何時か何処かの誰かの為の駄文

遠い昔、僕がインターネットが匿名だった時代に駄文を綴るということを始めた時、それはボトルメッセージのようなものだった。いつどこでだれが読むのかわからない自己完結のメッセージを書き殴り、インターネットという広大な海に流す。

乏しい発想と拙い表現で書きなぐったそんな駄文をどこかの誰が拾い上げ、アクセスという痕跡を残す。カウンターが回るを23時からほくそ笑みながら、コメントが付けばそれがスパムであっても、攻撃であっても、どこかで世界と繋がっているという瞬間が訪れるのを心待ちにしていた。

どこかの誰かのお役に立てれば幸いです。よく訪問していたサイトには、そう書かれていた。書いている本人には、おそらく今の僕と同じような心境だったのではないかと推測する。

無限に存在するはずのサイバースペースにもかかわらず、そこを駄文で汚す後ろめたさ、誰も読んでいないことを前提としつつも、どうでもいい前置きをする気恥ずかしさ。現代の華やかなヴァーチャルな社交界を横目で眺めることしかできない劣等感、ノーティフィケーションが鳴り止まないくらいのLikeを一身に浴びるあいつらへの羨望、増大するだけの承認されない欲求。

それでも、自分の中の何かを表現するという行為は、自分以外の誰にとって意味がない記録だとしても、今の自分の中にある感情と思考を可読できる状態にするというだけでも、実行する価値がある事なのだと、妄想し、晴れて日記を綴る決意と致します。