あの頃の未来

昨日はカリヨン学校の最終試験だった。今年は女性二人、アメリカ系フランス人とアメリカ人で此国人はいない。二人だったから試験開始も午後2時からと穏当。私の試験の時は5人だったから朝10時からで一日がかりの大仕事だったな。その前は8人いて二日がかりだったというのもあったな。

もう2年経つのか。卒業出来たのが色々な意味で嘘のようだ、というのが最終試験終了後のまず第一の感想。演奏の出来は散々で、認定トライ的に卒業「させてもらった」感に苛まれるばかり。演奏を聴きにオランダから来てくれていたFとMが、成績発表後のレセプションを抜け出て、後で合流すると言ってたのに連絡が取れなくなり、自分一人で二次会に行く気にもさらさらなれず、一人で駅に辿り着いたらMとばったり会い、Fは私を探しているらしいが奴は携帯を持っていないので連絡の取りようもないしここでいつ来るか分からん奴を待つのもアホくさいので一人で電車ですたすたと帰宅したんだった。

本当は、もしかしたら二次会から三次会からと重なって泊まりになるかも、という予測も立ててはいたのだったが、他の最終試験受験者のような満足感も達成感もないどころか、虚無感と言った方が近い開放感しかなくて、もうカリヨンの話はしたくなかった。一人で放り出されたみたいな格好になったのは象徴的ですらあった。

だからその約三週間後にある、地元で開催の一週間のカリヨン世界会議に出るかどうかは本当に最後まで迷ったんだった。主催者Kに頼み込んで滑り込み参加登録をしたが、オプショナルツアー的なものには一切申し込まなかった。最初の二日間は日本からの参加者の通訳をする、という業務になっていたためも部分的にある。その二日目、国鉄がストで大混乱に陥り、パリに向かいたかったお客さんのタクシー手配を電話で手伝いつつ、連泊代とタクシー代ならタクシー代の方が高いが私も何かもう意地でも帰宅しちゃる、という気持ちだったのでそれに従い、メーターじゃなくて固定言い値で頼んだ運ちゃんにキャッシュで払えたのは通訳業務のギャラが取っ払いで出てくれていたおかげであった。帰宅してWKのベルギー対アメリカ戦を観たような気がする。あるいはそこらへんの数日間が圧縮されて一日分の記憶になってしまっているようでもあり。

ただまあ漸くその頃ぐらいから、あ、卒業出来てディプロマ取れたのはやっぱり良かったんだな、と思えるようになって来たんだった。あそこの内輪の集まりに、学生です勉強中です、というスタンスで臨まなくて良くなったのは良いな、とか。嫌いな曲はもうさらわなくて良いんだ、とか。

ただまあそれは幻想というか認識甘々の部分もあり、卒業出来たからと言って自動的に喚んでもらうほどの技量がないということは自分の売り込みをしないといけなくて、そこに躊躇するスタンスはどうしても抜けない。無理くりにでも練習するという習慣が、怠惰に逸したり日常に負けたりして解れて行く。君はdiciplineが足りない、というのは学生に戻る前から折りに触れ言われ自覚もあるがまあ今日はケセラセラでね、という、まさにそのdiciplineが無いことの裏書きで生きていく私。

夏のコンサートシーズンがそろそろ始まり、今度はEKが始まろうとしており、卒業した時には考えもしなかったシンポジウムが9月の開催でそれの準備を今月中に詰められるところまで詰めないと、という話でスケジュールが押し気味だというのに改めて思い至る。焦ったり不安になったりするのは私からの発信が足りないからであり、足りてないのは先延ばしにしているためであり、着地点からの逆算が甘かったのか厳しすぎて却って押すのも織り込み済み、という潜在意識を醸成してしまったのかも知れず、何に気を遣ってるんだろうというところもあれば、当然もっと早く返信が来て良いはずのところから来ないのはこっちの気遣いが足りないとかだったのだろうかとか、放っておくと心臓の裏側がチリチリするような愁訴を覚える。

先週の今頃はしかし、その愁訴を丸抱えで救急往診獣医を待っていたのだった。猫は昨日あたりからは全復調で食欲もばっちりだが排便が追いついていない。でも元気だし病巣らしきものは現時点では見つからなかった。何かあったらどうしよう、という先週は去った。

最終試験の後、一人で駅を目指して歩いていた時の光景が思い出される。今は、あの頃の未来だ。今は片っ端からあの頃の未来であり続けるのだ。

それが、欲しかった未来か?というのは、問の立て方としてどうだろう。