自分の文章が分かりづらいと思ったら一度読む価値アリ「伝える力」(池上彰著)

writing

うまい/わかりやすい文章を書くことができる人って羨ましいですよね。僕は、学生時代から作文やエッセイが嫌いで、夏休みの宿題の日記や読書感想なんか地獄でした。社会人になってからも、レポートや企画書を書く際には、気が乗らないなーと思うことがほとんどです。

最近は、ブログを書いたときや、何かを翻訳したときに自分の文章読み返してみると、誤字脱字があったり、一文が長すぎてよく意味が分からない文章だったりということがよくあります。

こりゃなんとかしたいと思って読んだのが、池上彰氏の「伝える力」。

伝える力 (PHPビジネス新書)

「話す」「書く」「聞く」の3つの能力の磨き方が、本書の中では紹介されています。途中ではコミュニケーション全般に関する話が出ていて、そこはあんまり面白くなかったのでサラっと読みましたが、その他では随所に「あーこれやっちゃってるわ」や「これは参考になる」という発見がありました。

理解出来ていないことは伝えられない

「伝える」ために大事なこと。それはまず自分自身がしっかり理解することです。自分がわかっていないと、相手に伝わるはずがないからです。

大前提はこれですよね。自分が考えた文章を書く時にはそこまで問題がないのですが、英文を翻訳しているときは、この重要さを感じることがよくあります。

翻訳作業のことを、単語の置き換えのように考えている人や、ある言語を理解できればどの分野の文章でも翻訳できると考えている人がいますが、単語はおろか、文法や表現方法まで違う2つの言語間で意味を伝達しようとすると、この「理解」のプロセスは不可欠です。

原文を読む→理解→目的言語で再構築する

というのが、翻訳作業中は常に起きています。そのため、自分の詳しくない分野に関する文章を翻訳しようとすると、「理解→目的言語で再構築する」に膨大な時間がかかります。

まずその文章を文法的に読む(それぞれの単語にどんな役割がふられているか)ことはできても、それが何を意味するのかわからないので、知らない単語の意味だけでなく、その文章の背景知識を得る必要があります。

また、それを目的言語に翻訳しようとすると、目的言語ではどうやって表現されているのだろうということを知っているか、知らなければ調べる必要があるんです。

例えば、cutとという動詞を訳す時に、物理的に「切る」ということを意味しているんだなとわかっても、手術に関する文章であればそれは「切開」と訳さなければいけないでしょうし、ケーブルが目的語なら「切断する」と訳したほうが良い文脈もあるでしょうし、画像編集であれば「切り取る」と訳されることが多いでしょう。

このように、「本当にそれは何を指しているのか?」と理解していないと、人に内容を伝えようとしても中途半端に終わってしまいますし、ましてや他の言語で伝えようとすると再構築の力や背景となる知識が必要になります。

自分が書いた文章の見直し

物事を誰かに伝える場合は、独り善がりにならないようにすることです。そのためには、「もう一人の自分」を持って、それを育てていくとよいでしょう。

これは僕がちゃんと出来ていなかったところです。さすがに誰かに提出/納品するような文章であれば見直しをしていましたが、ブログのような場だと、書ききった満足感からすぐに公開してしまって、後日たまたま見返したらいくつも間違いを発見したということは何度もあります。

見直し作業には、気分転換とある程度の時間が不可欠です。

書いた直後に読み直しても、脳はまだ書いているときの状態にあるため、文章を読んでもその背景にある自分が表現しようとしたことを再生していて、表面にある文章の間違いに気づけないんです。

それに気がついてからは、何か他の作業を一旦行ってから見直しをしたり、全く違うトピックの文章を書いてから見直しをしたりするようになりました。これだけでも、見つけられる数には大きな差が出ます。(当社比約2倍)

そして、余裕があれば一晩寝かせると、その文章を初めて読む人に近い感覚で見直しができるので、さらに冷静な判断ができるようになります。

自分で書いた文章を客観的に見るためには、音読してみることも効果的です。
 (中略)
 書いているとき、あるいは黙読で読み返しているときには気がつかなかったリズムの悪さに、声を出して読むことで気づくことができます。リズムが悪いと、読み手は文章を理解しづらいもの。たとえ文脈が通っていても、頭に入りにくいのです。特に回りくどい文章に気づかされます。

これは特に句読点で迷っているときに使えます。一文が長くなってしまったら、大体ふたつに分けてしまえば読みやすくなるのですが、それでもなんかつっかかるなーというときは、句読点が問題であることが多いです。

そんなときは、気になる箇所を音読するだけで「あ、ここに『、』いらないじゃん」や「この『、』はここの方がいいな」ということに気がつくことができます。

使わない方が良い言葉

「〜性」「〜的」といった言葉も、便利な反面、ごまかしの利く言葉です。例えば「利便性という事があります。
『当社のこの新製品は、従来の製品よりも利便性が格段に高まっています。貴社の業務は、この新製品によって、さらに改善されると確信しています。』
といわれても、その「利便性」とは何なのか、まるでわかりません。これはたとえば、
『当社のこの製品をお使いいただくことで、従来の製品を使っていた場合より、業務のスピードが速くなり、かつ業務は格段に楽になります。』
と言ったほうがずっと具体的です。

これはよくやってしまいます。「生産性」とか「機能的」は特にぴったりな言葉出てこないときや、ある英単語に対する定訳として使ってしまうことがあります。

確かに、こういった単語を抜き出してみると、「『生産性』って生産性の要素のうちの何を指しているんだろう」とか「『機能的な配置』って何の機能が有効に働いているんだろう」という疑問が浮かんできます。

また、「使わないほうがよい言葉や文字」として以下が挙げられています。

・そして/それから
・順接の「が」
・ところで/さて
・いずれにしても

使ってるー!とくに「順接の『が』」と「いずれにしても」は、文章につまったらなんとなく使ってしまっています。特に「順接の『が』」を使うと、文章は長くなるし、本来逆説の文脈で使われている「が」を順接で使っているので文章の流れが悪くなったりと、良いとこなしですね。

「いずれにしても」は、せっかくそれまでに積み上げてきた論理をリセットしてしまう恐ろしい効果を持っているので、今後は注意したいと思います。

上記の点を見てみると、どれも「なんとなく」で文章を書いていたときによく起こる現象だと気づきませんか?

なんとなく理解できてる気がする事柄について書いた。

なんとなく書いたものを公開した。

なんとなく耳慣れた言葉を文章の合間に挿入した。

なんとなくで書いた文章は、「これを伝えよう」という思いに欠けるため、主題がぶれます。そして、主題がぶれていると自分でも流れが分からなくなってきて、池上さんが本書で指摘していたような症状として現れてきます。

という意味で、もしも何かを書いているときに、「いずれにしても」が登場したら、一旦手を止めて「あれ?自分はこの文章で何を伝えようとしているんだろう?」と思いを巡らせてみてはどうでしょうか。


Originally published at Nail Your Inner Game.

One clap, two clap, three clap, forty?

By clapping more or less, you can signal to us which stories really stand out.