ビジネスで大切なことの一部は北大で学んだ(最終話)

最終話 波乱こそが「生きている実感」の源

(第10話)

必死な時ほど振り返ると充実してるもの

渡米中に祖父が天国へ

ポートランドを発ち、成田空港に着き、横浜の実家に帰った。帰宅後すぐに、ぼくは母にある質問をした。祖父の病状のことだ。すると母は、ぼくの出国日に祖父が亡くなったことを教えてくれた。実は、渡米前から祖父の病状はかなり悪かったので、ぼく一人で出国前日に福島までお見舞いに行った。目は開いているが、コミュニケーションは取れず。「じいちゃん、じいちゃん」と一時間くらいずっと呼びかけていたが、応答はなかった。出国前日に「渡米中に亡くなっても、お前には教えないからな」と父がぼくに告げた。出国直前にぼくは母に電話をし、「おじいちゃんは大丈夫?」と聞いたのだが、「大丈夫」とだけ母は答えた。本当はその時祖父はもう亡くなっていたのだが、約束通り隠してくれた。

自分の意志で選んで決断したのか

人によって解釈は分かれると思うが、両親の対応にぼくは本当に感謝している。この時の渡米は人生に一度の大切な経験だったし、もし祖父の訃報に触れていたら、思い切り経験を噛みしめることはできなかっただろう。「死んでから墓参りを頑張るよりも、生きているうちに会いに行け」と、常々うちの両親は口にしている。結果的にだが、生前の祖父と最後に接した家族がぼくになり、両親はそれで十分だと判断し、アメリカに行かせてくれた。自分の意志でお金を貯めてアメリカに行き、一生に一度の経験をする機会を与えてもらい、本当に感謝している。動機自体は「彼女に会いに行く」という何とも色ボケしたものだったが、自分の意志で選んだ行動だったので、本当に色々なことを学べたと思う。逆に言うと、自分の意志で選んだ行動からしか、人間は真摯に学べない気がする。これ以降、「自分の意志で選んだと言い切れるかどうか」が、ぼくが決断をする際の重要な基準になっていくのである。

当初の目的を見失い、謎の自己嫌悪

一ヶ月ほど経ち、アメリカにいる彼女と別れる事になった。全米を回るうちに、自分が大学院に行くとしたら彼女がいるポートランド州立大学は選ばないであろうこと、学生が日米で遠距離恋愛をするのは金銭的負荷が非常に高いこと、何よりお互いの熱量が下がったのを実感したことが理由だ。すると、どうだろう。アメリカの大学院に行く意欲がみるみる萎んだ。「俺は女のためという邪なモチベーションで、大学院に行こうとしていたのか」と思い、自己嫌悪に陥った。しかし、これはよくよく思い返すと非常に滑稽な現象だった。

彼女と近くの場所に行きたい→そうだ大学院行こう→何か本気で大学院行きたくなってきた→俺は海外大学院行く目線が高い男!→彼女と別れる→やる気なくす→ひょっとして俺は女目当てで大学院志望してる俗物だったのか・・・→そもそも何で大学院行きたいと思い始めたんだっけ→彼女と近くの場所に行きた・・・・→あれ?じゃあ何で俺は自己嫌悪してたんだ→(正気に戻る)

手段の目的化 Again and Again

このブログを書くことで自分に関する認識を改めることが何回かあったが、その最たる例が「熱中するとすぐに手段の目的化をやらかす」だ。モテるために音楽を始めたのに、音楽の趣味が合わない女とは付き合えないという結論に行き着いたり。彼女と近くの場所に行くために大学院を志望したのに、彼女と破局→大学院に進学する気をなくした自分に失望したり。頑張っている自分に自己陶酔→陶酔から覚めて自己嫌悪というのは、自分の人生でよく登場するパターンな気がする。

冷めた自分になる理由は「傷つくのが怖い」から

少し前までは「自己陶酔していた自分は馬鹿だった」と思うことが多かった。しかし、最近は「自己陶酔から覚めて自己嫌悪する」ことで、巧妙かつ姑息に自己防衛している気がしてきた。「あの頃の俺は馬鹿だった」「熱中するとケガをするからほどほどに」みたいな発想って、精神的に成熟したフリをして、傷つく危険があることを避けていいと自分に思い込ませる、すごく小賢しい言い逃れではないか。「傷つくのが怖い」という本心を、「自分は分析的に物事を見れる精神的成熟度が高い人間」という自尊心で巧妙にラッピングし、リスクを取らない自分を肯定していた気がする。

就職したくなかったので、東大の大学院に進学

こんな感じのマインドになっていたので、大学生活最後の一年は一番穏やかだった。すぐに就職する気にはなれなかったので、その時一番興味があったテーマの研究室がある東大大学院を受験して合格した。そして、残りの単位を取得し、卒論を仕上げて卒業することになった。余談だが、現職企業の取締役に「お前は外人の彼女に振られたから、東大の大学院に行ったんだよな」と言われたことがある。さすがにそんな事はないと怒りながら否定したが、このブログを書き終わってみると100%否定できないことに気付く。解釈とか編集の仕方はひどいと思うが、嘘かと問われたら嘘とは言えない。

波乱がないと「生きている実感」がない

大学卒業〜大学院の途中までは、傷つく事を恐れて平穏を選択していたのだが、本当は熱中して打ち込めるコトを求めていたのだと思う。就活時の学歴プレミアムを全く活かさず、高収入とも安定とも縁が遠いキャリアを選んでしまう。始める動機は不純でも、打ち込んでいるうちに最初の動機を忘れて、そのコト自体に熱中する。その結果、上手く行けば最高だし、逆に傷つくことも多い。アップダウンが感じられないと、生きている感覚が薄れてしまう。北大時代に味わった熱狂と自己嫌悪のアップダウンが訪れる日々に「生きている実感」を見出してしまい、キャリアの岐路ではいつも「先が読めない大波が来そうな方」を選んでいる。より強い刺激、より大きな波乱を求めてしまうのだ。

利害関係を抜きにした繋がりは得難い

北大時代は模範的な学生では全くなかったし、何かを成し遂げたわけでもないし、後悔も多いし、やり直したい部分もたくさんある。それでも、自分自身にとって特別な日々だったのは間違いないし、同じ時間を過ごした友人達もまた特別だ。このブログを書いて良かったのは、北大時代の旧友とまた連絡を取り合うきっかけができたこと。あとは在学中には縁がなかった人とも知り合うきっかけができた。年齢を重ねると利害関係がない友人の存在が本当に重要になるが、同じ場所で青春時代を過ごしたという共通の経験は、初対面でも利害関係を超えるきっかけをくれる。同窓の繋がりとか今まで重視してこなかったけど、得難い財産なんだと感じるようになった。

これを読んだ北大OB/OG/現役生の人がいたら、ぜひ僕と繋がってほしい。GW中に北大助教授になった友人に聞いて初めて知ったのだが、北大は財源不足で人員削減を予定しているらしい。要因は様々あるだろうが、OB/OGとして何か貢献できないか、一緒に策を練る仲間がほしい。自分を育ててくれた場所には、もっと発展して欲しい。

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