(はじめに言うがこれまで僕が大変な思いをしてきた事を伝えたいわけでは毛頭無い)

最近僕のことを知ってる人限定で誰でもZOOMに入れるように窓口を公開して行なっています。ではなぜやり始めたのか、ある友人からの助言と自己分析を元にレポートします。

自粛前の自己分析

僕はこれまで人付き合いが苦手だと思っていた。ある程度仲のいい人じゃないと心を開かないし、初めましての人なんかもってのほか、心を閉ざしがちでした。無理して友人などいらないし、だったら1人で引きこもっていた方が楽だしお金も使わないし良いやんと考えていた。

自分が引きこもり気質だと感じたのは、例えば友人がお店を開き「オープン記念としてレセプションパーティします。どなたでも遊びに来てください」との案内が来ても、実は家を出るギリギリまで行くか迷う。そして行かないことも多々。当日は「疲れるから」と自分で判断したので納得していた。でもあ~行けばよかったと後悔することもしばしば。それは人見知りだから緊張で行っても楽しめないんじゃないかと。あと軽く鬱持ちなんだろうという自己分析でした。

緊急事態宣言後、家に居る事が要請された後の自己分析

好きなお店や音楽イベント、友人と飲みに行けないストレスはあるが、生活感は変わらない。引きこもりには慣れている。遊びたい欲求も月に数回あるかないかだったので大きな問題ではなかった。

それなのに、緊急事態宣言になった途端、自分の中でエネルギーが沸々と湧いてきて、何かしよう!誰かと接したい!という欲求が出てきた。この矛盾はなんなんだろう。。。

ある友人の助言がきっかけ。

「マジョリティのシステムに合わせてた事でこれまでは無理が生じていたのでは?」

わかりやすく説明すると、外に出るための必要な準備といえば

・TPOにあった服に着替える

・必要なものを準備する

・体調を整える。

・髪型をセットする

(女性だと化粧なども)

一般の人はこれくらいだと思う。

それに加えて車椅子使用である僕の場合

・行く場所のトイレを事前に確認する。

・長時間外に出る場合の排泄の管理。

・行く場所がバリアフリーになってるか。

(もしなってないなら人を用意するか。)

・道ゆく人に声をかけて助けてもらうかどうか。

上記のことを考えた上で家を出ていることに気がついた。僕にとってこれが「マジョリティに合わせる」ために必要な準備だ。これまではこの条件をクリアできるか、または無理したらクリアできるかを判断し外に出ていた。僕は自然にやっていたけど、出かける準備だけでパワーがいる事だなと改めて感じた。人見知りではなく、出かける前に体力を使っていて、外で人と会う時には残ったパワーで臨むため、しんどさを感じる時があったのだと。

(しつこいがこれまで僕が大変な思いをしてきた事を伝えたいわけでは毛頭無い)

それでも友人や、会いたい人とお話ししたり、いい音楽、良い体験を楽しむことは心を豊かにし、価値があると思っているので、その天秤に掛けると、出かける前の準備は当たり前にやっていた。

緊急事態宣言後の社会のスタンダード

お店やイベントなど外で集まることは自粛を求められ、全国民は家で遊んだり、企業やアーティストは遠隔でサービスを提供できるよう模索と活動が加速している。つまり、外に出ないとその価値を味わえない「マジョリティのシステム」が、元々家で遊んでいた「マイノリティのシステム」に流れがシフトしているということだ。

そこでZOOMが僕にとって重要になってくる。上記の準備や無理をしていたことはやらなくていい。その上人と会話したり、音楽を共に楽しむことが可能だ。服も着替えなくていい、体調が少し悪くても家にいるからすぐ休めるし、ダメだったらZOOMから退出すればいい。もっと言うなら外出した時の自宅に帰る時間も考えなくていい。あと「渋谷で飲んでるならちょっと寄ってくわー」みたいな事が僕には難しかったけど、ZOOMなら簡単にできる。

出かける前に使っていたパワーがいらなくなった分、今までより誰かと繋がろうという気分になったり、この危機に自分ができることは何かと企画を練ったり、すごく活動的になった。

インスタのストーリーとFacebookで誰でもZOOM飲みを発信した結果

(2020/04/20時点)

