刹那に心を込めて生きていきたい

この前のスキーバス事故で直接の友達ではないが、友人の友人が亡くなった。同世代で同じ大学の友人たちの”死”。正直、ぼくはこの出来事をジブンゴト化できていなかった。就職先も決まっていて、今後素晴らしい未来が待っていたにちがいない彼らの人生。親御さんや友人の話を聞くところ、人柄のいい人達だったに違いないし、まったく世の中に対して悪いことなんてしていない。むしろ、これからもたくさんの貢献をしてくれるはずの方たちだったと勝手ながら思う。そんな彼らの尊い命はなぜ奪われてしまったのか。ぼくはこの世の中で起こる全ての出来事は必然であるというスタンスで生きているが、ここが納得できない。彼らにとってのこの出来事は何を意味していたのかわからない。

しかし、残酷な言い方になってしまうかもしれないが、それも含めて世界である。世界の小さな歪みが原因で引き起こされたことなのだと思う。そして、その歪みは今日の世界のいたるところ(テロや、紛争などがまさにそうだ)にあり、それが日常であり現実である。しかし、日本という国はSMAPの解散騒動が国会で話題になったりするほど平和であるために、今回の出来事がこのように大きな注目を集めたのかもしれない。

わたしたちは今この瞬間にも見えない歪みを含んだ世界に生きている。極論を言えば、目の前にいる人があなたに襲いかかってこないから、災害でビルの下敷きになっていないから、ストーブが爆発していないから、生きていられるのである。

今この瞬間生きていられることはまさに奇跡である。今回の出来事を通してなおさら”今は”実感している。このことを常に意識している限り、全てのことが愛おしく思える。目の前に見える景色、暖かい部屋、友人との会話、心地良い音楽、美味しいコーヒー、焼きたてのパンの香り、人のぬくもり。。。自分の視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感全てを通して感じるあらゆる出来事が愛おしい。そして、この気持ちを忘れたくないから、これを書いている。

こんなことを考えてた時に、坂爪さんがこんなことを言っていた。

この世の中で一番大切なことは「どれだけ心を込めたか」なのだと思う。仕事にしろ、家事にしろ、人間関係にしろ、目の前にあることに心を込めている瞬間は、誰であれ、何であれ、幸せな瞬間なのだと思う。ひとに優しくあろうとすることは、そのまま「自分が感じる幸福」になるのだと思う。

全てのことが愛おしく思えている今、目の前にある現実に心を込めて生きていきたい。そうした刹那の連続によって成り立つ人生を送りたい。心を込めるというのは、どういうことなのか具体的には分からないが、生に感謝し、それを味わい尽くして、何かに貢献するなのかなと漠然と思う。

いつ終わってしまうかもわからないこの命。どうやってその貴重な時間を使うのか。何に心を込めて生きていくのか。頭ではなくて、心がすでに知っているように思う。まっすぐ心の声を吸い上げることが必要だ。刹那に心を込めて生きるためにも、心に素直でありたい。

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