俺
私はこのMediumでは主語を「私」と定めているが、Twitterやはてなブログでは「ぼく」や「おれ」を使うことが多い。「私」と書くと客観的になれるけど、どうも他人事みたいで、私ではないような気がする。
中学生の時分に、日記だか詩だか随筆風だか区別のつかない雑文をちょくちょく書くようになって、そのころはもっぱら主語を「俺」にしていた。「ぼく」だとなんだか軟弱な気がしてね。男らしい文体にしようと躍起になっていた。しばらくすると、下手くそな歌を自作するようになったが、それもしばらくは「俺」で通していました。だってサ、普段の会話で使うことばが「オレ」だもの。言文一致というのかな、自分の感情と歌詞が直結するには(カタカナの)「オレ」が一番近道だから。オレオレ言っておりましたね、必要以上に力をこめて。
でも、たとえば内省的なバラードなんかが書けてしまったら、楽想と「俺」とが合致しないから、次第に「ぼく」を採用するようになったけれども。
にしても、「俺」って男性性に寄っかかった、独善的な表記だよね。女性でもたまに「ぼく」を使う方がいるけど「俺」って自称する人は稀だものね。「俺様」ってことばもあるくらいだから「俺」にはどうしようもなく尊大な側面がある。そしてその尊大さは男性の意識に深く根を下ろし、自己愛と直結している。「俺の空」とか「俺の塩」とか、どこまでも自己中心的で莫迦面さげた感じが「俺」にはべったりまとわりついている。
そう感じてしまうと、さあ「俺は〜」と気軽に書けなくなる。さらに日常会話でも「俺」をあまり使わなくなる。主語をボカして話すようになる。気にしすぎなのかもしれないが、主語を回避するくせがついた。社会人になって、公の席で話す機会があれば、「私」と称するように努めていた。
数年前、Twitterをはじめたときに、その辺りも少しケジメをつけようと思った。だって主語を回避するのはあまりにも主体性がないじゃないの。で、「ぼくは〜である」「ぼくは〜だと思う」と、律儀に「ぼく」を推し通したのね。すると文章全体に統一感が出てきた。いきおい文の内容にも責任を持つようになった。「ぼく」は硬くも柔らかくもなれる、可塑性のある主語だった。「俺」よりずっと使い勝手が良かった。
しかしこれまた私の悪いくせで、しばらくすると「ぼく」ルールに飽きてきた。もっとのびのびと自己主張したくなる時もある。試しに「おれ」と書いてポストしたら、妙な開放感があった。ごく自然に振る舞えた気がした。よし、ならばたまに「おれ」と記そう(ひらがなだと、臭みも少ないし)。
ところで「俺」「おれ」「オレ」と3通りの表記法があるね?君は、きみは、キミはどれを選ぶ?
じつは小説を何作か書いたことがあって。そのとき悩んだことが、漢字かひらがなかの問題だった。これも若いころ、女のこのつもりになって、新井素子みたいな文体で「あたし」を主語としたお話を書いてみたことがある。そのときは自分が男性性から解放されたような、自由さを味わいながら書いたけど、いざ本格的に女性を主人公にすえてみると、地の文に「あたし」は相応しくない。なので「私」にしようと決めた。だけど後から「あー『わたし』って書いた方が良かったかな?」と後悔もした。漢字の「私」は高踏だし、「わたし」は庶民派だ。どちらか一方を選ぶのは難しい。「」内のセリフだったら、生真面目なほうに「わたし」と称させ、おきゃんなほうに「あたし」と称させると使い分けするのだが、全体を統一するとなると、はて、どちらが正解なんだろう。
じつはそういうことで悩むのが、私は嫌いではない。いや、むしろ好きなのである。このMediumでは「私」であるけれども、漢字の「私」を採用することで、わりとクールな文章を紡げるし、男の「オレ」が「私」と書くことで、性差をあまり意識せず、ニュートラルな視点を新たに獲得できた(気がする)。つまり私が「私」と表記するのは、より自由になるためなんだ。

今回は肩のこらないエントリーを目指して、意識的にくだけた口調で書いた。この文体は、自由自在にことばをあやつる作家/思想家である、橋本治サンの影響だと思う。(6月26日)