人は皆「ペルソナ」を持っている

「ペルソナ」とは、心理学用語、もとい、マーケティング用語としては馴染み深い言葉です。

また、「ペルソナ」と検索すると、人気シリーズ「ペルソナ」が最上位に検索結果として表示されます。こちらの作品でこの言葉を知った方も多いでしょう。

私はこの「ペルソナ」という言葉を、ウェブライティングでもそれ以外の分野でも考えたり、活用したりしてきましたが、考えれば考えるほど深い概念だなと思います。

今回は、「ペルソナ」の話。 結論から言えば、「あいつは仮面をかぶっている」「化けの皮をはがす」という慣用表現は、決してネガティブな意味だけではないよ、ということを考えたという話です。

「ペルソナ」とは何か?

僕が考えるペルソナの話の前に、「ペルソナ」とは何かを解説していきます。

もともとは、心理学用語で、心理学の権威であるユングが提唱しました。人間の外的側面を古典劇における役者の仮面になぞらえて、「ペルソナ」と呼びました。

例えば、強すぎるペルソナを人が作ってしまっている場合は、外部の環境に適応しようとしているあまり、「自分を見失っている」状態になります。逆に、ペルソナが弱いと自分自身や周囲の人間を傷つけてしまうことになってしまう場合もあります。「過ぎたるは及ばざるがごとし。」ですね。

ペルソナは人と人との重要な課題であり、処方箋でもある

さて、ペルソナについて一般的なことを書き連ねました。ここからは僕の話したいことです。

まず、ペルソナを持つということについて、原体験がある人は多いでしょう。以前の職場では自分は仮面をかぶっていた、あの場では私は自分を出すことはできない、そう言った経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか?

つまり、そういう風に外的な側面と「本来の自分」に齟齬を感じている場合は、ペルソナが”問題”になります。

もしかしたら、あなたは強固なペルソナを維持しすぎていたのかもしれませんし、逆に、仮面を放り投げて振舞っていた結果、周りと険悪になってしまっていたのかもしれません。

そして、どちらに当たるかは僕にはわかりませんが、とにかく、外的な側面が自分の環境とズレていて、それで苦しんでいる状況があったということは明白です。

この場合は、ペルソナは問題的な側面を持つ概念であることがわかります。しかし、よく考えてみると、ペルソナというのは、本来の自分の顔の上にかぶせるから仮面なわけですが、本来の自分というのはどこにあるのでしょうか?

これが、処方箋にもなる所以です。

自分を認めてもらいたいという承認を捨てれば何も残らない

さて、基本的には自分自身の持つ「ペルソナ」は問題を引き起こした時に顕在化します。「あの時の自分は仮面をかぶっていた」と感じた時、自分の持つペルソナがうまく生かされていないと感じます。

しかし、逆に考えてみると、そのような「うまくいかない状態」があって初めて、自分のかぶっている仮面がわかるのではないでしょうか? それ以前に、「これが私だ」という感覚は味わえないのです。

要するに、比較優位に立ったときに初めて自分という存在や自分の思考が見えてきたり、自分が嫌いな環境が明確になります。それ以外で自分の好き嫌いやペルソナ自体を明確にすることはほとんどの場合、不可能です。

まずは、自分がペルソナをかぶっていることの原因を突き詰める必要があります。自分はなぜ、外的側面を重視してそれになぞらえることができるように行動し、思考するのか? を考えると、他の人々からの承認されることに「欲求」があることがわかります。

マズローの欲求5段階説は有名です。4つ目の段階に承認欲求があり、その上に5つ目の「自己実現の欲求」が存在します。

via http://matome.naver.jp/odai/2138276425484692401

自己の夢や希望や人生の意味を理解するより以前の段階に、自分が生きる環境の中で他の人々から理解されたい、承認されたいという思いがあります。

これができていなければ、欠乏欲求をすべて満たすことができずに、人は環境にその齟齬を求めます。これが、問題の核心です。

そして、この承認の欲求が満たされなければ次の段階に行けない。承認されることを諦めてしまっては、その次のステップへと行くことはできない。

人は皆、承認欲求がなければ[「外的側面を発揮する機会=社会参加をすること」ができなくなってしまいます。

この現実を斜に構えてみると、「あいつは承認欲求が激しい」と批判する気分になってしまいます。しかし、それは同族嫌悪のようなもので、自分が承認してほしいコミュニティが「斜に構えたコミュニティ」であるからこそ、言えることなのです。

齟齬が見えてきたときに顕在化するものを捉える思考

さて、ユングは、人が持つペルソナがどういったときに問題を起こすかということについても語っています。

例えば、教師という側面を持つ人が、自分の友人にも教師風を吹かせている。そんな場合は、ペルソナが問題になります。教師風を吹かせる友人は、倍によっては「うざったい」存在になってしまいますよね。

しかし、確かに問題なのですが、それを受け入れてくれる人を探すのはどうでしょうか? 簡単なことに思えますが、そんなことはなく、実際にそう言った関係性を築くのは至難技です。

「自分は友人にも職業柄の態度を出してしまう」という齟齬を見つけてしまうと、「なんでこんなことをしてしまったんだろう」と後から後悔することも稀ではありません。

「中二病」もある意味未熟なペルソナのようなものです。外的側面を上手く構築して行けないうちからその必要性にかられた結果が生み出す「黒歴史」と呼べるのではないでしょうか?

それほどではなくとも、「なんであんなことしてしまったんだ」という思いから、毎晩枕に顔を埋めてじたばたしたくなってしまうこともあります。しかし、その「きづき」がとても重要です。

「自分はこういう人間なんだ」とは、つまり、「自分はこういうペルソナを持っているんだ」ということです。そして、「ならば、他にも自分はどんなペルソナを持っているのだろうか?」と、自身のペルソナを検索していく段階に入っていきます。

それと同時に、自らのペルソナを発見し、それをうまく出していくプロセスを経ていきます。この段階で、人と関わりあう。そして、それを認めてもらうという全ての工程こそ、「承認欲求」の全体を指すのです。

その時、自分のペルソナを顕在化させたものを、痛みを伴いつつ捉えたことになります。人にペルソナを外して相対するよりも、相対する時にペルソナを維持し、なおかつそれを自身で理解しておくことの方が何倍も困難なことは想像に難くありません。

そして、それを経る経験を通して、人は承認されていき、ペルソナを安定的なものにさせることができます。

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