Facebookが苦手な理由、Twitterが好きな理由

わたしはFacebookが苦手だ。Twitterが好きだ。仕事上の理由でFacebookのアカウントを作りなおしたのだが、相変わらず持て余している。あまり暇ではないからTwitterもしないのだが、Twitterが恋しいなあ、とおもう。その理由を考えてみた。

Facebookが苦手な理由

コメントシステム

「いいね!」と「ふぁぼ」が共通するFacebookとTwitterの間で、似ているようで似ていないのが「コメント」と「リプライ」だ。Facebookのコメントはポストの下につらつらと整理されて並び、ポストに対する各人の反応や、あるいはそこからはじまった会話などが表示され、相互フォローでない限りリプライがタイムラインに流れてくることのないTwitterと違い、わたしのタイムラインに自分の知っている誰かと知らない誰かの会話が流れこんでくる。そして大概の場合、Facebookをはじめて知り合いを登録すれば、一人や二人は「賑やかなひと」がいて、その「賑やかなひと」のポストはいいねとコメントの嵐で「賑やか」になる。これはいわばわたしという個人がのんびりしているところに、知っている人を中心とした知らない人の団体が一組やってきて、やいのやいのとひとしきり騒いだ挙句帰っていくような状況である。ポストをしたひとにも、いいねをしたひとにも、コメントをしているひとにも罪はないが、このFacebookの「他人の他人の他人のコメントすら表示するシステム」は、とてもやかましい。わたしはフォローしているひとの情報が読みたいだけなのに、選んだ覚えのない情報が流れてくるのだ。前述のようにこれは非常にやかましい事態なので、あまり好きではない。というかきらいだ。

リアルはリアル、ネットもリアル

Facebookは言わずもがな、そもそも大学の生徒たちを繋ぐようにできているネットワーキングサイトである。つまり、毎日顔を合わせるクラスメイトをコレクションして、自分のリアルな人間関係を追うためのツールであり、それ以外の用途としてはあまり使われない。Facebookに登録し、学校の友人や、会社の同僚を追加するということは、365日24時間ずっと繋がっているインターネットに、リアルすらも接続する行為である。学校が終わっても、営業時間が終わっても、学校ならばクラスメイトと、会社ならば同僚とのコミュニケーションを強いられる可能性だってあるわけだ。そうでなくても、たとえば暇だから土曜日に何かポストしてみようと思って、ポストしてみる。するとそのポストは、「カスタム」オプションでリストでも作成しない限り親しくない友人や会社の同僚目に晒される危険性をはらむから、「少なくともフレンドリストの全員に差支えのないこと」を言うポストになる。少なくともわたしはそうだし、人の目を気にしすぎたり、内向的だったりする人間は比較的この傾向があるのではないだろうか。

乱雑さ

Facebookにはいろいろなポストが横行する。ニュースのシェア、100枚にものぼる旅行の写真、ブログのような長文ポスト。どれも悪いとは言わない。内容の如何に関わらず、140字という決められた箱に決められたスタイルが流れてくるTwitterとは違い、ニュースのシェアを続ける人間や、毎日日記を書く人間、写真しかポストしない人間などが「るつぼ」状態となり、これがFacebookを賑わわせる。問題はここに一切のルールが存在しないことだ。ポストの傾向などによって、住み分けがまったくできない。自分なりのルールをもとに選別したひとをアンフォローしてみても、自分がフォローしている人間がまた別の人間を「いいね!」なり「コメント」なりしてしまえば一環の終わりだ。今度はその人のポストが自分のタイムラインに表示され、最初の「静かなわたしと賑やか団体現象」が起きる。だからわたしはそんなもの見たくないのに!

ではなぜTwitterが好きなのか

Twitterのはじまり

Facebookがもともとハーバード大学の生徒たちのネットワーキングサイトだったのはわたしでも知っていた。それでいてわたしは好きだ好きだと連呼しているTwitterがなぜできたのかを知らなかったので、調べたところ、

Twitter’s origins lie in a “daylong brainstorming session”
http://en.wikipedia.org/wiki/Twitter

という結果が出てきた。Facebookのはじまりのはじまりがハーバード大学のネットワークへのハッキングだったらしいことはさておき、「一日中続くブレインストーミング・セッション」というのがTwitterのはじまりのはじまりだそうだ。なるほどとても納得した。人が個々考えたことを「つぶやき」、ただひたすらブレインストーミングを続けるサイト。そこに「コミュニケーション」はあってもなくてもよい。ただひとつ明確な、140字の制限の中で気ままに「つぶやく」あるいは「ツイート」するというルールだけがそこにある。コミュニケーションもできる、日記も書ける、アルバムも作れるといった機能豊富なFacebookにある「ルール無用の大騒ぎ」に右往左往するわたしは、まずこのTwitterの規則正しい明確さが好きだ。

まずは興味のある人をフォローしてみましょう

Twitterをはじめたとき、まずはじめに言われるのは「興味のある人間を探して、フォローしてみよう」ということだ。「知り合いを探して登録し、迷惑ならあとからアンフォローでもすればよい」という引き算スタイルのFacebookと違い、Twitterは足し算だ。好きなように興味のあるおもしろいひとびとを、有名だろうが素人だろうがフォローすればよい。そしてこれが、Facebookになかった「住み分け」を可能にするポイントなのではないだろうか。

つまり、写真をたくさん投稿したいひとは、写真をたくさん投稿するひとびとをフォローして、そのなかで暮らす。たくさんポストをしたいひとは、たくさんポストをするひとをフォローして、やはりそのなかで暮らす。雑多を好むひとは雑多にフォローをして、そのなかで暮らせばいいのだ。これが大きくなるといわゆる「クラスタ」というやつになって、わたしもむかしはそういったところを転々としながらTwitterをしていた。同じ方向を向いている人間と、同じ方向を向く。四方六方を向いた人間のなかに放り込まれる乱雑なFacebookとはちがう、このもうひとつの規則正しさが、わたしがTwitterを好む理由である。

結局のところ

しかしながら、昨今のTwitterとて公式クライアントなら他人がふぁぼした他人のツイートをタイムラインに表示したり、RT数、ふぁぼ数やフォロー数を競うためだけに荒々しくTwitterをしているひとびともいる。ましてやTwitterはFacebookより何倍も匿名性が高いため、攻撃的な側面もあり、そういった意味ではFacebookのほうが平和といえば平和だ。それでもわたしはFacebookが苦手で、Twitterが好きで、それはTwitterの極めてシンプルなルールと、規則正しさゆえなのだった。

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