さあ、オリンピックの歴史を学ぼう

Akinori Machino
11 min readJul 24, 2015

開催国民として知っておきたいこと

日本で新国立競技場を巡る議論が白熱していたとき、私はちょうど世界一周の旅の過程でギリシャに滞在していました。スマートフォンで日本のニュースを見れば、 必ずと言っていいほど新国立競技場について話がトップに出ていました。オリンピック発祥の国にいるときに、これだけオリンピックの話が飛び込んでくるのは何かの縁だろうと思い、その歴史を足で辿ってみることにしました。

古代オリンピック

オリンピックはもともと、古代ギリシャのオリンピアという地方で行われていた競技祭です。第1回は、アテネやスパルタなどの都市国家(ポリス)が生まれて間もない紀元前776年に行われたと言われています。4年に1度、その競技祭が開催される際には、頻発していた戦争を休戦して皆参加していたそうです。古代オリンピックは、全能の神ゼウスを祀る、ギリシャ人にとっての神聖な祭典でした。

現在のオリンピアは、ずいぶんと山奥の田舎にありました。バスで向かうまでの景色は、まるで日本の山村のような雰囲気です。オリンピックの遺跡の西側が観光者向けの小さな町になっており、そこに宿泊しました。オリンピア遺跡までは歩いていくことができます。

オリンピア遺跡は、その多くが原型を留めない形で崩れていました。古代ギリシャは紀元前146年にローマ帝国に支配され、紀元392年にはテオドシウス帝がキリスト教を国教としたため、ギリシャの神々を祀るオリンピックはそこで終焉し、オリンピア遺跡は地中に埋もれてしまったのだそうです。

遺跡の一番奥、ローマ皇帝ネロが建てたという凱旋門をくぐると、そこで古代ギリシャ人が実際に競技が行ったスタディオンという競技場跡があります。トラックの長さは 192.27 m、これを1スタディオンといいます。初期のオリンピックでは、このトラックを走る「競走」という1種目の競技しかなかったそうです。

古代オリンピックの競技場跡

ここに観光にきたらトラックを走ってみるのがお決まりです。作家の沢木耕太郎も『深夜特急』の中で、旅人相手に競争しています。

最初は楽々と走り、楽々とリードしていたが、百メートルを過ぎると苦しくなってきた。ゴールまでが意外に長く感じられ、足の回転が鈍くなり、最後にはほとんど歩いているも同然のスピードに落ちてしまった。

私もトラックを一往復、つまり2スタディオンを疾走してみたのですが、確かに意外と長くヘトヘトになってしまいました。ちなみに2スタディオンの競走は、ディアロウス競走という種目だそうです。

近代オリンピックでは聖火をオリンピック会場まで運ぶのが習わしですが、その聖火はここオリンピア遺跡で灯されます。ヘラ神殿跡で太陽から凹面鏡を使って採火され、聖火ランナーが会場に届けます。2020年東京五輪の際も、聖火リレーはここから始まるわけです。

聖火はオリンピアで灯されオリンピック会場へと届けられます

遺跡の隣には博物館が併設されており、様々なものが展示されています。その中でも、有翼の女神ニケ(Nike) の像が特に印象に残りました。スポーツブランド Nike のブランド名およびブランドロゴの由来になっていることでも知られる「勝利の女神」です。ゼウスの使者として、勝利を祝福する時にのみ地上に降り立ち、贈り物として人々のもとへ勝利をもたらすと言い伝えられています。

勝利の女神 Nike(左)とオリュンポス十二神の1人 Hermes(右)

近代オリンピック

上でも触れたとおり、古代オリンピックはローマ帝国がキリスト教を国教にしたことで、西暦393年の第293回をもって終焉しました。近代オリンピックが始まったのは、その1500年後の1896年になります。

第1回アテネオリンピック(1896)と第18回東京オリンピック(1964)のポスター

近代オリンピックの生みの親は、ピエール・ド・クーベルタンという人物です。クーベルタンはフランスの教育学者であり、教育におけるスポーツの重要性に特に興味を持っていました。

地中に埋没していたオリンピア遺跡は、クーベルタンが12歳だった1875年に考古学者によって発掘されています。その後、クーベルタンによってオリンピックを復興することが提唱され、多くの国の賛同を得て 1896年、オリンピック発祥の地であるギリシャのアテネで、第1回近代オリンピックが開かれました。

