シリコンバレーで僕らが500 Startupsに投資されるまで

Yusuke Takahashi PhD
19 min readOct 22, 2014

この記事は、スタートアップについて何も知らなかった僕が、1冊の本との出会いによって、シリコンバレーに“招待”されるまでの経験を綴ったものだ。《カスタマーデベロップメント》という手法に出遇うことで、単純に顧客の課題や製品について検証をするのみならず、思いがけない素晴らしいご縁やセレンディピティにも恵まれて、シリコンバレーで仕事を始めるためのスタートラインまで導いてもらえた経験について記している。

  1. 転身(けれど、何も分からず、アイディアや事例先行で失敗を繰り返す)
  2. 検証の旅(アドバイザーの一言。長旅の暇つぶし。検証開始。ビルの外に問題と顧客候補があった)
  3. セレンディピティと奇跡(思いがけない出遇い、招待、投資)

転身

2009年7月、右も左もわかないまま、僕はスタートアップの世界に飛び込んだ。完全にゼロからのスタートだった。コンピュータサイエンスのフィールドにてPhDを取得した直後、僕は大学院での研究者としてのキャリアを捨てて、それまでとは全く分野の違うビジネスの世界に足を踏み入れたのだ。

素晴らしい先生方のご支援のもと、PhDを取得するまでに引き上げて頂いたし、若手の僕が文部科学省から科研費を頂きながら研究を続けることもできていた。また、博士取得後には、国立の研究所や名門大学でのお仕事のお話も頂くことができていた。

当然、(僕が優れた研究者であったかどうかは別として)世間から見れば日本のトップ私立大学で、これからが期待されるコンピュータ科学、データベースの分野でPhDを取得し、科研費も取得していた僕は、将来の大学教授としての未来が約束されているようにも見られていた。大学院、および、研究室の中でも、研究員としてのお仕事を頂き、国内外での研究発表の機会や、国際共同研究での海外出張等、沢山のチャンスを頂くことができていた。けれど、僕の中の欲求において、何かが足りていないような気がしていたのだ。

大学での研究者としての生き方は嫌いではなかったし、課題を見付けて、新しい方法論を検証を伴って解決していく「科学者としての仕事のプロセス」は、芸術家のそれと同様にクリエイティブなプロセスでもあり、大好きだった。

けれど、その違和感を持ちながら、僕は、大学での仕事を辞める決意をした。妻の親戚一同からは、猛反対を受けた。将来の大学教授が、娘との結婚後に、フリーターになると言ったのだから、その気持ちは僕でもよくわかる。日本では、他の多くの先進国と同じく、リスクのあるキャリア設計は、文化的にも、社会的にも奨励されていない。この話は、BBCで取材を受けた時に一番大きく取り上げられるほどだった。

検証の旅

その後、暫くフリーランスでウェブサイトやアプリの企画、設計、開発や、カレンダーや名刺やポストカード等の紙媒体のデザインをしながら過ごしていたけれど、大学をやめたときに感じていた違和感をぬぐい去ることはできずにいた。

そんなおりに、僕の知らなかった、シリコンバレーやスタートアップという言葉を謳うOpen Network Labというのが始まるということを知った。今思えば、Startup Digestというスタートアップのイベント情報をボランティアで配信して下さっていた奥田さんのお陰でONLabが主催するイベントを知ったのがきっかけだった。

チャンスを頂くかのように、Open Network Labの1期生としてご支援を頂けることになり、独立後のそれまでの労働集約的な働き方から、リスク(不確定要素という意味ではなく、成功と失敗の振れ幅を大きくするという意味で)をとって、スケーラブルな事業を創っていくスタートアップという仕事の仕方に、次第に虜になっていった(ここでは、沢山の出会いと、安田幹広氏や前田紘典を中心とした沢山の人にお世話になった)。

