Speculative Design Discussion

Daijiro Mizuno
33 min readMar 1, 2019

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収録:2019 / Jan / 08th

概要

この鼎談は、慶應義塾大学環境情報学部水野大二郎研究会において研究対象としてこれまであつかわれてきたSpeculative Design(スペキュラティヴ・デザイン)の系譜をまとめたテキストに端を発する(https://issuu.com/tacticaldesign)。

スペキュラティヴ・デザインは、1999年にAnthony Dunneが著した『Hertzian Tales』に初出するクリティカルデザインから発展したデザイン領域である。近接領域には、SF小説を出自とするデザインフィクションや、その応用であるSFプロトタイピング、さらには第二次世界大戦中の戦略構築手法に端を発するビジネス領域での経営戦略策定としてのシナリオ・プランニングなども含まれるだろう。

本研究会ではこれまで、水野が10+1でスペキュラティヴ・デザイン誕生の経緯や社会との接続について鼎談を行ない、またデザインフィクションに関して、元研究会メンバーの太田知也によるSF作家ブルース・スターリングの論考「Design Fiction」(INTERACTIONS, VOLUME XVI.3, ACM, 2009, pp.21–24)の翻訳を自身が手がけるメディア・Rhetoricaに掲載するなど、実践のみならず、その文脈整理を行い日本における後進の研究者や実務者の道標をつくる活動もしてきた。

デザイン学としてのスペキュラティヴ・デザインはResearch through Designの一形態として位置付けられようとしている。しかし、それが正しいのかどうかは未だ議論の対象である。そこで本鼎談は、系譜まとめを担当した研究会メンバーとの振り返りを通して、乱立する諸概念の整理と現存する問題、今後の展望について概観した。

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The following Japanese discussion between the members of Daijiro Mizuno Lab at Keio University Faculty of Environment and Information Studies reflects on the literature review on Speculative Design conducted a prior to this entry (see https://issuu.com/tacticaldesign, available in JPN only) .

Speculative Design is a design area that has evolved from Critical Design, a term coined by Anthony Dunne through his book ‘Hertzian Tales’ in 1999. Speculative Design can be related with other areas of study, such as Design Fiction, SF Prototyping and Scenario Planning, but it remains unclear how and why they are interlinked.

Speculative Design is about to be positioned as a form of Research through Design. However, this is still a debatable argument. Therefore, through reviewing with the members of the research group who took in charge of the literature review, this discussion revisits the various conflicting concepts and outlines the existing problems and future prospects.

スペキュラティヴ・デザインの誕生

水野:スペキュラティヴ・デザインが誕生してもう10年ぐらいになりますね。一言でいうと、これは一体何ですか。

青山:デザイン行為やその研究には推論的性質が特徴として存在する、ということは度々指摘されていますが、スペキュラティヴ・デザインは推論的思考を極端に先鋭化させたデザインだと思います。それによって、現在暗黙的に了解されている支配的な理論や主義とは異なるオルタナティブ、ありうる世界をデザインを通じて提示することができるのではないか。その結果として様々な人々の間の議論を誘発し、デザインされる対象の再定義や問題提起が図れるのではないか。こういった考えに基づいたものだと理解しています。

水野:どうしてスペキュラティヴ・デザインが要請されるようになったのでしょうか?

緒方:人間がコントロールできない環境変化や予測不能な問題が増えている時代において、未来は現在の延長線上には位置していない。ですので、未来シナリオや未来洞察を通してオルタナティブな未来について考えよう、という機運は以前から認められますよね。この文脈において従来の漸進主義的問題解決型デザインとは一線を画する形で醸成されたのが、スペキュラティヴ・デザインだと思います。

渡邊:デザインリサーチの視点からスペキュラティヴ・デザインが要請された背景について考えてみると、60年代からデザインの定式化を目指すなかで、 70年代に入ってWicked Problem(意地悪な問題)といわれる実世界におけるデザインの問題が指摘された結果、60年代の体系化されたデザイン方法論の有効性が疑問視されましたよね。そんな中でResearch through Design(以下、RtD)が提唱され、過去の急進的な芸術運動を布石にしながらそのフレームのなかで意地悪な問題に取り組む姿勢の一つとしてスペキュラティヴ・デザインが登場した、とも位置付けられます。

水野:スペキュラティヴ・デザインの形成に寄与した領域や要因には、デザイン学以外にどのようなものがあったのか教えてください。

渡邊:20世紀の芸術運動がスペキュラティヴ・デザインの布石として挙げられます。例えばイタリアの未来派宣言やロシア構成主義、建築に特化するとアーキグラムやスーパースタジオなど、直接的な繋がりがどの程度あるかは不明確ですが、確実に構造的類似性を持っていると思います。

青山:1960年代のイタリアのラディカルデザインやアンチデザインが、大量生産・大量消費を駆動する手法の一つとして規定されたデザインに対する疑念に端を発し、「別の方法によるデザイナーの貢献には何があり得るのか」という問いを背景として生まれたと考えると、アンソニー・ダンが提唱したPost-Optimal ObjectsPara-Functionalityといった概念との直接的な接続が伺えるでしょう。また、人とモノの相互作用においては実用的、機能的な価値以上に感覚的、審美的な体験がデザインによって引き起こされることがわかってきました。その性質を積極的に利用することで、人々に特定の感情を惹起させる-しかもしれは肯定的なものだけに限定しない-デザインとしてのスペキュラティヴ・デザインの特徴が形成されたともいえます。

水野:先ほど「クリティカルデザイン」というキーワードがさらっと登場しましたよね。それ以外にも「デザインフィクション」というキーワードもあろうかと思います。デザインフィクションの成立過程にはSF小説が多分に影響を与えていますが、SF小説もスペキュラティヴ・デザインの形成に寄与しているのでしょうか。