・自粛前の生活よりもネットを通じて人と会えている。

・知人を通じて新しい出会いがあった。

・「誰でもZOOM飲み」を告知するだけで、繋がってる人から連絡をくれるようになった。

・イベントなど何か会う機会を作らないと会えなかった人も簡単に会えるようになった。

・「インスタを見た」と言うことでメッセージをくれる人も増えてきた。

・悩み相談から盛り上がり、先輩を繋いで一緒に悩みを考えることがあった。

この流れは急で戸惑いもあると思うが、これまで肉体的な行動で解決していた事が、行動制限により思考で解決する流れなった事は僕にとって好都合である。しかし上記のことを体験している僕からはオススメしたい。思考、アイデアで自らの環境を変えよう。家にいてストレス溜まってたら僕とZOOMに参加すると良いじゃない。僕が愚痴を聞くだけでもいいし、解決するアドバイスもするし、僕じゃ難しければ適切な人を繋げます。みんなテレワークに慣れてきているので繋がる機会はすぐできる。

最後に、

この機会に人との出会い方や仕事の多様化が進めばいいと思っているが、コロナウイルス がきっかけというのはとても残念な事です。現在でも世界で感染者、死亡者が増えており僕は決して良い状況と思っていません。医療関係者の負担も大きく、大変な思いをされている人がいる事を日々考えております。感染者は増え続け、元気である私が奇跡なんじゃないかとも思っています。

だけど何もしないわけにはいきません。必ず社会に貢献できることがあるはずです。僕ができる事といえば、現時点で健康で生きている人のストレスを軽減することくらいです。なので、一人でいて誰かと喋りたい、溜まった愚痴を吐き出したいと思っている人がいるんじゃないかと思い、捌け口になればと考え「誰でもZOOM」にしてます。

先行きが見えないこのご時世で、みんなで生きていく事を考えていけばいいなと思っております。みなさんどうかご自愛ください。


5日間タイにいた。

初海外で不安と興奮が交差する日々の中、自分の中で刺激的だったことを何パターンかに分けて綴ります。

「タイ人はとにかく協力的で親切」

タイ人は基本的に親切。田舎の親戚のような、無愛想に見えても困ってる人を手伝う。日本人観光客が困っている姿を見ると2・3人は集まってくる。勿論タイ語で。何言ってるか全然わからんし英語なんて無意味。だからアプリと身振り手振りでお互い必死なんで、ちょっとピリッとした空気になる時があるんだけどお互いなんとかわかって最後に合掌しながら「コンプンカー(ありがとう)」というと笑顔で合掌し返してくれる。言葉は通じないけど必死でコミュニケーションを取ろうとする行動はすごい重要だと体感した。

決定的だったのがタイ観光2日目。初日はホテルの最寄り駅で降りた瞬間現地の人が「このあと大丈夫か?」とここでも素早く協力でびっくりで、「このホテルだったらタクシーで行ったほうがいいよ」というアドバイスに従ったんだけど、2日目はホテルが最寄駅から徒歩10分だから歩いて行こうという提案が最悪で後悔。道の治安は最低、昨日空爆あったですしょって思うくらいガタガタ。信号のルールなんてあってないようなもの。そんな馴染みのない環境でしかも夜中。不安な顔してる僕らが車道を横断するのに躊躇してるとバイク乗った若者から声掛けられた。ホテルを指差し「We want to go there!!」と英語で伝えたらなんとなくわかったらしく「俺について来い」と彼が向かってた道を逆走しながらアテンド。さらに信号で止まってる車に「彼らが通るからもう少し下がってくれ」と仕切る。すごい行動力、みんな彼に従うし、誰も彼を注意しなかった。

それは僕らが明らかに日本人観光客でさらに車椅子だからっていうのがあると思った、だからみんな彼の行動に従ったように思う。本当は交通違反なんだけれども、彼は助ける事が最優先だと考えたとしか思えない勇敢さ。ホテル近くに着いたらチップもせびらず「じゃあね」の一言でさっさと去っていく。もう彼は僕にって英雄でしかない。交通違反をしてまで誰かを助ける行動を取るのかと頭によぎった。法律だらけで厳しい日本ではありえない行動。人としての「当たり前の価値観」が変わった。


人に優しくできるのと同じく優しくできないのも人だと感じた。

NPO法人Udbobeが今年から毎月開催するというクラブイベント「universalchaos」

表と裏、上か下、黒や白、男や女、大や小、太さや細さ、貴方と私、健常と障害、見える見えない、聞こえる聞こえない、話せる話せない、歩ける歩けない、貴方は私、正反対の正反対。

