悩ましいところ

エヴァ・キャシディ(1963年〜1996年)の「オータム・リーヴス(枯葉)」がカーラジオから流れてきた。嫌いな歌手ではない。この時も、ああいいなと思いながら聞いていた。

けれども悩ましい。私は世評に定着したようには手放しに称賛できない。世紀をまたぐ前後に登場した欧米のポピュラー歌手に共通して感じる「もどかしさ」があって、それを説明するのはとても難しい。

エヴァ・キャシディはロック・フォーク・ジャズ・ブルース・カントリーなどの様々なジャンルを統合し、スタンダードナンバーに新たな解釈を加えた。そのアイディアを支える歌の表現力には素直に脱帽する一方、エヴァを模倣したようなスタイルの歌手が(調べたわけではないが)この20年ほど増加の一途をたどっているような気がする。本人の責任では全くないのだが、そのフォロワーたちに表現領域を開拓していく気概を感じないのだ。

名曲が歌い継がれていくことは大事なことだけど、素朴なアレンジで誠実に、丁寧に歌っている「だけ」のカヴァー歌手が、洋の東西を問わず多すぎるように思う。

断っておくとエヴァ本人は随所に工夫を凝らしていた。例えば有名な「オーヴァー・ザ・レインボー」では、ミドルエイトの音符を意図的にずらして歌い、歌詞に違った側面からの光を当てている。しかし、そういった創意の跡の見当たらない耳ざわりがよいばかりのカヴァー歌手の蔓延がエヴァ亡き後の「成功モデル」に起因するとなれば、なんとも皮肉な話ではないか。

今日も歌手を目指す女性たちはデモを制作する。「ローズ」や「デスペラード」を歌うように勧められる。誰に?ボイストレーナーや売りこみに余念ないエージェントたちに。だけど彼女らはベッド・ミドラーやカレン・カーペンターの域には決して及ばない。私は忌野清志郎の意訳による「500マイル」を歌う女性歌手にも同じようなにおいを感じてしまうが、見方が皮相に過ぎるだろうか?

「ポピュラー音楽の定型は概ね出尽くしてしまった」と言われて久しい。そうかもしれない。けれども時代に新鮮な息吹を吹きこむ表現には、やはり今までとは違った何か(Something New) が必要である。エヴァの遺した録音に、それを見出すのは正直言って難しい。オリジネーター至上主義を声高に唱えるつもりはないが(同じく夭折した女性歌手である)ジャニス・ジョプリンやローラ・ニーロ、サンディ・デニーやミニー・リパートンの軌跡を知る私の耳は、五つ星には届かないなとシビアな評価を下してしまう。

とても気持ちよい上に、身が引き締まる声なのだけど。

厳しい意見を縷々書いたが、結句好きな歌手なのである。選曲のセンスもいい。クリスティン・マクヴィの「ソングバード」も良いが、何れか一曲を、と問われれば、私は「フィールズ・オヴ・ゴールド」と答えよう。

私見だが、これはスティングのオリジナルを凌いでいると思う。スティングの書いた客観的な構成の歌詞が、エヴァ自身の感情が率直に伝わるよう控えめに改変されている。その、僅かだけれども自分の色を添えたことが、より人口に膾炙した秘訣なのかもしれない。そこには歌うたいの明らかな意思がある。エヴァの見つけた黄金の野の原が。(12月17日)