近代オリンピック第1回の会場となったアテナのパナシナイコスタジアム

アテナの街中にある、第1回オリンピック会場となったパナシナイコスタジアムに足を運ぶと、それは大理石造りのシンプルな競技場でした。古代オリンピックにならって、トラックの直線が極端に長くなっています。面白かったのは、トラック内に立つなかなかに卑猥な像。女性客が爆笑していました。

謎の石像

ちなみに、マラソンという競技が初めて行われたのは、この第1回アテネオリンピックのときです。古代ギリシャにおいて、ペルシャとの戦争(マラトンの戦い)で勝利したアテネの将軍が、勝利を伝えるためにマラトン (Marathon) からアテネまで約40kmを駆け抜け、「我勝てり」と伝えた後に力尽きて息を引き取った、という伝承にちなんでマラソン競技が考案されました。

オリンピズムとオリンピック憲章

クーベルタンが考案した五輪のマーク。5つの輪は5大陸を表す

近代オリンピックは、ギリシャの神を祀る一国の競技祭であった古代オリンピックとは違い、グローバルな平和の祭典です。クーベルタンが創設した国際オリンピック委員会 (IOC) によって、その理念がオリンピック憲章という形でまとめられています。

1. オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、バランスよく結合させる生き方の哲学である。オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである。その生き方は努力する喜び、良い模範であることの教育的価値、社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。

2. オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を奨励することを目指し、スポーツを人類の調和の取れた発展に役立てることにある。

クーベルタンが掲げた、こうしたオリンピックの理念を「オリンピズム」と呼びます。また、オリンピック憲章には次のようにも書かれています。

オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。

しばしば国威発揚の場として捉えられてしまうオリンピックですが、あくまで選手間の競争であると定められているのです。

オリンピックの現在

2004年のアテネオリンピックの会場は、アテネの街の中心からは少し離れたイリニというところにありました。聞いてはいたのですが、足を踏み入れて驚きました。10年前に盛り上がっていたオリンピック会場は、閑散とした廃墟になっていたのです。

鉄骨は錆びタイルは剥がれ、施設の壁は落書きで埋まってしまっています。全くメンテナンスはされていないようです。ギリシャ特有の財政的な問題もあるでしょうが、その他の国のオリンピック会場も多くは似たような状況のようです。

2020年 東京オリンピック

この文章を書いているときには、新国立競技場の建設費用が膨らみに膨らみ、みっともない責任のなすりつけ合いの末、総理が白紙撤回するというドタバタ劇が行われていました。個人的には、競技場の総工費の多寡よりも、その後数十年を見据えたしっかりした都市計画と、責任あるリーダーシップを期待したいところです。

先ほど、東京五輪のエンブレムもちょうど発表されました。

開催することが決まった以上、ホスト国として歴史あるオリンピックをぜひ成功させたいですね。

追記:オリンピック博物館

この文章を投稿した後の旅路で、スイスのローザンヌに寄る機会がりました。駅に着いて周辺の観光情報を見て初めて知ったのですが、ローザンヌは国際オリンピック委員会 (IOC) の本部がある街で、オリンピックミュージアムという博物館があるとのことです。

日本で今度はエンブレムの盗作疑惑だのなんだのとまた盛り上がっているときに、自分は IOC 本部のある街にいる。つくづくオリンピックに縁がある旅だな…と思いつつ、半ば義務感に突き動かされてオリンピックミュージアムに行ってきました。

オリンピックミュージアムはローザンヌの駅から程近いレマン湖の畔にありました。「何とか本部」に付属しているような博物館がたいしたものであるはずがないと期待もせずに中に入っていったのですが、その規模の大きさに驚かされました。

なんでも2013年12月に大規模リニューアルをしたそうで、3フロアに及ぶ展示フロアの中に、膨大なコレクションが展示されています。この記事でも紹介したような古代・近代オリンピックの成り立ちから、現代オリンピック各回の貴重な展示品まで。

過去のオリンピックの開会式の映像を集めたムービーの放映ブースなどもあり、思わず見入ってしまいました。おそらくここでしか売っていないであろう過去オリンピックの公式グッズなんかも売ってます。

2020東京五輪は会場、エンブレムと見事に続けて炎上していますが、盛り上がってきている証だと思うので、関係者にはめげずに頑張っていただきたいところ。次は公式マスコットですね!

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