初回の2/22に開催した今回、めちゃくちゃ気になったのはDJTREK × 表現工学のパフォーマンス。行く前からの情報ですでに見たくてしょうがなくてもうそれ目的くらいの勢いだった。

バキバキのサイケデリックな音楽と映像が流れる中で、車椅子が解体され、だんだんとディストピア感漂うものに仕上がっていきもうすでに面白い。しかもこれ手が長くないとタイヤにまで届かなくて、最後整備士が本体とタイヤの隙間に電動ドリルをぶち込んで、回すとそれが歯車のような作用をしてタイヤが回り進んでいくという超狂ってる仕様にしていた。鉄板痛いし乗り心地最悪なんだけど、ビジュアルだけはパンクで最高な車椅子が出来上がった。いつしかこんな世界を見たいと思っていたから「やられた!!」感が否めない。


僕にとってかなり価値観が変わる大きな言葉だった

今日はあるプロジェクトで一緒だった人と久々に食事をした。

その人達はダイアログインザダークの運営者とスタッフ。

ダイアログインザダークについて、ご存知の方もいると思うので

説明を省き、その代わりリンク貼ります。

抜粋

参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、グループを組んで入り、暗闇のエキスパートである視覚障がい者のアテンドにより、中を探検し、様々なシーンを体験します。その過程で視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさに気づき、コミュニケーションの大切さ、人のあたたかさなどを思い出します。

今回ご一緒したのは上記でいう暗闇のエキスパートの女の子と

運営者である視力に関しては問題ない女性。

障害者の対義語が「健常者(ケンジョウシャ)」とあるように

盲目の対義語は「晴眼者(セイガンシャ)」と呼ぶらしい。

今日会った盲目の女の子は晴眼者という言葉に違和感がないということだったのでここでは「盲目」と「晴眼者」で使い分けます。

話の中心はやはり、見えてることと見えていないこと。

僕はある程度盲目に関して情報があったので、

かわいそうだとか、不憫だななんて感情は一切なかったけど、

普段困ることや、見えない世界はどう感じているかに興味があった。

そんな中、全身に電気がバババっと走るような衝撃的を受けた。

何気なしに晴眼者が発した言葉

「私たちは、ただ見えているだけなんです。」

!!!!!

見えている人達で作られた世界で

見えない人にとって大きな不安やいろいろな情報を

受け取れない不便さがあると思っていた。

だが、僕らが見ている世界を「ただ見えているだけ」というのは

見えている。それだけで「つまらない」という意味があるように感じた。

例えば、なぞなぞの面白さは答えをあ~だこ~だ考えて

正解が当たっていれば嬉しいし、間違えてもなるほどと納得する

合っても違っても両方の楽しみがあり、想像する過程も楽しめる。

しかしすっ飛ばしてすぐ答えを見るのは簡単だけど一気につまらない。

見えているということは「考える過程」をすっ飛ばすことと同じで

あ~だこ~だ思考せずそのまま「答え」を見ている感覚なのではないか

普段見ているモノをそのまま受け取っているという側面から考えると「見えている」というのは思考過程の楽しみがないので、ある意味つまらない。

そう解釈した僕にとってかなり価値観が変わる大きな言葉だった。

ここで盲目の人は見えていないからこそ特別な能力がある

と言いたいわけではない。

見えないことを負い目に捉えず、音や形、匂い空気感などの情報から

なぞなぞを解くようにさまざまなイメージを膨らますことで

楽しんでいる彼女だからこそ周りの人も影響を受け

いろんな価値観を与えられるのだと思う。僕もその一人

だから運営の女性は「ただ見えているだけ」と言ったのだろう。

確かなのは今日会った盲目の女の子はめちゃおもしろい!!

彼女は本当に視覚「障害」なのか、

何を持って障害なのか考えさせられる。

基準はあるけどそれすら歪むような彼女の発想力

いや、人間力かな。本当におもしろい!!

