Edtechが完全導入された世界での先生の役割について


そういえばさっきquipperの記事読んでた時にも浮かんだし、ずっとedtech全般に対して持ってた疑問があるのですが…
「techを使った教育が普及した後の先生の役割について」です
確かに教材をアイパッドなど使ってシェアできたら効率もいいし、みんなでよりよいものを作っていけるけど、 そうした時にだんだん先生の役割って減ってきちゃうなって思って。 教材を使って教育するのが先生だから別にその教材の媒体が何であれいいけど、 通信教育と一緒でそうしたものが普及されると、個人で勉強する子が増えて(アメリカだとホームスクールとかも)、学校での学びとどんどん離れてくと思うんですよね
それって学校が嫌いな私とかかしたらバンザーイ!って感じだけど 正直学校にある直接的な人間関係の中で学べるものって多いと思うんです プラスもマイナスも含めて
渡辺さんも「人間関係は大事」とした上でオンラインで人と関われるシステム作ってるって書いてたけど、オンラインでの繋がりと直接的な繋がりってインターネットがあまり好きでない私としてはかなり大きな差があるんですよね(インターネットがそこまで好きでない大きな理由の一つだけど)
ってなって、ずっとedtechに100パーセント賛同できてなくて、e-educationも他の途上国支援目指してる学生と比べると感動が少なくて(笑)
だけどこの間どいさんにいいとこを取り合っていけばいいんだよって言われて んでもやっぱいいとこ取り合ってっても先生という職業が最終的に淘汰されちゃう気がして(笑)
だから、edtechが完全導入された世界での先生の役割ってなんになるのかをご教授いただきたい(笑)

正直未来がどうなるかは分からないけど、おれなりの考え方いくつか書くね。長くなってしまうんだけれど、「いいとこを取り合えばいい」とかいうのはすごく甘いと思うし、考えが浅いと思うので、真面目な答えを書いたよ。


先進国と途上国では話が違う。まずは先進国について考えてみる。


未来について考えるときって、「もし仮にXという未来が来たとして、その未来に辿り着くまでにどういうステップがあったんだろう?」とおれは考えるようにしてる。

かりに、「テクノロジーが先生の代わりになる」として、それが先進国で起きたとする。ほとんどの生徒が、コンピューターによって学ぶ世界が来るとするよね。

先進国では途上国に比べて先生のリソースが足りているので、コンピューターが先生より優れていなければ代替はできないよね。では、コンピューターはどうやって先生より優れるようになったのだろう?

第一に、コンピューターの人工知能の性能が格段に上がって、先生という仕事の業務すべてをラクにできるようになるケースがある。しかし、先進国の先生というのは給料は低いけれども、平均的な労働より知的労働だよね。Teach for Americaのように、トップ大学の卒業生を学校に送るプログラムもあって、良い先生を出していることがあるけど、それでも「トップ校の生徒+トレーニング」が必要なくらい、先進国の先生は知的労働だ。

ということは、コンピューターがそれほどの知的労働をできるようになった場合、世の中の8割くらいの仕事はコンピューターが完全に代替できてしまうことになる。もし仮にそうなった場合、教育ってどういう形になるんだろう?コンピューターが8割の仕事をやることになったら、世の中からかなりの余剰リソースが生まれるだろうから、そもそも人間は仕事しなくていいかもしれない。人間が仕事しなくていい世の中における教育って、かなり形が違うと思うんだけれど、そうなったらコンピューターが先生やる必要もあるかな?

こうなってくると、「コンピューターが先生の業務を完全にこなせるようになると、教育どうしよう」じゃなくて、「人類どうしよう?」っていう議論になると思う。そういう未来は何十年後にくるかもしれないけれど、そうなると議論の対象は教育じゃなくて人類になると思う。おれはその議論にくわしくないけど、たぶんそんなときには教育どころの話をしてる場合じゃなくて、一番危惧すべきなのは超人的な人工知能が使われる戦争だと思う。

続いて、「コンピューターはどうやって先生より優れるようになったのだろう?」の第二のシナリオとして、人工知能的にはそこまでコンピュターは優秀になれなくても、「教育に最適化されたソフトウェア」ですごく質のいいのが出来たとする。つまり人間の知能はないが、教育をやる上ではすごく優秀で、先生の業務を自動でこなせるってやつ。すなわち、自動先生。グーグルの自動運転車みたいなものだよね。これのほうが第一のケースよりは近い未来だと思う。

ではこの自動先生を「教育に最適化」するって、どうやって最適化するんだろう?グーグルの自動運転車は公道を走らせたり、工学の理論をつかって最適化していってるよね。じゃあ自動先生は?

