現代に生きる「戦艦大和」の技術

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戦艦大和は無用の長物だったのか

「戦艦大和」は、沖縄特攻を命じられて出撃した。そしてその途中で、米軍機100機以上の直接攻撃を受け東シナ海であえなく轟沈した。大和が永遠の眠りについているのは、長崎県福江市男女群島南176km 、北緯30度43分、東経128度04分、水深345mの海底である。

「戦艦大和」は、巨艦大砲主義の象徴であった。しかしながら、太平洋戦争中に艦隊決戦など望むべくもなく、ほとんど活躍の機会を得ることなく海の藻くずと消えてしまった。それは、いかに強大な戦艦と言えども、航空機の時代には通用しないことを自ら証明する無残な結末であった。

「戦艦大和」は、ちまたで言われるような無用の長物だったのだろうか。決してそうではない。「戦艦大和」は、日本の工業技術の粋を集めて建造された。その過程で磨きをかけられた技術が、戦後日本復興のために各方面で大いに役立っている。ここでは、そのことについて、少しずつまとめてみようと思う。

1)砲塔の旋回技術

プロジェクトX~挑戦者たち~(NHK)

プロジェクトX~挑戦者たち~
 第172回2005年05月17日放送
 「東洋一の巨大ホテル 不夜城作戦に挑む」

第18回オリンピック東京大会の開催(1964年10月、昭和39年)が決定した頃、日本で海外からの宿泊客を大量に引き受けることのできるホテルは、圧倒的に不足していた。

「ホテルニューオータニ」(千代田区紀尾井町)は、オリンピック開催に間に合うように建設されたホテルの一つである。当時日本で一番高い地上17階、1000室を誇る東洋一のホテルだった。

ところが、何と建設が始まったのはオリンピックの前年(昭和38年)で、わずか17か月間で設計・施工をすべて終えた空前の突貫工事(15か月)だったという。工事方法や建物の構造の工夫、あるいは風呂場の水回りに、世界初の「ユニットバス」を採用するなど、工事のスピードアップのため様々な試みがなされた。そして、これらの建築技術は、その後、日本の超高層ビル建築でことごとく採用されている。

ホテルのオーナーは、大谷米太郎(おおたに・よねたろう)であった。その彼が、工事の途中で、最上階の17階に世界一の大きさ、直径45mの巨大回転ラウンジ建設を思いついた。本体工事そのものに時間的余裕がないにもかかわらず、とんでもない遊び心を出してきたものだ。

いくらやっても、巨大回転ラウンジはスムーズに回らない。最終的には、「戦艦大和」の主砲(46センチ砲)の砲塔を旋回させた技術を導入して、やっとなめらかな動きと精度が得られるようになったと言う。1時間に1回ゆっくりと回転する巨大フロアは今日も元気に働いている。