新しい価値観に出会うためには「ダイアログ(対話)」が必要だ。

ということでダイアログインザダークしましょう。

盲目の大変さ不便さを体験するのではなく、

お互いの価値観を尊重し豊かな思考を育むために

ちなみに盲目の彼女は最近まで絵は平面だと思っていなかったという。

立体のものを触らないと彼女にとってなんの情報もないからだ。

おもしろい。


「車椅子に乗っている理由」
子供に説明するとき あなたはどう答えますか?
未来ある子供にこれまでと 同じ伝え方でいいのか。
言葉一つで、伝え方一つで 価値観は変わる。
2019年「決意」

タイトルは大きく出ましたがとてもシンプルな話です。

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今日は僕が大好きなブランドの新作展示会にお邪魔しました。

デザイナーさんにお子さんがいるので会場には家族連れの方も多く

3~5歳くらいの子供たちがはしゃいでいた。

入るや否や車椅子が珍しかったのか遊んでいた子供達が寄ってきた。

僕に子供が寄って来ること自体珍しく、ちょっと遊んでもらっていたら

ある女の子が「なんでこれ(車椅子)に乗ってるの?」と聞いてきた。

子供の親や他の人もチラチラ見ていたので(ん~、なんて答えようかなぁ~)と考えていたら

すぐに「私知ってる!病気なんでしょ?足折れているとか?」と

足は折れてないが概ね合ってる。おそらく知ってて聞いたのだろう

だけど僕は!

「病気じゃないよ。これ(車椅子)に乗りたくて乗ってるんだよ」

と答えた。

女の子は自分の知ってることと違う返事だったからなのか、俺を頭おかしい人と思ったのかキョトンとした表情をしていた。

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子供の質問に対して、

僕の答えは間違っているから正しいことを教えたほうがいいのでは?

と、同じ境遇の方やご家族は思うかもしれません。

僕は将来車椅子に対する価値観が変わることを信じていて、

だから未来ある子供に「車椅子=病気」という一辺倒なイメージを

持って欲しくないと思い、とっさに考え出た僕なりの答えだった。

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歩ける人も歩けない人も車椅子は移動する上での"選択肢"になってほしい

そんな未来になるんじゃないかと期待している。

実際僕は中学生の時、手術をして歩けるようにするか、車椅子生活に慣れるようにするか、という選択肢を告げられ、

即座に「車椅子で!」と答えたので、ある意味間違ってはいない。

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視力が低い人は眼鏡をかける「何でかけてるの?」と聞かれて

「目が悪いから」と答えても正解だけど、

「眼鏡をかけた方がよく見える!オシャレだし」と

答えても正解でしょ。

ならば車椅子もそうあってもいい、

真実を説明するよりポジティブな答えでもいい。

僕が車椅子に乗っている理由は「足が悪いから」ではなく

「車椅子に乗りたかったから」と答えることにしました。

ということで、

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2019年、私が車椅子に乗っているのは

「障害」と説明するのを辞めます。

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そうすることで僕の気分や身の回りがどう変化するか、

また報告します。


coconogacco が創立10周年記念年と言う事で1月12日にオープニングレセプションがあり卒業生として登壇した。そこで話なせなかったことを少し。

■ここのがっこう10周年展覧会
期間:2019年1月13日(日)〜1月26日(土)
時間:12:00〜19:00(最終日は〜17:00)
場所:CPK GALLERY
住所:東京都台東区柳橋1–28–1
入場料:無料

coconogaccoについてはこちらに紹介があります。

簡単にいうと現役デザイナーが服作りよりかは、ファッションで表現することを教える学校。僕は7年前に通った7期生。

僕は8年前に上京して当時は畑の違うサラリーマンをしていた。実はcoconogaccoに通うまで全然知らなかったんだけど「ファッション業界に行きたい」とプライベートで会う人会う人に言いまくっていたら、通ったことがある人と出会いその人の紹介で存在を知った。

一度見学をしようと思い、在学生の作品発表会へ行った時

「実はゲイなんです」「私は裸になりたいんです」とかファッションよりも暴露大会みたいな感じで、

ファッションを学びに来たのに裸かよ!嘘やん!!

当時はかなり衝撃を受けた。

でも生徒や先生は一人一人のプレゼンと真剣に向き合っていてすごく良い空間だなと思ったし、開校者であるデザイナー山縣さんの作品に影響を受けて、半年後サラリーマンを辞めてcoconogaccoに通うことにした。

今思うと多様な表現や考え、他で認められないことを発表しても皆が肯定的で真剣に向き合っていたし、世間で認められず何かしら生きづらさを感じている作り手が発散できる場所になっていた。