けれど、大学での研究者出身の僕が簡単に成功できるほど、甘い世界ではなく、アイディア中心でモノを創り始めても、あるいは、単純に僕の専門性やバックグラウンドを活かした製品を作ろうとしても、失敗の数を重ねるだけだった。今思えば、理由は、簡単だ。顧客について知らず、ビルの外に出ることをしていなかったからだ。このときも、まだ、僕の違和感は解消できていなかった。

生活も苦しくなってきて、どうしようもないという状況の中で、僕は、シリコンバレーにアイディア検証の旅に出ることにした。当時、僕らはモバイルに明るい未来があると信じていて、そのサーバサイドを支えるBAAS(backend-as-a-service。モバイルアプリのバックエンドを提供するサービス)のようなサービスに興味を持っていた。そんな状況の中で、僕は弊社のアドバイザーであるNils Johnson氏と小林清剛氏に相談をすることにした。彼らは、今では家族付き合いもしていて、親友と呼べる友人でもある。

Nil Johnsonと。いつも的確で素晴らしいアドバイスをくれる素晴らしい友人。Source <https://www.flickr.com/photos/joi/5056589673/>

Nilsは、ONLabを通じて知り合い、その後継続的に、貴重なアドバイスをくれていた。彼のアドバイスはこうだ:「東京で仕事ができることは大きなアドバンテージだ。日本人の君が成功できる確率は日本にいた方が遥かに高い。海外への引越しは大きな労力を要するし、君は日本人だし、これまでに培ったネットワークもある。シリコンバレーに来るということは、そういうものが全てクリアになってしまうことだ。僕からのアドバイスは、それでもどうしても来たいというのであれば、最低1ヶ月間滞在して、東京で仕事をするのよりも君たちにとって良いということを実証できたら、こちらに来ることを応援するよ。」 これ以外にも、彼もアジアで起業を経験したことがあるからこそ言える、経験に基づく貴重なアドバイスを沢山くれた。

小林きよちゃん(中央で白い箱を持っている)。この日は、彼の事業のエクジットが決まった直後に、仲の良い同世代の東京の起業家達とささやかにお祝いをしたときのもの。 Source: <https://www.facebook.com/photo.php?fbid=562252620454768&set=t.802391121>

一方で、小林さんとは、ONLab同期の友人を介して知り合い、その後、一緒にStartupTokyoというイベントを主催したり、一方で、起業家として先んじていた彼からいつも貴重なアドバイスを沢山もらっていた。彼に話すと、「明日行っちゃえば良いじゃない?」と。僕が「帰って考える」というと、「そうすると一週間は遅れるよね。スタートアップの1週間は、世の中の1年くらいの価値があるよ」と言って、「買わないなら、今僕が代わりに買っておくよ」と言うので、結果的には、僕自身がその場で自分でチケットを買うことになった。妻への相談もなしに。出発は、1週間後だった。深夜に神泉のファミリーレストランを出る時、僕が持っていたのは、大きな不安と、未検証のアイディアと、東京からサンフランシスコへの1枚の片道切符のみだった。

彼ら2人は、アイディアや思いだけではなくて、「ビルの外に出て(顧客のいる場所に行って)検証することが大事」ということを違った角度から明確に示してくれていたのだ。

その後素早く準備をして、飛行機に乗ったけれど、到着後にどんな検証をするのかについては、十分なプランを用意できずにいた。見込み顧客に製品を見てもらって、欲しいかどうか聞くというレベルのイメージしかなく、綺麗なスライドやデモを用意したいということくらいしか考えてないなかった。

飛行機に乗って、暫く考えながら、こんな感じで検証しようということを考えた後、プレゼンテーションのためのスライド設計までできたので、少し気分転換をすることにして、おもむろにiPadを開いた。買ったまま読んでいない書籍のリストを眺めていた。そのときに発見したのが、その後の僕の人生を大きく変えるきっかけをくれることになる一冊の本だった。

