この4/25に、大好きな作品2つがたまたま同日に終幕した。ひとつは5年続いた漫画、ひとつは81話のドラマとどちらもなかなかの大作。
両者に共通しているのは、夢を描き、国を立て世界を一統し、大業を成したまことに偉大なる王のストーリーという点だ。
天に導きあって、正しい運命を選び取り、地を切り拓き民を益するところを我が使命と受け取ったところに核心がある。
しかし、必ず襲いかかってくるのは、逆流する運命。失明しても心眼を開眼し、追放や奴隷といった過酷な人生の冬を乗り越えていく。またなにも敵は外だけにあらず、内なる奢りや憎しみなど内なる心も制さなければならない。妻子を人質に取られても、建国した国が一夜で滅んでも、それすらも高みに登りつめる「布石」とした。
呪われた運命すらも大業のための糧と「陽陰和合」し、その理念・理想は決して曲げなかった。
誰にでも試練と危機の時期がある。その時期をどう耐えるかで、大業を成すか、投げ出すかが決まる。私と天の意が同じなら天は決して私たちを見捨てないと、不東の信念で突き進んでいく。
そうして天の意志をよく心得て、大業を成せなかった先祖の「無念という念子」を受け取り、その志を我が天命として忠臣と共に冒険した先に、大業を成した。
ここから現実世界にシンクロするのは、そのドラマに現存した国王の直系の子孫と京都で巡り逢えたことだ。高台寺の近くでカフェを経営している。
その場をアンテナに、宇宙と自然の一体感とその感動をピアノコンサートや詩などの形で藝術表現する。光と水をテーマとした縄文の響きを奏でている。カフェもコンサートの綜藝もお気に入りだ。
実に不思議なことに、2つの作品に描かれた王の人生の春夏秋冬・栄枯盛衰のリズムというのは、なぜか自分の人生と感応道交する形で共に進んできた氣がする。気持ち的にも現実世界にも同調する形で、共に苦悶し、共に喜び、共に歩んできた。
神話や実話をモチーフにした王道たるストーリーの方が、自分にとっては何よりハートとリアルに繋げて学ぶことができる生きた教材となった。愛する作品が終わったのは少しさびしいけど、自分の歩みはまだまだこれからだ。
To be continued…