同調圧力が俄かに残る日本で、当時から多様な人を受け入れ自由にクリエイションできる珍しい場所だったと思う。

ただ自分を表現するってかなり難しい。マイノリティであることには寛容なんだけど、それをどう表現するかはとても厳しくて在学中苦しむ所

それはこの学校内で認められても世間が認めないから。

じゃあなんでやるかというと、自分と向き合いアイデンティティを見つけてプレゼンすること。そしてその表現を評価してもらうこと。奇抜であれば良いわけではなくシンプルであれば良いわけでもない。その人らしさが表れていること。

つまり、自分のアイデンティティに向き合い大切にしながらも他人に伝わる表現を考えなければならない。

実はその点が一番重要。

個人で楽しむことにルールはなく自由であるから、ファッションには多様性を受け入れる器があると思う。


今日本は大きな革命が起こっている最中なのかもしれない。

そう思ったのは最近メディアが取り上げている話題と、今年の初めに僕が連載を持っているBeinspiredのセルフインタビューで「日本は国際化を長年掲げつつ変わらない環境で、同じ価値観を持った小さな島国であって、違う国の価値観や考え方を表面では理解できても感覚として受け入れにくいのかなと思います。」(2018年1月公開)と明記したことがリンクしていて実際に表立って起こっているように感じています。

この記事を書いた当初は日常で感じる違和感からの”憶測”だったのが、いまは”確信”になったと思っていて、これは非常に残念な結果です。とはいえ個人的に今回の騒動で違和感を感じるものもあるので書き留めたいと思います。

・LGBTへの差別発言から障がい者へ広がったことへの違和感

・一人の差別発言からわかった国民全体に擁護派がいる現状

改めてセルフインタビューで表記した背景を説明すると、2020年オリンピック・パラリンピック関連活動をはじめとする障がい者への理解と取り組み、LGBTや生きづらさを無くそうなどといったことを含め「マイノリティへの理解と多様性」という活動が盛んである。一方で議員をはじめ権力者の現代とはそぐわない発言により少数派への差別や人権が脅かされており、これは現在区や市、民間企業が政策として掲げる理想と日本人の価値観が追いついていない証拠で、世間の「本音と建前」が如実に表れているという考えです。

これを表す事例として、杉田議員の発言を筆頭に同じ思想を持つ人に共通する「無意識な差別」と「自分は正しいという姿勢」から感じます。しかしこれだけメディアからの批判やLGBTによるデモが行われても、杉田議員は厳重注意で終わり辞職にまで至っていない。(2018年8月現在)その原因として、議員や国民の中にも彼女を支持する人が多いと推測できます。これもいわゆる「本音と建前」ですね。

とあるブログで今回の騒動でこんな現状を報道しています。

一部抜粋「今はどのメディアでも杉田議員批判記事一辺倒という印象だが、杉田議員批判の記事についている匿名のコメントを読んで見て欲しい。驚くほど杉田議員を擁護する意見が多い。」

http://blogos.com/article/315586/

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「生産性」という言葉に流されないで

同性愛者への差別発言から社会的弱者に広がった拡大解釈

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杉田議員の発言は誠に残念であるが、何を言いたかったのかを紐解くと「税金の使い道」であると考えてます。限られた税金をどこに配分するのかという提案は一議員として持つのは当然である。表現を変えれば「現在LGBTへの政策が進んでいるが、まず少子化対策への税金が優先ではないか」と受け取れる。とはいえ、彼女の言葉選び、当事者を鼻で笑うような態度などは差別の表れであり見るに耐えないものでした。

この発言以降、各メディアでは性的マイノリティへの批判から、この思想の根底に「彼女はマイノリティへの理解が乏しい」とあり、私はその解釈に間違いはないと思います。だからといってマイノリティの解釈が派生して障がい者までたどりつくのは拡大解釈ではないかと考えます。彼女を擁護するわけではないが、今回の発言だけでいうと障がい者へ向けた差別発言は一言もしていないからです。

全文を読む限り彼女が使う「生産性」は「子供を産む」であり、その他の仕事の有無や人間の価値、尺度を図っているものではないと考えています。

確かに「生産性」という表現は言葉が悪く、障がい者差別へつながることと理解できますが、差別される”土俵”が違うように思います。例えでいうと、同性愛者の結婚は認められていないが、障がい者の結婚は認められているように双方で認められている権利に違いがあります。同性愛者は結婚ですら認められていない状況で、障がい者が同じ土俵に立って主張することは、車椅子を使用する障がい者の一人として”比べる次元が違う”と考えています。

