
大晦日は元日のような気分で、元日は2日の気分で過ごしていました。
初夢の定義には1日説と2日説があるようですが、ぼくは普段ぶっちぎりの熟睡で夢などひとつもみないのに、今日にかぎって意外な大先輩があらわれ、僕に敬意を表す振りをして使いパシリをさせようと色々な手を繰り出してくる夢を見たので、初夢2日説を今年は支持したい気分ですが、1日深夜現在、まだなんとも言えないね。
今日は起き抜けに『ダイアモンドの犬たち』(デビット・ボウイじゃないよ)という古くてゴージャスなB級映画を見たり、サイコパスに関する本を少しばかりじっくりと読んだり、調べ物をして延々と考えたり、その件でいくつか新年早々メールを送ったり、公園を1時間ほど歩いたり、ギターをいじったりしていた。
これからの3ヶ月と半年間と一年後のことをぼんやりじんわりとかんがえたり、年末にアカウント取得したばかりのHuluでプラネットアース的なものをサブモニターで流し見しながら、ふたたび調べ物の続きをしている時に気晴らしに知ったいくつかの革新的なニュースに珍しくちょっと興奮したりしていた。
そのニュースのひとつがこのブログサービスだったりして、まさか今夜これをこうして書いているとはつい数時間前まで想像もしていなかった。「想像もしなかったような事を、これから僕はするだろうか。まちがいなくするだろう。」
こんな風にして1日は、まるで普通の休日のテイで、Facebookもツイッターも見ずに、しずかに終わろうとしている。

身もふたもないが、年忘れ紅白歌合戦もカウントダウンライブも深夜の初詣も初日の出も、SNSでのPR活動も、もう僕にはどこかしっくりこない。しっくりこない気分でわざわざ年を明かすのももったいない気がしている。動かない方がイメージや想いみたいなものが清々しくじんわりあっていいのだ。今日くらいそれでいいだろう。
そもそも新暦の正月に必然性なんて本当にあるのだろうか。でたらめな歴史の産物でしかないのではないか。ただはっきりしているのは、この日は皆が、この国では皆が同じある気分を共有する貴重な時だということ。ジョン・レノンのあの歌のように、それは詩のような事実だ。
とにかくいろいろ楽しい事を考えた。自分が楽しむ事を。子供っぽい想いを抱いて過ごす時間が、勇気と活力をくれる事を思い出した。しなければならないことをこなすより、やりたい事にやるべき事を付随させたい。させたい、というより、そうでなければできない、と思っている。
いろいろな場所でいろいろな人に、会いたい。あなたにまた会いたい。

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