公共の場で泣きわめく子供を黙らせる方法

先日、すこし用事があってとあるお店に行った。目当てのものを探しながらウロウロとしていると、広い店内の向こう側から、なにや子供のすすり泣きが聞こえてくる。たまたまそちらに目当てのものがあったので、近づいてみるとその子供はすすり泣いてはいなかった。泣きわめいていたのだ。さも今この瞬間がこの世の終わりかのように。

日本は狭いので、やたらと泣きわめく子供に出会う。電車のなかで、べつのお店で、街中で。3歳〜5歳くらいの子供がわんわんと泣きわめいている横で、母親が困っていたり、怒っていたりする。母親によっては気にも留めない人もいて、「それはいかがなものか、騒音公害だ」なんてネットでちょっと話題になったりする。わたしがそのお店で出会った母親は、よく出会う母親とはすこし毛色が違った。

喚く子供に母親がとった行動

正直、わたしは子供が好きではない(というか基本的に人間が好きではない)ので、これまで泣きわめく子供に出会うと自分の子供時代を思い出しては「わたしは公共の場で泣きわめいた記憶なんかないぞ」とイライラしていた。そんな子供を平気で野放しにする親にもイライラしていたし、子供と同じぐらい耳障りな声で当たり散らす親にもイライラしていた。とにかくうるさい。ましてやそのお店で出会った少年はわたしがこの一年で見たどの日本人の子供よりも大きな声で喚いていたのだが、なぜだかわたしはイライラしなかった。なんせ母親に気を取られていたのである。

少年の要求はこうである。おもちゃを3つ買え、というシンプルなものである。

母親の提示した条件は対して3つにわかれていた。ひとつ、おもちゃを1つだけ買うというルールを守ること。ふたつ、おもちゃを3つ買ってもよいが、その代わりに帰宅したあとのおやつはないこと。みっつ、どちらも受け入れられないなら、何も買わず、おやつもないこと。べつに何の変哲もない、ただ常識的な条件である。

わたしが感服したのはこの条件に対してではない。母親の行動である。かれこれ10分は喚き散らしている子供について、母親は前述の3つの条件を繰り返し言い聞かせる以外何もしなかった。もちろんなだめすかしたり、子供の要求を呑んだりしているわけではないのだから、子供は喚き散らしっぱなしである。店内の注目も徐々に母親と子供に向けられていく。15分、20分と時間が過ぎて、そろそろ諦めて出て行くのではないか、と思ったころ、ふとまたそばを通り過ぎると、母親は相変わらず前述の3つの条件を言い聞かせる以外何もしていなかった。ある客は子供の壮絶なわめきっぷりに、店員に何か小言を言っていたが、母親は動じない。結局、おもちゃを1つだけ買ってもらった子供は、未練で泣き喚いたまま母親に連れられて店を出て行った。その声は店を出たあとも、遠ざかるパトカーのサイレンのように聞こえていた。

「一貫したしつけ」の重要さについて

ところでうちの愛犬の話になるのだが、これがまた頭のわるい犬である。チワワというのはそもそも脳みそが小さいのか、平均的に頭のわるい犬であるらしく、最近はスーパーなどの袋に敵対心を抱くようになり、さんざん吠える。ひっくり返そうが、マズルをつまもうが、ケージに突っ込もうが吠える。だんだんこちらがイライラしてくる。大体上階の住人にひどい迷惑ではないか。散歩に行っても吠え立てるものだから、人が通り過ぎる度に抑えこんでは「すいません」を連呼したり、そもそも散歩に行きたくなくなったり、という日々が続く。

要はわたしは人に迷惑をかけるのがこわいので、愛犬のしつけについて、「吠えるという行為をやめさせる」よりも「吠える行動をなるべくさせないような状況をつくる」ということを重要視してしまう。ダンナはといえば、「ダメなものはダメ」という徹底された精神から、いくら犬が可哀想でも、しつけのためには鬼と化す。こうなると、チワワのみならず、犬というのは相当混乱してしまうそうだ。なにせ規則に一貫性がないからである。何に従ったらよいのかわからず、結局しつけられないまま終わってしまう。

喚こうが叫ぼうがルールを設けたら徹底すること

話を戻そう。人に迷惑をかけるのがこわいから、とか、面倒くさいから、とかいう理由で子供のしつけをおこたるのはいただけない。面倒くさいから放っておく、という母親は少数派だろうが、人に迷惑をかけたくないから、「おもちゃは買ってはいけない」と言っていたのに、黙らせるためだけに子供の要求を呑んでおもちゃを買ってしまう、といった状況はよくあるのではないだろうか。とりあえずわたしが育った家庭ではよく見られた光景だ。

「おもちゃは特別なときを除いて買ってはいけない」というルールを設けるつもりなら、それは徹底しなくては効力を発しない。たまに疲れ果てたからといって黙らせるためにおもちゃを買ったり、別のときは恥ずかしいのでとりあえず泣きわめく子供を車に押し込んで帰路を急いだり、「おもちゃを買ってもらえる状況」と「買ってもらえない状況」にはっきりとした線引きがないと、子供は混乱する。肝は一貫性徹底なのだ。

それでも恥ずかしい思いをしたくないアナタに

そのお店で出会った母親は、店内の人間の白い目も、一緒に買物をしていたママ友の目も気にせず、ただただ冷静に繰り返し子供に3つの条件を提示しつづけていたが、ママ友までいるんだったら恥ずかしくて泣きわめく自分の子供なんか穴があったらぶち込みたい、という貴女にお伝えしたい。正直な話、わたしはこれまで泣きわめく子供に出会ったら貴女の代わりに防音室に突っ込んでやりたいと思うほど気分を害していたが、今回の1件で考えを改めた。決めたルールを貫き通し、子供のしつけを最重要項目として、怒ることもなく、汚い言葉を使うわけでもなく、辛抱強く逃げない母親でいるのならば、わたしは絶対に気分を害すことはない。わたしだけではない。わたしも抱いていた「(すべての)子供はうるさいから嫌いだ」「(すべての)泣きわめく子供は性格に問題があるか親のしつけがなっていない」、と思っていた人々はその非論理的な考えを改めたほうがいい。すべての子供はうるさいわけではないし、泣きわめくすべての子供の性格に問題があるわけでも、親のしつけがなっていないわけでもない。うるさい子供がいたとしたら、それはまず原始的な本能であり、これから親が子供の理性を養うためにしつけを行う段階なのだ。その子供の母親が子供を無視したり、怒鳴ったりしているならともかく、もしその親が子供をひとつのルールのもとに諭そうとしているなら、公共の我々は大手を振ってその母親を静かに見守ることで最大の手助けとするべきである

わたしはただ突っ張り棒を買いに行っただけだが、そのような人生の学びを得たから、たまには出かけてみるものである。