サービスをうさんくさく見せる方法

少し前から、「クビでも年収1億円」というキャッチコピーの情報商材の広告がTwitterでよく表示されるようになりました。怪しげな情報商材の広告にうんざりするくらい見慣れていたので、その一種かと思って関心も払わずスルーしていました。しかしある時、ふとした好奇心からリンクに飛んでしまいました。
うさんくさいなあと感じながらも、一通り目を通します。ランディングページは、いかにもなセールステクニックを盛込みまくっていました。セールステクの見本市みたいな。もう胡散臭すぎて、一体何がここまで胡散臭さを作り出してるんだろう、って気になるほどです。
でも読んでいくと、これが意外と面白い。情報弱者を食い物にする悪質なビジネスの類だろうと決めつけていたのですが、安易にそう言い切れないと思いました。結局有料コンテンツには手を出してませんが、その範囲内だけでも知らないことを知れて勉強になりました。
そして、読み進めてるうちに気づいてしまいました。これ、ぱっと見は胡散臭い情報商材だと受け取ってその前提で見ていたけれど、小玉歩さん(著者)がやろうとしてることはむしろ社会起業に近いと。
会社勤めで色んなことに我慢し、しょうがないと思いながら暮らしてる人々に対して、違う道の存在を教えたい。そういう思いを感じました。確かにランディングページこそすごく胡散臭いし、タイトルなんて「クビでも年収1億円」で金の亡者のように見えます。しかし、彼が皆に与えたいのはきっと1億円ではなく自由だと思います。特に動画で「誰でも好きなことで稼いで生きていける」ということを主張していて、自分と似た思いを感じました。「1億円」はレトリックでしょう。
そういえば、これに近い構図のネーミングのタイトルを最近聞いた気がします。。
(※僕の書いた記事です)
タイトルだけだと誤解されかねないんですが、受験勉強をするなということではないです。しかし、この受験勉強にまつわる問題はなかなか複雑な構造をしており、端的に内容を表すタイトルをつけました。
そして以前から心配していたのが、Curisticプロジェクトは「あらゆる人のための」を銘打ってるばかりに、胡散臭く思われるんじゃないかということです。「誰でも使える」って怪しく聞こえますよね。実際世の中のほとんどの方法論は一部の人のためのものです。それにもかかわらず「誰でもできる」とうたっているものも少なくないです。しかし、Curisticの「あらゆる人のための」はレトリックではなく、僕は本気でその実現を目指しています。
このプロジェクトに対して色んな批評があること自体は構わないし、むしろそれが自然だと思います。でも、玉石混交の「自己啓発」と同じくくりにされてスルーされてしまうのはできるだけ避けたいのです。認識の段階で門前払いをされてしまっては、本当に届けたい人に届かないからです。実際かくいう僕も、「クビでも年収1億円」についてはまともに確かめることもなく「詐欺まがいの情報商材」とひとくくりにしてしまっていたし、他人事にはできません。
ということで、自分のプロジェクトを進める上で「胡散臭い→スルー」の流れを避けるために、何が小玉歩さんのビジネスをここまで胡散臭くしているのかがますます本気で気になってきたのです。僕が胡散臭さを感じてしまった原因は何なのか、自分でプロジェクトではどう対策をすればいいのか。その参考にしようと、この「クビでも年収1億円」の胡散臭さについてちょっと考えてみました。
胡散臭さの原因、その本質の部分がわかれば、そこを対策しようというわけです。
分析を始めるまえに(2/24追記)
書くまでもないと思って初稿では省略していたのですが、かなり初歩的な段階の、ある考え方について説明を書いておくことにしました。(冗長に感じたら飛ばして「セールステクニック使いすぎ説」からで問題ありません!)
