- プログラミングを始めたばかりの頃はものすごいスピードで動かなければいけないと思いこんでいた。だけど別の道もある。自分の最適スピードを理解して落ち着いて動くことだ。うさぎか亀か。
- 業務なしに自分でプログラミングの学習をしようとすると途方に暮れてしまう。いまはQiitaの質問やTeratailの質問に答えることで課題を見つけている。自分で課題づくりをするのもそもそもチャレンジだ。課題づくりスキルを磨いてみたい。
- アジャイル開発用のツールPivotal TrackerのUIの悪さには最初3年ぐらい慣れなかった。今では慣れたけど。UIのアンチパターンを無数に敷き詰めたような感じがする。
- テストはしっかりと書くことが脳死でデフォルトになっている。だがトレードオフを考慮してあえてテストを書かないもしくは頑張って書かないという選択肢もあってしかるべきなのかもしれない。品質を落としてスピードを上げる。確かにちゃんとしたテストを書こうとすると実装に2倍以上の時間がかかる場合はある。
- 開発者は自分が作ったアプリケーションに対して意地悪なテストができないという心理は確かにあるのかもしれない。
- テスターは空気を読まない能力も必要だ。「今開発が忙しいからバグチケットを作らないでおこう」なんて考えていたら何も出来ない。何よりもアプリケーションの未来だけを考えるのだ。
- いくら探し切ったと思っても新しく見つかるものがバグだ。モンキーテスト専門家になりたい。
- プロジェクマネージャーは自分本人は開発に加われないにも関わらず開発を成功させなければいけないから大変そう。良さげな人材を集めるところが勝負の半分だろうか。
- 座禅か瞑想か。瞑想はテクニカルであり座禅はノンテクニカルなものだと分類する。どちらにするか。最近はただ坐る座禅を実践していたがマンネリ気味だ。少々しんどい。心地よさを見出す瞑想で楽しみの冒険に出たい。
- 座禅では意思のちからをゼロにしたい。だが0%か100%という二択じゃなくても良いのかも知れない。「最小限の意思を使う」というスタイルも良いのではないか。
- 瞑想中に物思いをしている時は意外に苦痛じゃない。問題は物思いから覚めたときだ。どこにも意識の行く宛がないような感じがしてそわそわする。
- スターバックスで二人連れのサラリーマンがそれぞれカバンを隣の席に置いている。つまり4席を占領している。電源席が使えない。話しかけて席を空けてもらおうかと思ったけれど彼らはその後すぐに席を立った。僕が電源席に移動しようとする前に他の男が電源席の隣に座りそして隣の席にバッグを置いた。バッグで席を占領するのやめてもらっていいですか。
- 瞑想は中心をとらえる。右にずれたかと思えば左に戻す。奥にずれたかと思えば手前に戻す。こうやってセンタリングし続けて中心を保ち続ける。これは体の話でもあるし心の話でもある。「心をまっすぐに立てる」という表現が思い浮かんだ。
- 座禅によって、普段なんとなく感じている不安が多幸感のようなものに変わるまで、1日でのべ2時間ほどは必要なようだ。座禅なしには不安で仕方ない。
- Kindle Unlimited の本は大したお金を払わず読めるので、読む気持ちがまるで起こらない。
- 人と雑談をして笑い合っているような時が一番幸福度が高く穏やかだと思う。
- Specが列記とした仕様書レベルで書かれているコードは少ない。今まで見た中では。
- 週明けにSlackを開くのはパンドラの箱を開くような緊張感がある。
- 今日のスターバックスで一人の店員さんは悪い意味でスターバックスっぽくない。普通の喫茶店にいる店員さんみたいだ。ありがとござい「まーす」こんにち「はー」と語尾を上げて一定のイントネーションで話す。イントネーションが一定だということはつまり機械的に話しているということ。相手を見て合わせていないということだ。つまりケア精神に欠ける。スターバックスクオリティに達していない。
- プロジェクト全体に貢献する気持ちで働けば、個人の動きとしてもだいたい正解を選びやすい気がする。
- 座禅とビギナーズマインド。初心者のように座禅する方法が少しだけ分かった気がする。座禅を知らないフリをするのだ。「自分は座禅のことは何も知らない」という気持ちで坐るのと「自分は座禅のことは全て分かっている」という気持ちで座るのでは感覚がまったく違う。脳は自分が知っていることに対してショートカットしようとする。知っている物事には全く注意を払わなくなる。悪いタイプの慣れが起こる。これがスポーツであればスコアが下がるなどしてフィードバックがあるが、座禅では誰もフィードバックしてくれる人はいない。だからなおさらビギナーズマインドを自ら呼び起こすことが大事だ。自分が座禅を知らないと思うと心はそれを知ろうとする。「座禅ってどんな感じなんだろう?」「座禅をすると何が起こるんだろう?」という好奇心を持ちながら座ってみる。なぜなら僕はまるで座禅の初心者だ。今日僕はこれを具体的に実践した。座禅を知らないフリをして座るのと知ったフリをして座るのとで、意識の働きがまるで変わるという不思議な現象を何度も確かめた。「気の持ちよう」の効用ってすごい。