事実障がいがあっても仕事をし子供を育てている人をたくさん知っていますし、その方々にも差別の矛先が向けられているとは到底思えません。なので「生産性」という言葉に流されないで欲しい。「社会的弱者」や「マイノリティ批判」に敏感に反応することは、自分の立ち位置や尊厳をさげすめる行為につながると思います。障がい者が国に対する主張は別にあると思っていて、弱者という言葉にとらわれず自分の主張すべき時に正しい姿勢を持ってほしいと思ってます。

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日本の根付いている「普通」という価値観からくる差別

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今回一番書き留めたかったのは杉田議員の発言であらわになった無意識な差別、そして普通という価値観の押し付け。これについて擁護する発言も多く寄せられているという現状。危惧しなければならないのはここにあると思います。議員も使っていた「普通」という概念。ぼんやりとした定義にも関わらず、自分のことを普通であると思っていることにとても恐ろしさも感じます。

SNSの普及で誰もが自由に発言、発信できる世の中になり、これまで皆が共通の価値観だと思っていたことが実は押し付けだったり、苦しんでいたりと個人の意見が明るみになってきました。それにより今日本人の価値観や社会のシステムがぐらぐら揺らいでいるんじゃないかと思います。

それを象徴するのがLGBT当事者のツイッターから火が付き行われたデモ。これまで性的マイノリティの方は世間から冷たい目を受けても密かに生活せざるおえない環境だったのが、SNSですぐさま当事者を集め公でデモを実行し声を上げることができたのは、まさに時代が変わっている真っ最中なんじゃないかと思います。そして今後日本が同性婚を認めたらこれまでの価値観を覆す大きな革命になるんじゃないか。

#0727杉田水脈の議員辞職を求める自民党本部前抗議

ネットより拝借

“健康であり仕事をし、結婚し、子供を産み育てる”という人生

日本は先進国と言われつつ、一定の考え以外の生き方を選択する人を受け入れない風潮がまだ残っており、それが目に見えない無意識な差別につながっていると思います。今回の発言で杉田議員を叩き辞任させるだけでなく、

国民全体に根付く意識を改革する必要があるという、実はもっと大きな問題に直面していて、大勢の人の価値観と戦っていかなければならないということだと捉えています。

時代の変換期は、これまでの人々が培った価値観を大きく変える時であり、そうすると必ず新しい価値観を受け入れない反対派が出てきます。この摩擦はさけることができないと思っていて、この時期に大なり小なり誰かが傷つくことになると思います。私たちは国が多様性を掲げているにも関わらず理想とは程遠い現状にあることを理解しつつ、自分が生きやすい社会に希望を持ち、時には耐え、時には主張することが大切だと思います。そのためにも「マイノリティ」や「社会的弱者」という言葉に流されず自分のアイデンティティを大事にし、自分で自分の尊厳をさげすまさない意識も必要で、障がいを持っている当事者として考えたいと思います。


2018年5月25日

初めてジャパンタクシーにわざと2回乗って、ドライバーさんからメチャクチャ興味深い話を聞けたんで書きやす!!

ジャパンタクシーって何?

2017年から都内では特によく見るこれこれ~。リッチな黒光り〜、ほかのタクシーよりも存在感があり!


ニール・ハービソン氏による身体とテクノロジーの融合

2017/12/14【人と社会の未来をイノベーティブにデザインする共創型イベント】CREATORS EXPERIENCE — INTERSECT BY LEXUS&MEET HEAP企画、ロンドンで活動しているアーティストNeil Harbisson氏(ニール・ハービソン)のトークショーに訪れた。

彼が政府から認められるまでの経緯はパスポートを作る際、写真に電子器具をつけているものは通らないという決まりがあり、そこで彼は認められなかった。しかし、彼が色盲であるという事、アーティストとしての活動が評価され、頭に付けていアンテナを”身体の一部”とパスポート写真として認められた事が政府が認めた証となったそうだ。世界で見ても稀な例だという。

ニールさんの活動内容は、私がここで明記しなくても情報はたくさんあるのでこちらの記事を読んでいただきたい。

政府公認のサイボーグ男が仲間と会社設立して目論み中。「人類サイボーグ化計画」

http://heapsmag.com/officialcyborg-Neil-Harbisson-updated-let-us-be-cyborg

講演を受けるまで上記のサイトにもあるように、彼は生まれつき全てが白黒に見えるくらい色盲だった為、色を振動に変換するデバイスを後頭部につけ、今まで見えなかった色を情報で確認できるように内蔵したと把握していた。しかし、ニールさんの口からは「動物がどのような感覚で生きているか知りたい」という探究心から始まったという。彼のテクノロジーの原点は、欠損を補うだけでなく、人間の探究心を満たすもの両方に興味があって生まれたものであることに驚いた。

