…2009 (管理者の個人的な青山正明受容を振り返る)

Room No.0001
6 min readAug 11, 2017

2009.2(修正2009.3,9)に,旧ホームページへアップした文章を再掲する.この文章は,「前から気になっていたことなので、振り返ってみたい。」という一文から始まる.

2000年代の幕開け、青山正明のテイストをそのまま持ってくることを意識したページを作った。レビューというよりは『危ない1号』のテイストがそのままウイルス的にウェブ上に現れたようなページにしたかったのだ。村崎百郎をはじめとした幾つかのファンページもその流れだ。書籍に現れている情報をそのまま持ってきているのは、そして語り口調をも真似しているのは、真に受けているからではなく、書籍という〈ソース元〉からワールド・ワイド・ウェブにおける個人サイトにて綴られるテキストまでが地続きであることを促したかったからに他ならない。

初めて『危ない1号』を知ったのは、ロックバンドをしていた友達が教えてくれたからだ。第1巻はドラッグ特集だったが、手渡されて「ふ〜ん」とたいして興味を示さなかったのを覚えている。ドラッグ幻想はすでに上の世代が尽くしてしまったという考えをそのときすでに持っていたため、深夜番組、吐夢書房、根本敬、ユリイカ別冊『悪趣味大全』、秋田昌美、ペヨトル工房、骰子、他、インディペンデントなどの影響を受けていた僕は第2巻「鬼畜」特集でようやく購入に走り、第3巻「快感」特集に興味を示したが、青山正明を1人の発信者として強く認識したのは(ほとんど晩年)某インタビューと第4巻を読んでからだから、だいぶあとの1999年になる。

それに遡る1996年に、先のロック友達に誘われて3週間もっと平和だった頃のタイを放浪した。チェンマイ、パンガン島、バンコクなどをバックパッカーのように移動し、象に乗るトラッキングツアーで山や河を延々移動し、猟銃の発砲を見、クサに関してはある雨のなかトイレへ行こうと小屋をでた途端に視界が東京の街並みに変化したのは面白かったけど、それを一度経験したのは良かったものの、クサが読書には向いてないという結論がでたのもこの頃で、『危ない1号』の新刊がゆっくりと刊行されていた〈当時〉を振り返って、ドラッグ幻想こそなかったものの他に不可解な幻想を抱いていた僕は、ディスタンシングをもって構造に走り、法治国家というディシプリンからこそ身体と結びついたBDSMの持つ官能に関心を移していくのだ。それが1998年だから、僕は青山正明という発信者をそのあとで認識したことになる。

たびたびルートの開拓的な意味あいをもって述べてきたように、僕は、徹底的な快楽主義者としての青山正明の持つユーモアセンスにこそ励まされていた。そして僕にとっての他者である、根っからのケミカルジャンキーが視る世界のあり方に影響を受けた(青山正明の嗜好品はケミカルに尽きないが、そもそもクサ好き/紙好きな発信者へのアンチテーゼとして青山正明のドラッグライターキャリアは知名度を獲得し得た。青山正明はニューエイジ外部のライターではないと思う。胡散臭さがまとわりついた当時のスピリチュアルな意識に科学的にニュートラルな要素を施そうとしたニューエイジ最後のライターの1人だと僕は思っている)。人間の基礎的な儀式行為をセットとセッティングという形で形式化してしまうこと。なんでもかんでも効用に還元してしまうこと。業の深さに耐えられるくらいタフであるユーモアセンス。幻想をレクリエーションに言い換えていくこと。すべてがstuffであること。細かくあげれば、例えば、クラブに行って帰ろうかなーと思ったらふっと帰ってしまった方がいいというスタイル(ライブハウスならやっぱり知人に挨拶して帰るべきだと思うけれど、クラブカルチャーというのは本来そういった人間関係のもろもろの常識を抜けたところに可能性があり、そのパーティーが無言で指定しているモラルさえ守ればムショ経験者だろうが裏産業者だろうが、ただこの音でオレは私は生きているのだという地点から自らのプロフィールを棄てて、なんなら性差さえ棄てて――男女と酒というディスコやライブハウスとはベクトルの違うラインだ――スマートに笑顔で踊り遊べるゼロ的、ストイックな楽園だという、抑止力的な側面を紛れ込まさせる光線的な器を維持し続けていくべきだと今でも僕は思い続けている。他にも、青山正明から励まされた部分はある。それは遅咲きのテクノフリークかつクラブ/レイブ フリークであったことや、ロックリスナー上がりだったことなどだ)。つまり青山正明の魅力は僕にとって、快楽主義の日常的極点であるダンスカルチャーにおいての振る舞いの仕方、その一点に集中していくだろう。

ここまで、鬼畜カルチャーと呼ばれたものにまったく触れてこなかったが、まず『危ない1号』をあえて中心として見る鬼畜カルチャーの根っこには、青山正明がstuffとして関心を示した村崎百郎というライターにあるだろうし、その村崎百郎は、およそ遡ればボードレールやその撒いた種などにも行き着くだろう退廃的な散文詩へこそ踏み込むべきだろう(これは、村崎百郎がゴミ漁りをしていたことを消滅させる意味あいではなく、例えば佐川一政の事件後の散文に関しても言いえることだ)。これはあくまでも文筆内で〈妄想にタブーなし〉を自他へ向けて放つ再現行為であり、ならば、それを受容する鬼畜系とは『危ない1号』が売れたという現象そのもののことであり、そこへのルーツないし同時性ないし派生したものとしての自販機本以降のテイスト、改造系や『世紀末倶楽部』などのハードコアテイスト、そして、ナックルズ系や『危ない28号』のような裏モノテイストといったものを購入する層が、当時どのような社会背景を視ていたかに鬼畜系の原型はある。そして青山正明には、世界を笑い飛ばすどころかstuffとして友好的に嗜むための思想の欠片のようなものが文章の至る所に見出せて、その実用書として読むサイクルのなかに僕はいたと思う。世界はカウンターしつつ遊ばざるを得ないものだったのであり、リアルと共存する90年代的カウンターカルチャーの強度に耐え得るものとして鬼畜系があったからこそ、僕は励まされたのだ。

00年代はこのスタイルを、セクシャルカルチャーが変奏している。

_underline,2017

追記※ 10年代は、デジタルクラスタが変奏している

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