- 座禅25分の最後の5分間が長い。だけどそれも鍛錬だと思って座っている。
- 耳が痛いアドバイスほど役に立つ。
- 問題解決というゲームを楽しむ。これがエンジニアの仕事のエッセンスだ。
- 今日もスターバックスに声が大きめの店員がいる。他の店員の3倍ぐらいの声量はある。誰も注意しないんだろうか。鼻にかかった声。耳障りで仕方ない。店内のどの音よりも彼女の声が響く。お客さんの話し声よりもエスプレッソマシーンの音よりも目立つ。周波数的にも通りやすい声だ。まるで自分がこの場の主役だと宣言しているかのような声だ。早くシフト時間が終わって帰ってくれないだろうか。スターバックはお客さんにくつろいでもらう場所だということが彼女には分かっていないのだ。ただ手順に応じて機械のように言葉を再生しているだけだ。場末の喫茶店にでも職場を変えて欲しい。調べてみたらスターバックスの問い合わせのサポートセンターは営業時間がもう終了している。明日は電話してみようと心に決める。
- 座禅で気分が平静になると成功した気がする。逆だと失敗した気がする。こんな成功基準で良いんだろうか。
- 俺は気分を良くするために座禅をしている。何が悪い。文句がある坊主は出てこい。
- 生活時間における適切な座禅比率はいかほどだろうか。せめて1/4ほどは座禅をしていたい。つまり90分間活動した後には30分ほどの座禅を。
- 実用書の読書はテレビを観るよりつまらないとは思う。だけどもし読書がテレビより面白かったら、もうテレビはまったく不要になってしまうだろう。
- M1グランプリは自分が審査員だったらどんなコメントを言うかを考えながら観てる。同じ見方をしている人は多いんじゃないだろうか。
- スターバックスでPCを広げてM1グランプリを観る時は何だか恥ずかしい。必ず覗き見防止フィルムをディスプレイに装着する。
- テレビを観てダラダラ過ごすような非生産的な時間も休息としては案外役立っているのかもしれない。
- Kindleのダークモードでの読書にも相当目が慣れてきたように思う。色合いに対する認知の慣れというものがあるようだ。
- 「今最も読むべき本「と「何かの役には立つであろう本」では100倍ほどのインパクトの違いがある。
- ホリエモンは何故一部界隈に尊敬されているんだろうか。M&Aで会社を大きくして捕まって出所してご意見番になった。キャリアを振り返ってみると言っちゃなんだが大したことがない気もするのだけど。芸能界で言うところの和田アキ子みたいな感じなのかもしれない。
- 人類は大いなる過渡期にいる。学習の必要量が多くて当たり前なのだ。
- 読むべき本の特徴とはエキサイティングなことではないだろうか。面白くないと印象には残らない。つまり理解も出来ない。(WHO YOU AREを読みながら)
- 読むべき本の特徴とは面白いことではないだろうか。だが重要な本でなおかつ文体が退屈な場合だってあるかもしれない。くそ!また一般化に失敗した
- 難しい話ほど物語形式のほうが面白い。複雑な概念を説明するのには物語が必要ではないだろうか。たとえば神の概念のように。
- Kindleで無料試し読みを3回してもまだ興味がある本を購入するメソッドはどうだろうか。
- この1ヶ月で書籍購入にかけた金額を計算したら 6万円ほどだった。本を読むのがマイブームであると考えたらささやかなものだろうか。
たとえば、自己マスタリーのレベルをたゆまず高めていくことに熱心に取り組んでいる人の多くが、何らかの形の瞑想を実践している理由はここにある。
黙想的な祈りであれ、ただ意識を静める何か別の方法であれ、定期的に瞑想を実践することは、潜在意識を活用してもっと生産的に仕事をしようとするのにきわめて役に立つ。
潜在意識は特定の意志の力をもたないように思える。それ自身の目標を生み出すこともなければ、それ自身の焦点を定めることもない。方向と条件づけに大きく左右される──私たちが何に注意を払うかが潜在意識にとって特別な意味をもつ。通常の活発に動いている心の状態では、潜在意識には矛盾する考えや感情が洪水のように押し寄せている。静かな心の状態で、私たちが何か特別に重要なこと、つまりビジョンの何らかの側面に焦点を合わせると、潜在意識は乱されない。
ピーター・M・センゲ. 学習する組織 システム思考で未来を創造する (Japanese Edition) (Kindle の位置№3421–3426). Kindle 版.