幻想の決め打ちとは何か

10年ほど前、遺跡発掘の現場で一緒に働いた女性がいた。かの女は図面を引くのがとても達者で、フリーハンドで平面図をすいすい描いていく。感心した私が巧いねと口にすると、本業はイラストレーターなんですと簡潔に答えた。

ある日、発掘した石片に数本の線が認められた。調査員の説明によれば、これはやはり人の描いた線だろうとのこと。「何か動物の絵に見えるね、鹿とか猪とか。落書きかもしれないし、祈祷に用いたのかもしれないね」

するとイラストレーターの女性が小さな声でつぶやいた。

「私もよく河原の石に絵を描いたなあ」

「それはいつ頃のこと」と私は訊いた。

「小学生の頃です。父はよく、私を釣りにつき合わせたの。河原にいたって何もすることないから、お父さんが魚を釣っている間、私は平たい石を選んでクレヨンでお絵描きしてました。何時間も、ずっと」

「退屈じゃなかった」

「ううん、ちっとも」

かの女は微笑んだ。そこで私は、

「なるほど。それがあなたのルーツか。その経験が絵描きを志すきっかけとなったんだね?」

と軽口を叩いた。するとかの女は急に表情を強張らせ、

「違います」

と答えたのち、口を噤んだ。私は自分の早合点を悔いたが、もはや取りつく島はなく、その後かの女は私との会話を避けるようになった。


これが幻想の決め打ち、その典型例である。私のこしらえた安直なストーリー、〈父との思い出がきっかけで志したイラストレーターの道〉というエピソード化こそが幻想そのものだった。かの女のかたくなな態度は、そんな答え合わせにつきあってはいられない、との意思表示だった。そのことを私は今の今まで気づけなかった。

手前勝手なストーリーを他者に当てはめてはならない。これと同じような過ちをしでかしていないか、今一度、私は自分の言動を再点検しようと思う。(8月27日)

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