1019 五感をゆるく、全開にしよう

好きなものはいくらあってもいい。

ニュースやらSNSのタイムラインやらを見ていると、なんともなくそう思う。けど、今日は身体の力が抜けていて、「好き」っていいよな!なんて力強い話は続いてこない。そんな気分でいるのには、原因が色々ある気がする。といっても、一昨日甥っ子と遊びすぎたとか、その後薄着で散歩に行ってしまったとか、電気を消さずに寝落ちしてしまったとか、適当でやっすいやつ。帰りの電車でさえ、直通運転を待ってでも座って帰りたい気分。

この、よく感じることのある気怠さは、文字通りズンと重くて、同時に何故か心地よいものでもある。自分の中の感情をフラットにして、五感を鈍らせるものだから、ずっと浸かっていると真っ青な海の中にいるみたいに、上下左右の方向感覚が狂ったように分からなくなる。何か自分の世界に蓋をされている感じがする。自分でしていることに気づかないだけかもしれないけれど、その方がもっと怖い。

自分の感情とか感覚ってものは、ナマモノだ。時間の経過とともに今が「この瞬間」から遠ざかっていくにつれて、感触とか、匂いとか、色鮮やかさはみるみる錆びついてしまう。時間を空けて書いた記事は面白みに欠けるし(自戒)、日記を読み返す未来の自分と全く同じ感情を分かち合うことはできない。だけど、少しでも繋ぎとめておきたいから、こうして文章を書いたりする。自己満のくせに、これ読んでくれないかなって思う人がどこかにいる。

感じたことを錆び付く前にするんと形にできることは、才能だと思う。それは努力とかライフハックでなんとかなるとも言えるけど、それだけじゃないと思う瞬間が、友達と話しているとよく訪れる。彼女の共有してくれる曖昧さは不器用だけど繊細で、リアルな生活そのものだ。ハイコンテクストに寄りかかって無表情なんてかっこ悪いよ。おいしいものを食べたらおいしいって言いたいし、楽しいことは五感フルに使って感じたい。好きなものは好きでいいし、いくらあってもいい。

そんなことをぼーっと考えていたら、伝えることにパワーなんて要らないと思った。感じた時の力が抜けててもいいんじゃないかな。ゆるすぎだなんて言わないで。

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