そこには《アントレプレナーの教科書》と書かれていた。僕は、僕自身をアントレプレナー(起業家)だと考えていた。知り合いのVC(今は、Cool Japanファンドに携われている小川さん)から推薦されて購入したものの、ここに書かれていることの価値を理解しきれずに、放置したままになっていたのだ。今更、教科書が必要なのかな?と思いながらも、これまでに暗中模索しながら、周りの友人達やアドバイザーたちから学びつつ、実践してきたものの「復習」でもしようという感覚でページをめくり始めた。

僕の人生を変えた一冊。Steve Blankの『アントレプレナーの教科書』。原典の英語版のタイトルは『悟りを開くための4ステップ(“The Four Steps to the Epiphany)』 という。文字通りの素晴らしい書籍。

その後のことは、今でも鮮明に覚えている。目から鱗が止まらなかった。うずうずして、早く飛行機の外に出たくて仕方がなかった(上空10000メートルだったのであきらめたけれど)。

サンフランシスコに降り立ってからわずか3週間後に、Steve Blankに直接お会いする事ができた!Startup Grindを主宰するDerekのお陰。

そこには《カスタマー・デベロップメント》という手法が紹介されていて、アイディア先行で、キャズムを超えらず、事業をスケールさせることのできない起業家のための書籍だと書かれていた。書いてある起業家の問題点は全てこれまでの僕に当てはまっていて、一方で、そんな僕が、今どんな状況にあって、その状況から次のステップに進むために何をすべきなのかが、明確に記されていた。飛行機の中で、寝る間も惜しんで、その書籍を読みふけった。何度も何度も確認したり、自分の状況に合わせてメモを取りながら、着陸までに少なくとも2回は通読をした。サンフランシスコに降り立ったときには、未来が不確定な状況は変わらないものの、東京を離陸したときに抱いていた不安は一切なくなっていて、どうやって答えを見付けたら良いか、どうやって顧客を検証していけば良いのかがはっきり分かっていた。自分が、今どこにいて、何をすべきかが明確に分かっていた。

それからの毎日は、楽しくて仕方がなかった。まず最初には、僕らが考えていたアイディアを一枚のPDFファイルにして、それをiPadに入れて、毎日沢山の”潜在顧客”に会いにいった。東京から来た見知らぬ若者であり、シリコンバレーでは何者でもなかったけれど、「僕がカスタマーデベロップメントをしているのでお話を聞かせて欲しい」と伝えると、シリコンバレーではほとんどの場合、「OK!4ステップのうちの、どのステップにいるのかな?」という言葉とともに、親身に話を聞いてくれて、フィードバックをくれた。

これは検証後期のMVP。この段階でもまだコードは1行も書いていない。Slideshare: http://goo.gl/ILacp.

彼らに会いにいくときには、MVPを持っていくようにした。MVPとは、カスタマーデベロップメントやリーンスタートアップといった、ビジネスの立ち上げをいかに効率的に進めるのかについての方法の一つのツールで、「アイディアやニーズの検証が可能な最低限の製品」という意味だ。MVPには、僕らが考えていた製品の概要、複数の機能リストを絵にしたものと、興味があればここにメールをしてねというメールアドレスだけを書いておいた。これは、検証の旅を始めてから参加したLuxrのワークショップで学んだLeanUXをすぐに取り入れて、実践したものだ。

LEAN UXと言う言葉の生みの親であるJanice Fraser(写真右)と。東京での出会いの後、San Franciscoでも再び彼女のワークショップに参加して、アイディアの検証方法を学んだ。

彼らは、「良い製品だね!」とか、「こういう理由で僕の会社では必要ないよ」とか、「この機能は今すぐにお金を払ってでも欲しいよ」とか「この機能がこうなれば欲しいよ」とか、「このくらいの金額ならすぐに使いたいよ」といった沢山の、様々なフィードバックをくれた。「製品のタグラインをこのように修正したら?」と教えてくれる人もいたし、部分的に似たような機能を提供している他社の製品のことを教えてくれたり、その他社製品への不満を教えてくれたり、関連した専門知識を獲得できて専門家が集まっているウェブサイトやメディア、コミュニティ、イベントやカンファレンスなどのことも教えてくれた。日本から来た見知らずの若者である僕に、関連する分野の専門家を紹介してくれる人もいた。

