【歴史】 塩金交易すげえ! アフリカのイスラーム交易ネットワークを学ぶ
「イスラーム史A」の授業で、小東の発表当番がありました。テーマは「アフリカにおけるイスラーム交易ネットワーク」。アフリカゼミを代表して(?)、頑張りました!
※これはアフリカゼミの総意ではなく、小東の個人的な研究として受け取って下さい。
●指名された “アフリカ”
山岸先生の授業方針により、学生が持ち回りで20分程度のプレゼンをやることになっています。これが、4月に発表された当番表。小東だけ、名指しで「アフリカ」というテーマが与えられています…!
●塩金交易とガーナ王国
アッバース朝が衰えはじめ、北アフリカのファーティマ朝やスペインの後ウマイヤ朝にもカリフ(雑な言い方をすると、王様)が生まれる、激動の「3カリフ時代」。
この時のイスラーム王朝は、塩と金の交易をしていたガーナ王国になんとしても繋がりを持ちたかった。こうして、モロッコ東部やチュニジア南部にルートを開拓し、黒人アフリカ世界とイスラーム王朝の交易の土台ができました。
●ムラービト朝の宗教統一運動
後ウマイヤ朝の次の生まれたのは、熱狂的スンナ派であるムラービト朝。シーア派のファーティマ朝とは交易ルートを巡って戦いもおきました。独自の交易ルートを開拓していき、繋がりを強めたムラービト朝は、最終的にガーナ王国を征服してしまいます。「滅亡させた」とは言い難いですが、弱体化を誘ったのは確かだといえます。
このガーナ王国とムラービト朝の接触こそ、アフリカ地域にイスラーム教が普及するきっかけとなったのです。ちなみに、交易とイスラーム伝播の流れは、けっこう世界中で共通するパターンだそうです。小アジア開拓したセルジューク朝とか。
●黄金の国 マリ王国と、マンサ・ムーサ王
ガーナ王国の後にできたのは、マリ王国(マリ帝国とも言うみたい)。その最盛期の時代にはマンサ・ムーサ王がいました。マンサ・ムーサ自身もイスラーム教徒で、メッカに巡礼したり、イスラーム教徒を支持する政策を取ったりしていたそう。一方で、異教徒にも塩や金を交易していました。(なるほど、平等を尊重する宗教とも言えます。)
この時代は金が北アフリカ地域に流れ過ぎて、金の価値が暴落したそうです。俺にも金くれ。トゥンブクトゥやガオなど今でも実在する都市は、最盛期のマリ王国の舞台となっていました。ちなみに、「三大陸周遊記」を書いたイブン・バットゥータも来訪したそうです。
●まとめ
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
当発表には、私市正年氏の「サハラが結ぶ南北交流」(山川出版社)を参考にしました。