S・エベン・カークセイ、ステファン・ヘルムライヒ「複数種の民族誌の創発」

『現代思想(総特集・人類学の時代)』2017年

■複数種の民族誌という新ジャンル

複数種の民族誌(multispecies ethnography)

かつての人類学で、「ゾーエー=剥き出しの生」の領域に囲われていたもの …殺すことができるもの

ex)動物、植物、菌類、微生物

→「人間と肩を並べて、明白に個人史的および政治的な生をともなうビオスの領域に現れはじめた」//p.96

その生と死が人間の社会的な諸世界とつながっている多くの生物に目が向けられる

・エドゥアルド・コーン「生の人類学」との共鳴

:人間的なるものにとどまらず、異なる類いの生ある諸自己との絡み合い(entanglement)の結果に関心をもつ人類学

数多なる生物の暮らしがいかに政治的、経済的、文化的な影響を形づくり、また、それによって形づくられるのかという関心

■本稿と関係する議論 //p.97

①「人間」的なるものをめぐる現代の議論

② 動物、植物、その他の生物の人類学における歴史

③「文化」と「種」の定義をめぐる概念的な問い

・「生成」(becoming

―創造的な諸行為主体の非階層的な同盟関係、相利共生的な付着、混じり合いから生じる、新しい種類の関係ー(Deleuze and Guattari 1987: 241–242)

≒人類学における「種的転回」

・ダナ・ハラウェイ『犬と人が出会うとき』

もし、人間例外主義の愚かしさを認識するのであれば、私たちは、(接触の)結果、つまり、世界に誰がいるのかが問われているコンタクト・ゾーン(接触領域)において、<〜になること>(becoming)は常に<〜とともになること>(becoming with)であるのが分かるはずだ。
(Haraway 2008: 244)

ハラウェイの批判:実際の動物に対するドゥルーズ&ガタリの無関心さ

⇒複数種の民族誌家は、ドゥルーズとガタリから袂を分かち、ヒトと他の諸存在との遭遇が共通の生態系と共同生産されたニッチを産み出す、自然と文化を隔てる線が分解したコンタクト・ゾーンを研究している(Fuentes 2010)

■複数種の民族誌と<群れ>

複数種の民族誌は、「異なる創造的な諸行為主体のマルチチュード」(hardt and Negri 2004: 92)がすまう、秩序を規定する中心をもたないネットワークである<群れ>の活動とともに創発した。

(cf. ネグリ&ハートのマルチチュード論 「マルチチュード」……国境を越えるネットワーク上の権力)

人新世において文化を書くこと //p.98

■<人間(アントロポス)>への再注目

・フーコーの後には、生命、労働、言語(それぞれ生物学、政治経済、言語学に対応する)

の近代諸科学によって形づくられるものとなった

・生物化学における根本的な見直し:何が生きており、働き、意思疎通するものと見なしうるか

→人類学者は、「人間が何になろうとしているのか」を問い始めた

・従来、人間を論じる際には「人間の本性(自然)」よりも、「倫理」や「文化」に焦点があてられてきた

生物学についての基礎的な言説の排除

・・・人間の生物学にまつわる諸科学が文化的分析に関して言えることはほとんどない、という多くの人類学の信念を指示している

分野における断層線が広くなるにつれて生じた新たな展開

「民族誌家は、自然=文化の境界線を探索し、生態学的な関心のなかにみずからの仕事を位置づけてきている。彼ら彼女らは、ずらりと並んだ諸生物や諸生態環境と関わりあうようになったし、それらが提示する方法論的な諸課題に目を開くようになった」(p.98)

・・・文化人類学とは異なる分野における関心との重なりあい //p.99

ex)人新世(アントロポシーン)

(大気科学者パウル・クルッツェンと生物学者ユージーン・ストーマーの造語)

・人間の活動は、「地質学的、形態学的に重要な勢力へと徐々に成長していった」(200年ほど前〜)

=人間は、この準拠枠において、惑星全体を包含する(そして危険にさらす)までに拡大された行為主体性を有する両義的な存在になった

//p.100

⇒複数種の民族誌

惑星地球上の伴侶種となじみの薄い種と同様に人間の再構築に注意を払いながら、人新世において文化を書くことを意味する

種的転回:起源と未来

アナ・ツィン「人間の自然(本性)は、種間の関係性である(Tsing 2012: 144)

人間の自然の再構築

⇔ 非人間の諸自然の再構築

■新しい動物の人類学

ex1. 1920年代 トギアン島に導入された猿

国際的自然保全のアジェンダに精通したインドネシアの科学者たちによって、いかに「ハイブリッドな群れ」

から「固有種」へと変容させられたか

ex2. クローン羊ドリー

体細胞核移植という技術を検討し、生殖と系譜の「本性」として見なされうるものを再配列する生命工学の潜在性

ex3. 種間の意思疎通

アマゾンのルナ人が彼らのイヌとの間に共有する、意思疎通可能な諸世界を説明しようとする(Kohn 2007)

//p.103

もはや、動物は、象徴的関心に対する/の単なる「窓や鏡」ではないようだ

動物たちの物質的な絡み合いは、日常経験および科学技術の両方を介して理解される、生命のマテリアリティや過程に取り組むことをますます人類学者に課している。

動物=「考えるのに適している」のではなく、「ともに生きる」存在や行為主体(ダナ・ハラウェイ)

※「ともに生きる」←伴侶種として/「愛されない他者」として・・・様々な形をとる

・動物は、自然-文化の範疇や存在論を融合させたり、拒否したり、混乱させたりするかもしれない

植物民族誌→微生物の民族誌

・生物多様性の議論にほとんど姿を顕さない微生物

ex)フィエステリア・ピシシーダ

・「幽霊のような非-決定性」を有する「お化けの渦鞭毛藻」

・その行為主体性があらわになるのは、それが活性化したときに後に残す大量の魚の死骸によってのみ

民族誌家は、陸地上、海洋中、食物中の社会的行為主体として、微生物に関心を向けている

人類学者は、いかに非人間の他者と対話し、彼らを代弁するのか? いかにそうすることができるのか? いかにするべきなのか?

・・・アパドゥライ「声の問題」(1988: 17)