3200時間

しのざきりゅう
5 min readJan 17, 2015

今から10年ほど前、私と夫は私たちの自宅を使って、簡素な新年のパーティーを開催することになった。子連れの友達や、まだ子供のいない友達、そして友達の友達なんかが一晩中好き勝手に出入りを繰り返すというもので、今では毎年開催される恒例行事のようになっている。1年目に初めてそのパーティーを開いた時、私は書斎でそんな「友達の友達」の一人と会話していて、彼は私の仕事について尋ねてきた。

「あぁ、大手の通信会社でアナリストをしているの。」と私が答えると、

「ようするに、何の意味もない仕事ってことだな?」と彼は返してきた。

「ええ。そうね。」 私の答えで彼の意表を(たぶん)突いてやりつつ、

「でも、私のやってることで他の誰かを幸せにしていることは事実だし、私はそれに価値があると思うわ。私が午前9時から午後5時までやってる仕事は、たしかに世界を良くはしないかもしれないけど、でも毎日毎日200人以上の仕事を助けてるの。その人たちの1日がより良くなれば、顧客との関係もより良くなるし、それはつまり私の会社が良くなって、事業が継続し、1年の終わりにはボーナスがもらえるってことよ。」

彼は私に深く謝罪し、私が仕事に費やしていた2500時間に対する侮辱的な考えを改めた。

2500時間

午前9時から午後5時に、いわゆる「オフィスアワー」で働く人々の、年間平均労働時間がそれだ。

私は彼に自分が納得していると伝えることで、私が何も気にしていないという態度を示してやった。とはいえ私自身、自分の仕事について頻繁に考えを巡らせており、当時の仕事がそれ自体では世界と、ついでにカナダのGDPにも何の影響も及ぼせないことに気づいていた。大多数の人と一緒で、当時の私にできることと言ったら「だから何だっていうの?」と嘆いて見せることくらい。実際のところ、家族を支える以外の働く意味を私は持ち合わせていなかったのだ。そういうわけで、その時私は、自分のやっている仕事についての価値 ―2500時間の労働についてくる年収以外での― 本質的な価値に基づいて自分の仕事を捉えることを学んだのだった。

インパクトを与えること

それは人生で1番私をモチベートしてきたことだった。相手が家族であれ、友達であれ、身近なコミュニティであれ、あるいは親戚や、政治的な議論や、私の読者や、私が働くことを選んだ組織であったとしても。私はインパクトを与えたかったのだ。

今年の9月に職場を去る前、私は最後に簡単な計算をしてみた。そして私がその職場で働いてきた過去(だいたい)3年の間に、3200時間もの時間を過ごしていたことに気づいた。。

それはつまり、約133日と3分の1日だ。

その3200時間はつまり、VIA train(訳注:カナダの全土を網羅する鉄道のこと)に乗っているか、あるいは世界で最も交通の激しい高速道路である401号線を走っている時間でもある。繰り返すが、世界で、1番、交通の激しい高速道路だ。

もちろんそれらによって私は疲弊した。けれども組織を愛していたがゆえに、自らあえてそうしていたのだ。組織の使命を愛していたし、BHAGs(訳注:企業が目指す戦略上の大きなゴールのこと)に対して仕掛けようとしていたインパクトや、システム上の問題を分析していくことや、スタートアップのコミュニティに根差していたことや、事業の立ち上げと成長を支援するビジネスを愛していた。

私にとって何より重要なのは、私自身が価値ある存在でいられること、参画を実感できること、そして尊重してもらえているということだ。

だから、前の職場を去ってからの私は、全ての選択を、「次の3200時間を使ってどこに価値を見出せるか」という基準に従って行うようにした。それは単なる労働の時間ではなく、私が関係を持つあらゆる人々と交流し、その人たちのために尽くし、一緒になって物事に取り組む時間だ。

私はいったいどんな技術を生み出せるだろう? どんな使命を支持するのだろう? 私がエネルギーを費やして闘うに値する議論とはどのようなものだろう? 賛同できるカルチャーを持った企業は? 一緒になって肩を並べ、ついていくのにふさわしいのはどの集団だろう?

これらの問いこそが、何より重要なのだ。

年を重ねるにつれて、時間とエネルギーを費やす場所を見つけるのは容易になってきた。自分一人でなんでもできるわけではないということを学んだからだ。私にできることとは、私のノウハウ、私の経験、私の知識とパッションを、それらに対して価値を見出し、尊重してくれ、参画してくれる人たちに向けて提供することだ。

私たちに与えられた時間。その全ての時間はあまりにも短く、そしてかけがえのないものだ。つまらない本や、長すぎる通勤や、しょうもないテレビ番組、他人のことを気にしてばかりいる人々、価値を感じない仕事(たとえその価値が何であったとしても)、周囲の人の活力を奪うような人たちのために使うべきではない。

3200時間だ。今でさえ私は、あまりにも多くを浪費してしまった・・・

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しのざきりゅう

海の運び屋。貿易船相手に第一線でバリバリ奮闘中。あ、船乗りじゃなくて勤務は陸上ね/元立教メディ社にして高橋ゼミ/立教広告研究会のちょっと前の代表さん/東京生まれ育ちの静岡勤務/ここまでの人生23年間なんだか変わったところにばっかり縁がある/だいたいなんでも好きだけど映画とHR・HMは人生のスパイス