だなと思いました。

2)決断は心理的距離があると伝えるコストが高い。

決断がややこしいもう一つの側面として、「誰が決めたか」から切り離すことが出来ないという特性があります。決断を下した人のことをあまり良く知らない(=心理的距離が遠い)と、なぜその決断に至ったのか、ということを伝えるのに手間がかかります。

先ほど挙げた「判断と決断」という本の中で、

個人として、組織として判断と決断を積み重ねておけば、突発的に困難な状況に陥ったときにも、正しい直観を働かせ、強く、迷いのない決断ができる

と書かれています。裏を返せば、組織の中で積み重ねておかなければ決断は伝わらない、とも言えるのでしょう。

判断の弊害

判断も、こっちはこっちで違う難しさがあります。

1)判断は共感を生まない。

鎌倉投信の新井さんが「マンガには没入できるけど、教科書だと眠くなる。それと同じで、客観的な指標で選んだ会社は「納得」はできても「共感」は呼べない」と書かれています。

まさに「『納得』はできるが『共感』はできない」のが判断の特徴だなと思います。(もちろん共感なんて必要ない、ということも往々にしてありますが)

2)判断は言い訳を作りやすい。

こちらも新井さんの書籍の一文が象徴的なので引用させていただくと、「第三者機関の評価への極度な依存というのは、実は運用会社の無責任化にほかなりません。ファンドマネージャーは、格付会社の評価を信用していますが、それは従っていればリスク判断に関して免責される側面もあるからです」とあります。

同じ構造は、根拠を持って合理的に判断する中では往々にして起こりがちで、自分自身で考え切ることを妨げることにも繋がりがちです。

「判断」すべきとき、「決断」すべきとき

ビジネスを進めるということに限るのであれば、アタリマエのことを当たり前に進める、ということが正しい場面が圧倒的に多いです。

獺祭を作っている旭酒造の桜井社長にインタビューさせていただいた時も、「100人いたら90人は「データでわかること」を基に、1+1=2と素直に理解して実践してくれればいい」と言われてましたが、まさにそのとおりだと思います(そうじゃなきゃ組織として動く意味が薄れていきます)

一方で、弊社のようなベンチャーがゼロから何かを立ち上げようとするとき、組織の既存の枠組みを壊そうとするとき、など、前例のないチャレンジをするときは、論理的な「判断」をするのに充分な素材は存在せず、「決断」をしなければ何も進まない場面が多々あります。(また、そういうときは人に共感してもらい、巻き込んでいくことも必要なので、なおさら「論理的な判断に納得してもらう」だけでは進まなくなります)。

状況、役割、前例の有無、影響範囲、許容される時間軸、などを踏まえながら、自分が使うべき意思決定の仕方はどちらか。意識して使い分けることを繰り返しながら、どちらもが習熟していくのだと思います。

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山田裕嗣 / Yuji Yamada
組織のカタチ

HR系のコンサル、大手ITのHRを経て、ITベンチャーの経営に参画。 2017年12月にEnFlow株式会社を設立。Teal/ホラクラシー/自然経営など、新しい時代の組織への変容を支援。 https://en-flow.com/