このプロセスで学ぶことができたことは、僕らの”潜在顧客”にとっての本当の課題や、僕らの製品が提供しうるバリュー・プロポジション、誰がこの分野の専門家なのか、僕らのアドバイザリーボードのメンバーになってくれそうな人は誰なのかといったことだった。毎晩、僕はその1枚のPDFファイルから、“潜在顧客”にとって不要な機能の“絵”は「削除」し、もらったフィードバックに関連した課題を解決できそうな機能の“絵”を「追加」し、彼らが価値があると感じたポイントに併せて機能リストを表示する「順番を変え」たり、一日おきにタグラインを変えてみてそのバリュープロポジションの「A/Bテスト」をしたりした。これは「ビルの外に出よう」というSteveのアドバイスと、東京で知り合って(その後弊社のアドバイザーにもなってくれた)Ian McFarland氏の「開発のコストを少なくする方法は、コードを書かないことだ。その前に検証できることが沢山あるよ」というアドバイスによるものだった。そして、最終的に、誰に会っても「良いね!今すぐにお金を払ってでも欲しいよ!」と言ってくれるまで、1ヶ月以上期間をかけながら、解決策を「洗練」し続けた。僕は、この間に、一枚のPDFファイルのみを携えて、200人以上のCEO、CTO、VP Marketing、VP Growth、Product Managerに会った。余談ではあるけれど、彼らの多くと良い友人にもなれた。

結論としては、渡米前に僕が用意していた”アイディア”は、僕が見込み顧客と考えていた人たちには(ほとんどの場合)必要ないものであることが分かった。けれど、同時に、彼らにとっての共通の(別の)課題も明確になった。つまり、僕らが考えていた、モバイルのアプリのためのバックエンドをソーシャルに提供するようなクラウドサービスは、一人のRailsエンジニア(バックエンドエンジニアとして)を採用したら必要がなくて、でも、彼らに共通の課題は、モバイルアプリのマーケティングやユーザ獲得であった。一方で、そのための現状の方法は、高いコストをかけた有料広告以外には効果的な方法がなかなか見つかっていないとのことだった。ほとんどの”潜在顧客”にとっては、それは尋常ではない高コストな方法であって、一方で、それを解決するために”グロースハッカー”という人たちが存在していて、彼らが広告費をかける代わりに、クリエイティビティと技術力を駆使して、ユーザ獲得や収益化の問題を解決しているらしいということも分かってきた。

僕らは、そのプロセスで出逢ったいくつかの企業と契約をすることができて、残りの滞在期間はその企業のデスクを借りて細かい課題を聞きながら、日本に残してきている仲間とともに製品を作り直し始めた。そして、製品を作ってまた戻ってくるということと、日本に戻っている間もSkype等で定期的にフィードバックをもらえる約束をしてシリコンバレーを後にした。

余談ではあるけれど、最初の契約を取れたときのことは今でも鮮明に覚えている。彼は、経験のある起業家であり、Quest Venture PartnersのAndrewとMarcus兄弟からのご紹介で、あるミートアップの会場にてお会いすることができた。彼に僕らの”解決策(あえてアイディアとは言わず)”についてお話をしたら、ニコッと笑い、即座に「すぐ使うよ」と言ってくれた。「使わない理由はないよね。僕らがその製品を使って、君たちが儲かるイコール僕らも儲けさせてくれるということだよね?」 そして、そのあと彼は僕がそのあと何度も何度も聞くことになる言葉を口にした。「僕らも沢山の先輩達に応援してもらってきて今がある。君の役に立てれば僕も嬉しいんだ。いつか君も同じように君の後輩を応援してあげて欲しい。 シリコンバレーへようこそ!」