AI、AR、僕のアンテナは「AS Artificial Sence」

ニール氏の面白いのは、認識できない色を補うためだけでなく”僕にはこう見えてるよ!”とコミュニケーションとしてアンテナを使っている。これに関して「AS Artificial Sence (人工感覚)」と彼は読んでいて、「今ある感覚を私のアンテナを通じて、みんなに違う感覚で感じてもらう」と語っていた。見せてもらったのはカラフルな画像、ジャスティンビーバーの曲はこれ、クラシックを聴いたときはこれ!と楽しげに語ってくれた。音や曲を波形や音符以外で見たのは初めてだった。

また彼の発言で興味深かったのは「世界は黒人だとか白人だとか肌の色を気にするけど、僕からするとほとんど変わらない」という言葉。我々が同じことを言うと抽象的で、発言は正しいけれど少し気取った印象を受けるが、彼は色を信号として変換し情報を伝えているので説得力がある。ここに彼ならではの世界に発信できるものがあり、とても素敵なパフォーマンスだ。


〜ファッションの視点から考える2020までの課題〜

2020年東京オリンピック・パラリンピックが決定して以降、日本では、海外からの選手や観光客を迎えるに当たり、どのように環境を整えていくべきかということが大きな課題となっています。近年、ダイバーシティ(多様性)という言葉が話題になり、日本では至るとことで、男女、LGBT、障がい者、人種と多様な価値観を受け入れるまちづくりを目指した、企業活動、講演会が活発に行われています。また渋谷区では、DIVE DIVERSITY SUMMIT SHIBUYA 2017が開催され、多種多様な人と仕事のあり方などを積極的に受け入れる体制が整えられつつあります。

しかし、2020年を目前に、様々な声が上がるものの、それを実感出来ているかと問われれば、車椅子を使用しているマイノリティ当事者の私としては、その現実に大きな違和感を持っています。

そこで今回は、ロンドンを拠点に世界的にご活躍されているファッションデザイナー、コシノミチコさんに、今の日本に感じること、ロンドンの多様性についてお話を聞きました。

まず2016年、MICHIKO KOSHINOはラフォーレ原宿で17年ぶりにファッションショーを行っています。その際にLGBTの方やタトゥーのモデルなどマイノリティなモデルいち早く採用しておられました。いちブランドとして積極的にマイノリティモデルを採用してショーを行うことは日本でも珍しいと思いますが、

ミチコ)私にとって当たり前なことなの。特別なことじゃないから。かっこいいものに性別や人種は関係ないと思っています。

最近特にセクシャルマイノリティの方への発言や表現が注目され、これまでよりセンシティブにならないといけないとは思いますが、もっと根源的な理解が必要なんじゃないかなと感じています。そういう面で、ミチコさんはファッションブランドとして世界で最初にコンドームのパッケージデザインをされていますが、なぜ取り組ませたのでしょうか。

ミチコ)裸で歩いたらアカンというのと一緒。はっきりいって理論じゃなくて当然なことだと思います。みんなに意識して欲しい。昔、私の周りでもエイズで亡くなっている人が多くて、エイズキャンペーンの為にニューヨークに行き活動しました。その事を日本に帰って話すと、コンドームって言葉だけでもタブーという雰囲気がありました。そこが全然違うし、すごく違和感があったの。それより持っていることを自慢できるように意識して欲しいと思います。ダイバーシティという言葉よりまず一人一人が意識することが大切。

日本でコンドームを買うと、他のものとは別に隠すよう梱包されます。なるほど、逆にコンドームを持っていることを自慢するという発想ですね!様々なセクシャリティを認めるのであれば、そういう気の使い方から意識を変えていかないといけませんね。

ミチコ)そう。昔クラブイベントでフライヤーをコンドームにして配ったことがあります。そういうところから若者に知って欲しいと思います。

keitatokunaga

ジャーナリスト。車椅子当事者として考えます。mail:keita.tokunaga.wcf@gmail.com insta https://www.instagram.com/keita1705/

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