体が答えを知っている。
皆んなこの真実を、
無意識的にわかっているが、
意識的にはわかっていない。
頭では理解していない、体験したこともない事柄に対して、成功するための情報をなぜか記憶として持っていることがある、やったことない未体験にもかかわらず。
思考すらしていない想像以上の現実が立ち現れてくる。なぜ結果が出たのか、原因が(必ず因縁果があれど)見えにくい。種を蒔いた覚えもない。
ただ、頭ではわかっていないという不確実な状況においては、むしろ、知っている情報をこねくり回しても正解がないことの方がよっぽどわかっている。
正解がないという不確実な状況に対して、
どういう行動を取るか?
多くの人は足がすくんで撤退するだろう。
それを横目に、ここでGO SIGNを出すのが桑原の習性。
動こうと考える前に、もう体が動いている。たとえ正解がわからなくても、生きた問いが「生解」を閃かせてくれる。そうやって突き進み続けて今がある。
もっと実相に迫って云うなら、考える前に、既に先に体が動いて結果が出ている。けれども、どうやって行ったのかプロセスも方法もわからない。再現性がないように聞こえるけど、何回も反復すれば成果を上げることができる。そう、方法がわかり得ないのに、勝手にできるのだ。
Body knows the answer, before mind.
《体が答えを知っている。》
ここでいう体は、
物理的な肉体という見方ではない。
「命の運動」という実体として捉え直せば、これまでとは全く違った視界が開けてくる。体の理解が根本的に変わり、何より体そのものが躍動しているという命のプロセスを掴める。
そうやってシフトされた体は、
状況の中に潜む答えを鋭敏に洞察する力に目覚めている。
真実に触れると勝手に発動する時代。
頭では決してわからないその真の答えを、
智慧ある体を通じて受け取ることができる。
場の中に潜む英智を汲み上げる体質になれば、
不確実で正解がない状況に対して
恐れを超えて立ち向かう勇気と行動が生まれる。
否、体が勝手に動いて、自動操縦で結果が出てくる。
綜まとめするなら、
◎状況に答えがある。
◎体は状況を掴むことができる。
◎だから、体は答えを知っている。
《BQ(体のintelligence)》の威力も決して見落としてはならない。
体感覚を解放すると、場がリソースフルであることがわかり、その莫大な力を萃(あつ)め、受け取ることができる。
IMGS大学院の吉川学長が提唱する、
人間力を全人的にフルに発揮する人間曼荼羅の一角の理解がまたひとつ深まった。
答えが出ない、白黒はっきりしない宙ぶらりんでも
そこに留まって、寛いで待ってみる。
周りがジタバタうろたえている最中で、
当の本人は至って落ち着いている。
そうやって曖昧の中に生まれる生解に支えられて生きてきた。
自ら生み出そうとしたら、
かえって創造的な働きを損なうから、
じっと何もしない。
そのとき実は脳が20倍も活性化している。
勝手に答えを探し出してくる。
必ず何かが生まれるから、ただ待つのみ。
答えは体が知っているから、それを信頼するだけで好い。