マスターピースと有名人と奉納品

マスターピースとオリジナルの続き

昔は,オリジナリティっていうのは,誰が手法や技法を最初に始めたのかが(稚拙でも)重要だったんだと思うんだけど,今の時代はプロトタイプが楽な分思いつきを形にすることよりも,誰が最初にマスターピースと呼べるようなものを作るかの方がオリジナリティを語る上で重要になってきている気がする.https://twitter.com/ochyai/status/823876822253256704

この、「マスターピースと呼べるようなものを作るかの方がオリジナリティを語る上で重要」という落合陽一さんの指摘に対し、考えたことのその後。

マスターピースは一定以上の技巧があるもの

マスターピースは、「マスター(親方・熟練工)として認められるために、ギルドに提出する作例」を指す「Meisterstück」(ドイツ語)を語源に持ちます。なので僕は、「マスターピース」は、「一定水準以上の技巧があるもの」と、捉えています。

そして、すでにマスターとして認められた人の制作物も、だいたいにしてマスターピースとしてとらえられることが多いと思います。

それで、マスターピースかどうかをオリジナル性の判断基準とするなら、「マスターピース相当の制作物か、マスタークラスの人の制作したものはオリジナルになりうる」となります。

着想が同じなら有名人の制作物がオリジナル

わかりづらく書きましたけれど、「着想が同じもので、無名の人の制作物と、有名な人のそれとであれば、後者のほうがオリジナルとしてとらえられる」ということです。

(バーグハンバーグバーグの)シモダテツヤさんがとても良いことを書いてらしたので引用します。

パロディってのは歴史があって、圧倒的かつ認知度がオバケみたいなところからしかやっちゃダメなんですわ。
知名度がないところからパロディしたら、それを見た人って元ネタ知らないんでそれが最初のものだと思い込んじゃうんですよ。

マスターピース、人の技術は誰に見せるものか

こんなようなことをFacebookに書いておったらば、こんなコメントをいただきました。

マスターオリジナルを作ろうとするっていうのは宗教(へんな悪意で使ってません)的なことなのかもしれない。技巧っていうものが(フィレンツェルネッサンス時代の彫刻とかの世界と比べて)可哀想な扱いになってる現在では、何をかつて技巧が持ってた価値の代替物にしたらいいのかってモヤモヤがあるのかもなあ
※ママ

この「マスターオリジナルを作ろうとするっていうのは宗教的なことなのかもしれない。」と、「何を、技巧の持つ価値の代替物にしたらいいか、モヤモヤ」というご指摘で、また思いを巡らせました。

神がいなくなったあと、技術は何に奉るべきか

かつて、人の手による技工物は、たいがい「神性への奉納品」だったと思います。

なので、マスターとして認められるイコール、「神さまに見せても恥ずかしくないものを作れるレベルの人」という意味もあったんじゃないかと推察します。技術を守り継ぐための実効的な教師となる存在と同時に。

なんだけれど、神性は死んだので、むしろ現在は「誰に見せるためにワザ磨いてんだ?」ということもあるのかもしれないですね。何か、人に見せるだけでは満足できないものがあるのかもしれない。もっと大きなものに認められたい、という欲求が。自覚無自覚によらず。

僕は特定の宗教に属さないし、無神論者ですが、「つくったものを人以上の存在に見せるつもりで制作にあたる」というのは、ちょっと面白いなと思っています。

ウソ予告

「AIの生成物は奉納品になるのか? デュエルスタンバイ!」

One clap, two clap, three clap, forty?

By clapping more or less, you can signal to us which stories really stand out.