まず、自動先生的なソフトウェアを学校で実験的につかってみて、効果が高いかどうかを調べる必要があるよね。たとえばカーンアカデミーとかのビデオ授業もある意味自動先生だけど、こういう自動先生的なソフトウェアを学校で使ってみた結果、

  • 算数のドリルや単語の暗記、簡単なエッセイの添削など単純作業は自動先生が得意
  • ビデオを使った予習的なものも自動先生が得意
  • しかし単純作業以外の学習、たとえば教室で十人以上でやるアクティビティーなど必要だと、自動先生は普通の先生よりかなり劣る (生徒の成績が下がる)

というデータが業界ではよく見られる傾向なんだよね。で、難しいのが「従来より成績が下がるのであれば、使えない」というのが学校では当たり前なので、単純作業以外のところに自動先生的なソフトウェアを使い続けるのが難しい。

また、自動運転とかでは工学の理論を使えるけど、教育で自動先生的なソフトウェアを作るときは認知科学の理論を使う必要がある。おれはそこまで認知科学については詳しくないんだけれど、単純作業についての学習(暗記とか)は認知科学では解明されてきているけれど、複雑なことを人の脳はどう学習していくのか?ってほとんど分かってないんだよね。(これが分かったら、完全な人工知能モデルが作れるから、第一の「コンピューターが人間より賢くなる」ケースになるし。)

以上の理由から、自動先生的なソフトウェアは単純作業的なところはどんどんレベルが上っていくけれども、複雑な学習の部分においては進歩が遅いまま、みたいになる可能性がおれは高いと思ってる。

さらに、もう一つ重要な点がある。自動先生的なもの以外にも、「複雑な部分の学習において、先生を助けるソフトウェア」がぞくぞく生まれ始めている。たとえば、ClassDojoというソフトウェアは世界で3500万人のユーザーがいて、先生が低学年の生徒の授業中の態度の記録をとるためのソフト (たとえば良い行いをしたとか、他の生徒に迷惑をかけたとかを記録できるんだけど、生徒それぞれがアバターを持ってて、良いことをすればそのアバターが成長したりする。1分のビデオなので見てみて)。

この「生徒が集団行動できちんとした態度をとるようにする」っていうのは、低学年の先生はアカデミックな部分以外にもすごく大事なことで、しかもこれは人間観察と集団のコントロールが命だから、とても複雑なこと。つまり、ClassDojoは先生が複雑な学びを提供するのを助けているソフトウェアだね。

ほかにも、先生の業務を効率化させるソフトウェアもたくさんある。Goalbook (下の画像) というソフトウェアもすごく人気だけど、これは先生が授業内容をデザインするのを助けるサイト (アメリカは日本にくらべて現場の先生の裁量が大きいから、先生が授業をデザインする部分が多い。このへんはあきこさんに詳しく聞いて欲しいけれども)

Goalbook

このように先生の業務が効率化され、さらに単純作業をソフトウェアにやってもらえれば、先生はさらに複雑な学びの質をあげることに時間を集中できるよね。

そして実際に、いま生み出されてる先生を助けるソフトウェアが

ということは、どういうことか?

  • 単純作業はソフトウェアの能力が上がっていくが、複雑な学びを教える能力が上がる圧力が少ない (そもそもコンピューターが苦手な分野であり、学問的にもあまり解明されておらず、さらに学校で実験しにくい)
  • 複雑な学びを教えるのは、先生がどんどん得意になっていく (先生のためのソフトウェアが増え、質が上がることによって)
  • すると、ソフトウェアが先生を複雑な学びの面で追い抜くのが、時間が経つにつれ難しくなる

ということなんだよね。言い換えると、

  • 先生はいなくなるかもしれない。ただ、先生は、「ソフトウェア」と「ソフトウェアを使いこなせる先生」によって代替される可能性が高い
  • ソフトウェアが完全に先生を代替するには、いまの先生を代替するのではなく、「ソフトウェアを使いこなせる先生」を代替しないといけない。だがさきほども言ったとおり、これは起こらないのではないか? もしそんな日がくるとしたら、第一の「人工知能が人間より優れてる」ケースになってると思う。

「テクノロジーが人間を代替してしまう」という議論をするときにおいて、「テクノロジーは、『テクノロジーを使いこなせる人間』を代替できるのか?」っていう視点が抜けてる人が多い。そりゃあ単純作業はテクノロジーで代替できるけど、テクノロジーを使いこなせる人間をテクノロジーが代替するってそうとう難しいと思う。


