editor, book&cinema lover, living in tokyo
「どもってしまうこと」も「コミュニケーション力」の一つだったのです。
山田舜也
まだ社会のスピードが緩やかだった時代、うまく話せなかったり、言いよどんだり、つっかえたりすることはその人の“個性”として受け入れられていたはずだと、吃音者の自助グループ「東大スタタリング」創設者は語る。しかし、「最近は、シンプルによどみなく話すこと、そつなく、わかりやすく話すことが『コミュニケーション力』として称揚される風潮」があり、そうでなければ「コミ…
季節は夏が一番好きだけど、色は秋が一番綺麗だなぁと感じます
大学時代の友人
Instagramのタイムラインに流れてきた、柔らかい色合いの花の写真に添えられたコメント。特別仲が良かったわけでもなく、卒業後なんとなく疎遠になってしまった友人。君が10年前、よく晴れた10月の昼下がり、大学の構内で「こんな日のためにこの1年生きてきた気がする」と言ったのを、わたしは今でも覚えている。そして毎年、この季節になると思い出すんだ。
残暑というのか、夏が女々しかった。嬉しかった。
角舘健吾
夏の終わりがこうも切ないのは、子ども時代に“夏休み”を植え付けられてしまったからか。大人になると、そんなものは条件付きでしか存在しないと気づいてしまうのだけど…。ともかく、エネルギーに満ちた夏が終わると、本当にひとつの生命がなくなるような気がする。擬人化されたこの夏は、カッコ悪くて全然素敵じゃないんだけど、それだけ近くて愛しい存在。Yogee New Wavesカクダテくんのインスタから。
さよなら さよなら さよなら きみたち
阪田寛夫「夕日が背中を押してくる」
小学校の国語の教科書に載っていた詩。何度も何度も朗読したうえに、年の離れた妹弟が同じく家で読み声やるもんだから、頭にしっかり残ってしまった。あの頃「さよなら」は決して悲しいものではなかった。なんの屈託もなく「また会おう」と言い合える相手がいる幸せ。
10代の終わりから20代にかけて、10年近く中央線沿線で暮らしたけれど、吉祥寺の街に住むことは一度もなかった。いちばん近い繁華街ではあったものの、連れ立って繰り出すような友人はいなかったし、ショッピングを楽しんだり家族連れで賑わう公園を散歩したりする趣味もなかったので、そう頻繁に訪れたわけでもない。そのせいか、わたしにとって吉祥寺はどこか実体の知れないところがある。
それでもわたしがこの街を特別に感じるのは、大学時代に友人が住んでいたことに端を発する。土地そのものに思い出はないが、彼女のアパートにはよく遊びに行った。