というのは、「広告がウザい情報商材だから(自分が胡散臭く感じたから)詐欺だ」という考え方です。この推論はあまりにも素朴であると言わざるを得ません。
たとえ後にその有効性が広く認められるアイデアでも、登場したときに胡散臭いと思う人がいるのはふつうです。また、私たちが無批判に正しいと思いがちである、科学的な定説や教科書の内容が実は間違っていたということは多々あります。
そういうパターンを考えると、胡散臭く感じることと対象の真偽は直接関係があるわけではないことがわかります。
そして何よりも、この素朴な決めつけからは何も対策を引き出すことができません。小玉歩さんの主張が実際に正しいかどうかはわかりませんが、少なくとも僕ははじめは胡散臭いと感じ、少し読んでみると良い活動だと感じたということは事実です。このことを材料にして、ギャップの原因を洗い出すことが重要だと考えます。そのためにはもっと丁寧な分析をしていく必要があるでしょう。ということで本編の分析を始めます。
セールステクニック使いすぎ説
真っ先に思いつくのはこの部分です。まず、ランディングページの内容やメルマガのシステムなどが、人を誘導するのに効率的な、いかにもな手法を多用してるんですよね。これは素人でもわかるくらい明白です。
しかし、これは本質的な原因ではないと気づきました。というのも、他の「胡散臭く」ないビジネスにも人をひきつける科学的手法は使われていると考えられるからです。他のはただ装いが上手くそれを感じさせないというだけでしょう。そう考えると、今回はやり方が不完全だっただけ(うまく作用していないだけ)で、「セールスのための科学的手法を使うこと」は胡散臭さの本質的な原因ではないようです。何か追加の条件があるはずです。
人のカリスマ性にスポットライト当てすぎ説
次に思いついたのは、この小玉歩という人自身を、ともするとサービス自体よりも持ち上げているところです。ランディングページの文章やプロモーションビデオでは具体的なサービスの情報はほぼ書いておらず、彼の人生がいかに充実してるか・彼がいかに才能に溢れた人かということを演出しています。
先日、「サービスよりも作った人の方が有名になってしまったら、まずいと思う」ということを僕の友人が言っていました。容易に連想できたのが、「現代のルネッサンスマン」こと深見東州さんです。通学の電車によく出ている広告を見るかぎり、彼はとにかく色んな分野を手がけているようです。そして、個人にスポットライトを当てすぎているからか「胡散臭いよね」という話を友人としたのを覚えています。
そして別の参考例として考えたのが、メルカリの山田進太郎さんです。彼はビジネスの世界では有名ですが、一般人がよく知ってるかといったら微妙な気がします。でも恐らく、メルカリというサービスの名前は多くの人が知っています。そして彼には胡散臭さを感じたことはありません。
この二つの例から、個人のカリスマ性を持ち上げると胡散臭くなるのかな、と思ったのですがこれも少し違うようです。反例として思いついたのが、スティーブジョブズです。彼はそのカリスマ性に相当スポットライトを浴びてますが胡散臭いとは思いません。小玉歩さんをフィーチャーしてること自体は胡散臭さの本質的な原因ではないようです。ジョブズが胡散臭くなくて深見さんや小玉さんが胡散臭く感じるのはなぜなんでしょうか。
作ってるプロダクト/サービスが見えないから説
そこで考えたのが、プロダクト(サービス)がはっきりしてるかどうかの違いではないかということです。ジョブズはそのカリスマ性を散々取り上げられてますが、ジョブズの作ったサービスやプロダクト(出した結果)はとてもはっきりしています。大事なのは、人のカリスマ性を持ち上げるかどうかではなくて、サービスやプロダクトの中身が見えることなのではないでしょうか。
そう考えたけれど、小玉歩さんは彼の方法論によって「自分の好きなことでお金を稼げている」という自己像を提示していて、結果は一つの形で示されています。商品である方法論自体は買わないと扱えませんが、それはiPhoneも同じです。ある程度の評判を信じて買ってみないと実際の良し悪しはわかりません。
iPhoneと「クビでも年収1億円」の違いは何か。もうちょっと掘り下げてみます。
検証可能性に開かれてないから説