プログラミングの話


プログラミングでも、ここ20年くらいで全く同じことが起きてる。

とくに単純作業はものすごく自動化された。たとえば昔はサイトを公開するとき、サイトにアップロードするファイルを圧縮するのを手動でやってたりしてたのだけど、いまはそういうのは全部自動化してくれるようになった。

しかし、ここ20年で同時に新しい言語や、新しい開発ツールがどんどん開発されていった。すると、プログラマーの生産性もどんどん高まっていったんだよね。なので、「単純作業はどんどん自動化されている、そしてプログラマーの生産性を上げる技術もどんどん開発されている

一時期は、「プログラムがプログラムを自動で書けるんじゃないか?」とか、「オフショア開発が進むと、技術者は先進国からいなくなるんじゃないか?」みたいなことが言われていたけど、

  • 技術革新がプログラマーの生産性をあげたため、プログラマーがよいものを短時間で作れるようになった。複雑なものを自動で書けるようにする (たとえば仕様書からウェブサイトを作るソフト) などもがんばって開発されてたりするけど、プログラマーの生産性が高すぎて、それらのソフトウェアがどんどん無意味になり、「プログラムがプログラムを自動で書ける」世界は遠のいている。
  • 途上国のオフショア開発をやってるプログラマーは能力が低い人が多い(高ければアメリカなどに来ている)ので、単純作業しかできず、生産性の高い技術を使いこなせず、ぎゃくに「オフショアの人たちが、プログラムに代替されている」ということが起きている

んだよね。つまり、「テクノロジーは、プログラミングの単純作業は代替できているが、『テクノロジーによって生産性が上がったプログラマー』を代替できてない」のが、技術の現状だし、これからもそうなるとは思う。

おれがEdtechを基本的に信じていて、「テクノロジーによって先生の生産性をあげることは子供にとって良いこと」だと思っているし、「テクノロジーは、テクノロジーによって生産性の上がった先生を追い抜けない」と思っているから。

またプログラマーをやってるのは、プログラミングの生産性を高める技術がどんどん開発されてて、プログラミングは年々楽しくなってるから。そしていくら技術が上がろうとも、生産性がどんどん上がってくプログラマーにはコンピューターは追いつけないと思う。

テクノロジーは人間の能力を何倍にもしてくれると思ってるんだよね。で、その何倍にもなった人間に、テクノロジーは追いつけないと思ってる。ただ、ゼロに何をかけてもゼロだから、単純作業はテクノロジーに完全に代替されてもおかしくはないと思うよ。


途上国は?


上でした話は、途上国だと少し違うよね。つまり、もともと途上国はリソースが少ないので、先進国だと「完全にソフトウェアで授業を全自動化したら成績が下がった、これを導入するのはあかん」ってなっても、途上国なら「他に選択肢ない」って導入できると思う。そういう意味で、実験がしやすいってことはあるかもね。

ただ、いまのソフトウェアの出来だと、やっぱり全自動で複雑なことを教えるのは難しいかなと思う。日本っぽい暗記偏重の教育になってしまいそう。

また、途上国で問題かなって思ってるのは、マーケットは大きいけれども、先進国にくらべて教育でマネタイズが難しい (おれの教育メディアの記事でもかいたけど、アメリカの教育ベンチャーの市場は大きいし、日本でもまあ教育ビジネスはそれなりにはある)。お金の話ではないけれども、優秀な技術者を雇うにはお金がすごく大事で、優秀な技術者がいないと教育ソフトの技術は上がらない。

また、それに途上国でも、

  • ソフトウェアで自動化したカリキュラムで子供を育てる
  • → それで育った子供の一部が先生になる
  • → 先生になったときに、ソフトウェアを使いこなして教える

っていう順番が一番教育の質を上げると思っていて、そうすると最終的に先進国のモデル (ソフトウェアと、ソフトウェアを使いこなす教師が棲み分けされる)に近づくんじゃないかな?って思ってるよ。


というわけで


  • かりの未来から逆算して考えてみる
  • 従来のモデル → ソフトウェアが単純作業を、ソフトウェアを使いこなす人間が複雑な作業を、というモデルになる。ソフトウェアを使いこなす人間に、ソフトウェアは追いつけない

というのがおれの考え方かなあ。

先生としての経験は、おれは大学でTAをたくさんやったこと、そしてプログラミングの先生的なのを過去数年やってた以外はない。でもおれはプログラマーっていう、「技術にプログラマーが食われるのでは?」といわれてきた分野を見てきた。そこで思ったのは、さきほどの

テクノロジーは、『テクノロジーを使いこなせる人間』を代替できるのか?

っていう視点が抜けてる人が多いなってことかなあ。

読んでくれてありがとう。