「成功者をパクる」ってのがあるけど、なんだかうまくパクれない。

んー、なんか言い方が違うな。

パクることが困難ってわけじゃないし、自分なやり方に固執してパクろうとしないってわけでもない。

パクるってことに抵抗があるわけでもない。

ただなんだか、パクるってことにやる気がでないって感じ。


成功者の「やっていること」に、実は興味がなかった。

いわゆる「成功者」の、世間的な成功の内容。

ここにぼくは全く興味がないってことに最近気づいた。

「興味がない」ってたぶん言い切っていい。

◯◯をして大成功!◯◯をしてお金持ち!◯◯によって高い評価を得る!
その◯◯の部分に興味がなかった。

ぼくが「成功者」って言われるような人に抱く憧れみたいなことは、
「自分の人生」を生きているってところ。

だから、世間的な評価がなにもない人でも
あーこの人は自分の人生を楽しく生きてんねやなって思う人には強い憧れがある。

「憧れ」が自分の人生を生きる邪魔をしていた

その人に憧れるがあまりに、自分の人生を生きることを困難にしていた。

憧れをなぞろうとする。それって他人に人生を生きようとすること。

自分が他人の人生を生きようとするとき、そこには「我慢や無理、今の自分を否定する」ということが起こってしまう。

嫌いなことも憧れのためにやる。

そうやって自分を否定しながら、他人の人生を生きるなんてやりたい気持ちにならなくて当たり前。

それじゃサラリーマン、yesマンこそ正義の組織人となんら変わらない。

他者から学べるものは「遊び方」

自分の人生を楽しんで生きている人ってようは遊んでいる。

仕事だろうが家庭だろうが、すべて「遊び」にしてしまっている。

だからぼくもまずは遊んだらよかったんや。

そのぼくの遊びをもっと楽しむために、もっとおもしろくするために、
成功者から「遊び方」を学ぶ。遊び方をパクっていく。

ぼくが大好きな遊びに他者のめっちゃおもしろい「遊び方」を取り入れ試していけば、ぼくが大好きな遊びがもっともっとおもしろいものになる。

自分の人生に他者が発してくれている有効な情報を取り入れるってこういうことやったんよ。

憧れのままに弱みを潰そうとしていたら…

ぼくは情報収集で頭がパンクしたことがある。

成功者の言葉やうまくいっている要素を手に入れては、自分のものにするためにまとめたりしていた。

けれど、それって他人のもののままだから、自分のものになっていないただの知識やから、どんどん忘れそうになるんよね。

けど、その知識を自分のものにしたら「憧れ」の存在になれるって思い込んでたから、忘れないように、もっと理解できるようにってずっと思考をフル回転していた。

けれどそれって自分を見失ってしまう行為やったんよね。

ずっと知識で頭がいっぱいやから、自分の人生をまったく味わうこともなく、
今の自分を否定しながら憧れの存在が持っている要素を吸収しようと、自分の強みに目を向けることなく。

自分の人生を生きるために、その一つの道を進みたかったはずなのに、
無限に選択肢だけ増やして、自分で勝手に複雑に…自分の人生を見えなくしてしまっていた。

理解なんて後付け

結局のところ、得たものを先に理解しようとしていたからそうなったんよ。

「成功者をパクる」そのパクるものって「遊び方」。

その人が「こうしたら楽しいよ」ってものが、自分に合っているかなんてやってみないと誰にもわからない。

だから自分の「好き・やりたい」に使えそうなものだけ、とにかく使わせてもらったらいい。

うまく合えば身体が勝手に理解するし、思考が勝手にまとめてくれる。

なんか違えば捨てればええだけなんやし。

情報とは「遊び」の選択肢ではなくて、おすすめの「遊び方」。