この「クビでも年収1億円」(小玉歩さんのビジネス)は、情報商材ビジネスの性質上、検証可能性にあまり開かれていないと言えます。iPhoneはいろんなギークたちがレビューを書いたり分解したりしているのに対して、この情報商材はコピー可能な「情報そのもの」が商品なので、買った人と買ってない人との間でオープンに議論を交わすことが難しいのです。序盤に貼ったランディングページに載っていた「推薦者の声」をみても、商品の中身自体を喋れないゆえ、エビデンスが抜けたふわふわした文章になっています。
ここまで来て検証可能性という話題が出ましたが、これはWikipediaでの最も重要な方針の一つでもあります。真実かどうかというのは究極的には確かめようがないので、「検証できる」ことを基準にして、できるだけ確からしい事典を作っていこう、という方針です。
また、(厳密には少し異なりますが)科学論で1番と言っていいほど重要な基準に反証可能性があります。その昔カール・ポパーという哲学者が、科学的手法にまず必要なのは反証可能性だ、ということを主張しています。「正しい=科学的」、「間違っている=非科学的」ということではないことに注意しなければいけません。科学的かどうかは二分できるものではありません。現在の科学体系はできるだけ確からしいものを寄せ集めて成り立っています。「真実だと確かめられたもの」でなく、「確かめられるもの」でもなく、「確かめられないとは言えないもの」をベースに積み重ねられているのです。
僕が感じた「胡散臭い」は「科学的でない」と同じと考えてよいと思われます。この仮説については今までのように反例を思いつきませんでした。科学的でないもののうちで胡散臭くないものが思い当たらなかったのです。また、科学的だと言えるものについて「本当かなあ」とは思っても「胡散臭い」とは表現しないと思います。(科学をかたっているものの中で胡散臭いものは、そもそも科学的と言える条件を満たしていなかったりします)
そしてこの段階で結果を応用して対策を立てることができそうだったので、とりあえずここで「何が胡散臭く見せているのか」の探索を打ち切りました。検証可能性にあまり開かれておらず、公の場での批評がしにくいことが胡散臭さの原因である、という仮説が得られました。
胡散臭く見えないようにする対策
これから得られた対策は、Curisticプロジェクト及び「学びの本質」論を検証可能性に開くということです。具体的には、第三者が何度でも確認し批判できるように、今行っているオンラインでの記事化を今後も進めていくつもりです。
そもそもあの「学びの本質」論は「人それぞれ」という思考停止をできるだけ排除し、誰もが確認検証して自分の糧にできるよう組み立てています。信じる必要を限りなく少なくしているものです。
「クビでも年収1億円」とCuristicプロジェクトの1番の違い
実は検証可能性の他に、書いておきたい重要な違いがまだ残っています。それは、小玉歩さんのビジネスでは救えていない弱者がいるということです。そもそも商材やセミナーの参加費が安くはなく、あくまで会社勤めである程度の金銭的余裕がある人が対象みたいですね。しかも、その方法論で本当に誰でも上手くいくとは言えないと思います。
Curisticプロジェクトは、受験勉強以外の道を教えればそれで終わり、というつもりはありません。中学生・高校生に限った話でもありません。僕自身の過去の経験から、「あらゆる人」が自由を感じられることを目標にしています。「運が悪かった」「力が足りなかった」という理由で誰かが見捨てられることがない社会を目指すということです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。今回の記事は、「受験勉強をせずに学ぶ方法」の続編(説明)でなくスピンオフです。最初の記事をまだ読んでいらっしゃらない方はぜひ、どうぞ。そちらの方が真面目です。
今回の「サービスをうさんくさく見せる方法」や、前回の「受験勉強をせずに学ぶ方法」は、どちらも仮説に過ぎません。読んでいただいた方からの意見や批判によって議論を深め、更に考えを発展させたいと考えています。よろしくお願いします。
今回の記事は書籍「クビでも年収1億円」及び小玉歩さんのビジネスについての批評ではなく、あくまでそれについて僕が見聞きした部分のみに基づく考察です。彼のビジネスについてきちんと検証し積極的に評価しているわけではないので、商品の購入は自己責任にてお願いします。
