シニア、という範疇

いま現在の自分が、果たして老人であるのかどうか、はっきりしたところはわからない。答えは、文脈や本人の気の持ちようで変わるものなのだろうし、多くの人が、答え以前に、その問い自体を忌避していることを思えば、回答は、結局のところ、死の直前まで留保されるのかもしれない。
大切なのは、本人が自分を老人だと考えるかどうかではない。現実的には、むしろ、自分を老人として扱う世間に対してどのように対処するのかという、その振る舞い方が、当人の生活をより大きく左右することになる。

日記のようなものをEvernoteに年来書きつけているのだが、「コンテキスト」というので下部に勝手に(余計なお世話、と言ってもいい)登場したのの一つが↑の記事だった(太字はオレが追記)。

この記事自体は確かに読んだことがある。読んで快哉を叫んだ、というのは大仰であるにせよ、膝を叩いたのは事実だ、という憶えすらある。

しかし分からないのは、今週(オレの日記は週区切り。ちなみに月曜始まり)の記述のどこが、これを「コンテキスト」として引っ張って来るトリガーになったのか、ということだ。

今週に入ってまだ三日目、しかもオレの記述は全然網羅的ではないし、SNSの類はLinkedInしか持ってなくて、もちろんそのLIに引っ張るという作業もしてない。気になったから拙記述を全部改めて読んじゃったけど、やっぱり分からないんであるよ。

まあその不気味さはひとまず措いておこう。

味わい深いのは、上記引用部分の初っ端、

いま現在の自分が、果たして老人であるのかどうか、はっきりしたところはわからない。

であった。

もう若くはない、というのは百も承知。だが、「若くない=老人」でもないべ?としていた前提が割とグラっと来たんだな。

極めて具体的・身体的に。つまり、「軽い目眩を覚えた」ってやつな。

「若くない=シニア」が無条件で成立するとも思ってはいないものの、その考え方は上記(=老人、ってやつ)よりはよほど素直に「宜なるかな」と腑に落ちてしまうのと、この、グラっと来たのは表裏を成している。

年功序列、は(若干意訳であるにせよ)seniorityが英訳語とされており、seniorはjuniorの対語として通常運用されていることに異議はない。

で、自分がそのseniorであることは疑わない。

それはしかし、老人とイコールでもありうるの?という次の問いに進んだ時に、ヘタすると目眩を伴う事象でもあったのだなという、

そこに思いが至った、というのを此処に書きつける次第。

上手いオチに持って行けない。