頑張れるときと頑張らないとき

以前は割と何でもかんでも力業で頑張れたんだけど、最近はちょっと気持ちが追いつかなくて”頑張らない”ことが増えてきた。

なんだろうなぁとおもって考えてみると、要するに「誰かに感謝される仕事」は頑張れるということなんだと思う。

この一週間は、ビジネス的に言うと直接の利益になるようなことではない仕事だったのだけど、お客さんから凄く感謝される(或いは、評価して貰える)ことだったので、何だか頑張れた。徹夜も厭わず。

頑張らないというのは、恐らく打算的になってきたということなのだと思う。道徳的に言えば「仕事は常に頑張りましょう」みたいな実直さは大事だと思うのだけど、それが自分にとっての「快」や「得」にならないことについては、限界を超えてまでやろうという気にはどうしてもなれない。

有限の時間を如何に使うか。他に沢山やりたいことがあるなかで、それらを押しのけてまで自分の「快」や「得」にならない仕事をやる必要はあるのだろうか。道徳的な自分と、打算的な自分がせめぎ合う。

完璧以上に素晴らしい仕事をしたい。しかし、それは全ての仕事が対象では無く、自分にとって「これは俺の仕事だ」と思えるものだけが対象の様に思える。仕事に貴賓はないけれど、仕事への想い入れには熱量の差がうまれる。

頑張れるときは問題無い。僕はうきうきしながらパソコンに向かっている。頑張れないときが問題なのだ。頑張れないけど頑張るべき仕事もあるし、頑張れないならやめてしまっても良い仕事もある。よくよく見極めよう。よくよく考えよう。

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