そのあとは、時間は思ったよりもかかってしまったけれど、変化の多い市場の中で顧客の課題を常に把握しながら、製品を開発し、ブラッシュアップを続けている。

秋にサンフランシスコに戻ったときには、春の検証の際に会った人たちから素晴らしいフィードバックを沢山もらうことができた。「僕らが、今まさに欲しかった製品になっているね!(You are on the truck!)」

日本が世界に誇るバイオリニストの葉加瀬太郎氏と。J-WAVEの彼の番組にゲストとしてご招待いただきシリコンバレーでの経験についてお話をさせていただいた。 Source: <http://yusuketakahashi.com/post/39647380801/j-wave>

顧客開発のプロセスでは、もう一つ素晴らしい副産物があった。グロースハッカー達との出会いだ。その素晴らしい出会いについて日本語で紹介を始めたところ、大きな反響があり、書籍の出版が決まったり、その内容に関して講演の機会を頂くまでになった。

Steve Blankにお会いできた際に質問したところ、「グロースハックという考え方は良いね。顧客開発やリーンスタートアップがシリコンバレーのカルチャーに浸透していった結果、少人数で素早い検証を回していくためには、エンジニアも顧客に理解がある必要があるから」

セレンディピティと奇跡

PhD取得後に不足していると感じていたことは、自分の創ったもので喜んでくれる人が嬉しいという僕の原体験によるものだった。

学部生時代には、キャンパス内でゲリラバーベキューをしたり、ハロウィンパーティをしたり、校舎の壁面に映画を流してドライブインシアターのようなことをしていたりしていた。そういうことが評価されて、大学公式のホームカミングデーのイベント運営を大学から受注するようになったり、その後、権威あるSLYFFから”Young Leader”と名のつく奨学金から日本国内での2枠の1人選ばれて、大学院の学費を支払ってもらうことができた。

僕らは500 Startupの主催するシードアクセラレータプログラムに招待されて、世界中から集められた同世代の優秀な起業家達と切磋琢磨する機会に恵まれた。写真は、3ヶ月間の研修期間最後のデモデーにて撮影。 Source: <http://whatspinksthinks.com/2013/08/07/review-of-the-500-startups-accelerator/>

Steveの言う通りに、「業界のご意見番や顧客候補になる専門家に会い」続ける中で、彼らと友人にもなり、弊社のアドバイザーになったり、投資家になってくれたり、他の投資家への推薦をしてくれたりした。顧客開発をSteveの助言とおり忠実に実践しなければ、ビジネスのこともスタートアップのことも何も知らないままスタートし、日本から突然やって来てシリコンバレーでの実績も何も持たない僕らが、Dave McClure氏やGeorge Kellerman氏から招待受けて500 Startupsのプログラムに参加し、彼らを含む沢山のエンジェルから資金調達をすることもなかったと思う。そして、日本有数のグロースハッカーや、トップiOS開発者のメンバーに恵まれて、シリコンバレーの中心地であるMountain Viewで500 Startupsのアクセラレータプログラムに参加することもなかったと思う。2013年の4月、招待を受けて、僕らにとってのスタートラインに立つことができた。家族と、仲間と、個々には書ききれないほど沢山の支えてくれたの友人達と、Steveのお陰で。

AlexとPatricia夫妻は、9週間の検証期間中に数回ソファを貸してくれた恩人。 滞在中に彼らの友人を招いて行った手巻き寿司パーティにて。彼らは、いまでも僕の最高の友人達。

最後に、このストーリを締めくくる前に、ベイエリアに新しくできた新しい友人達について触れておこうと思う。9週間に渡って、9個以上のソファに泊めてくれた友人達には感謝しても仕切れない。彼ら全ての名前を挙げる事はできないけれど(それぞれのストーリは、また別の機会に語る事にしようと思う)、彼らは、いまではこの街における僕の親友達だ。改めて、どうもありがとう。

(この記事は、英語で書いた記事を日本語にしたものです。元の記事はこちら。)

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Yusuke Takahashi PhD

Entrepreneur, Computer Scientist, Cycle Road Racer, Beer Lover, A Proud Son of My Parents, Husband, Father, Trail Runner (**new**)