俯瞰する時間も必要だという事。

参院選が終わり、まだ頭がまったりしている。

心の予定に入れていた都知事選候補予定者は色々な展開があり下りる事になった。その出来事が、参院選で残っていたしこりを引っ張り出してきて、今までのメンタル的ストレスが一気に出てしまい、その後の都知事選はもう眺めるほかないという決断に至った。

応援したい候補もいなかったので。

SNSは本当に色々なものを可視化する。

気力がない事と、応援した胃と思えない人を無理から応援する必要性はあたしにはなく(そもそも大阪府民である。)ボケらっと、俯瞰していた。

ネット選挙がどんな感情に突き動かされ行われれているか、そこが大事。

今回の選挙は特に顕在化中。

そして、そういう人たちのどの位がこの選挙が終わる時、終わった時気が付くのだろう。

そして、どのくらいの人が気づかないのだろう。

投票する行為というのは、能動的行動をしてもらう事だ。

しかし、恐怖心や怒りから発せられる行動は実は、消極的行動である。

前者は、○○さんを応援してる!入れてほしい!

後者は△△さんには入れるな!酷い目にあうぞ!という感じ。

しかし、恐怖や怒りからくる消極的行動は、うまくいかない。なぜから、その感情にとらわれていれば落ち着いた判断ができない。そして、それらは保身的行動に流れやすい。

俯瞰してみようと、無感情に眺めたい所ではあるが息苦しくなるようなタイムラインだ、今の所。

ぶっちゃけ他の選択肢がなく、候補者がいい人ですくわれたのが大阪W選だったのかもしれない。

とか言いつつ、こっそり応援した候補を見つけてしまい、ほんのり応援中。