青山:そうですね。サイエンスフィクションとしてのSF小説が1920–30年代に第一次SFブームを迎え、その後ロケット打ち上げの成功のような急速な技術発展を経験した後の1960年代に、第二次SFブーム、ニューウェーブとして人間の内面世界を探索する動きが広がり、これらはスペキュラティヴ・フィクションと総称されました。このように科学技術の発展が人間の世界の理解のしかたを本質的に変性させうるのだというSF小説における気づきは、スペキュラティヴ・デザインの理念と類似するところがあります。

水野:では、クリティカルデザイン、スペキュラティヴ・デザイン、デザインフィクションにはどのような違いがあるのでしょうか。こちらの動画

RISD: Critical Design/Critical Futures 2015: Critical Design + Critical Futures

(2015年のロードアイランド・スクールオブデザインでのフォーラム)でも議論されているようですが。

緒方: そもそもスペキュラティヴ・デザイン自体が非常に多義的で、スペキュラティヴ・デザインを提唱したアンソニー・ダンとフィオナ・レイビーも単一的な定義は存在しないと述べています。とはいえ、ロンドン芸術大学のMatt Malpassは自身の博士論文において、クリティカルデザインを現代の社会の在り方、倫理観に対する批判を行うためのデザイン活動であるとしています。これに対し、スペキュラティヴ・デザインはより未来的な示唆や未来を思索することによる、新たな提案を実際の人工物のデザインを通じて行うデザイン活動であるとしています。

青山:Matt Malpassはデザインフィクションに関してはそこまで言及していませんが、クリティカルデザインとスペキュラティヴ・デザインは明確に差別化しています。スペキュラティヴ・デザインは、今までデザイン領域内には含まれてこなかった先進的な科学技術がどのように社会に入り込み人間生活に影響を与えるのかを探索することでデザイン領域の限界を押し広げるとともに、ありうる未来の可能性を提示する未来志向型のデザインであると述べられています。一方クリティカルデザインは、現在の社会における問題の再発見、再定義、批評をデザインを通じて行うことであるとしており、議論を促進させる機能を果たすために悲観的な未来を提示する傾向にあると述べています

スペキュラティヴ・デザインにおける実践と研究

水野:過去数年の間に、スペキュラティヴ・デザインはスペキュラティヴ&クリティカルデザイン(以下、SCD)として、デザイン学においてなぜか合体しましたよね。 それがいいのかどうか疑問ですが、現在、SCD研究や実践例としてはどのようなものがあるのでしょうか。

渡邊:実践を通して初めて明らかになることがSCDにおける知への貢献であり、故に極めて実践と研究が分け難いという前提にまずたった上でわかりやすい事例を挙げるとすれば、イギリス内閣府のPolicy Labでしょうか。市民参加型で政策を立案するにあたり少子高齢化社会の未来像を打ち出し、それを参加者が見たり体験したりすることによって自分達の未来を思索する、という、組織的な実践であると思われます。

水野:イギリス内閣府のPolicy Labの活動に関しては他の座談会でも言及されましたので、他にも事例があれば挙げていただけますか。また、スペキュラティヴ・デザインとRtDは似て非なるものだと指摘する研究者も出てきていますよね。この点も鑑みて、スペキュラティヴ・デザインに関する研究事例についてもお聞かせください。

青山:先ほど渡邊さんが指摘したような実際の社会活動におけるデザイナーの介入まで含めた実践活動としては、2010年にEASST(European Association for the Study of Science and Technology)で開催されたフォーラム「The Speculation, Design, Public and Participatory Technoscience: Possibilities and Critical Perspectives Forum」において、実際に社会学者とデザイナーが一緒になって技術開発がどのように進められ、社会に影響を与えるのかを議論しています。このように単なるギャラリーの中ではなく、実際の科学フォーラムの中に入り込んで議論を展開している例が挙げられます。

渡邊:2018年にACM DISカンファレンスで発表された論文「Let’s Get Divorced: Pragmatic and Critical Constructive Design Research」においては、これまでRtDのフレームで捉えられていたSCDを批判的にとらえる主張がされています。確かにSCDには実践を研究たらしめる厳密な作法が存在せず、何をもってして知の貢献と見なすか疑問符が浮かぶ気もします。実践を通じて得られた新たな知を、再び利活用してさらに新たな知に寄与する、という研究としての当たり前の姿勢はSCDにも求められるはずです。デザインプロセスの記述方法の不明瞭さも含めて、SCDは一つのデザイン実践の領域としては成立しているものの、どのように研究として成立できるかは未だ議論の最中にあると私も考えます。

水野:2018年に発表された論文ですから議論の余地は残ると思いますが、本論の共著者のうち2名(Ilpo KoskinenとJohn Zimmerman)は2012年『Design Research through Practice』においてRtDの一部にクリティカルデザインを位置づけたものの、2018年の段階ではその実践と研究を峻別しよう、という結論に至ったのは示唆的ですね。

スペキュラティヴ・デザインに関連する書籍・論文

水野:スペキュラティヴ・デザインを理解する上で参考となる論文や書籍があれば、いくつか紹介していただけますか。

緒方:アンソニー・ダン(とフィオナ・レイビー)による3冊があります。『Hertzian Tales』、『Design Noir』、『Speculative Everything』です。『Speculative Everything』に関しては邦訳がなされています。本書では類似する多様なデザイン事例を紹介しながら、スペキュラティヴ・デザインとは何なのか、外堀を埋めるように説明しています。1999年と2001年に出した『Hertzian Tales』と『Design Noir』では、電磁波の健康被害に関する人々の懸念を受けて、電磁波とインタラクトする不思議な機能を持つ家具を制作し、実際に人々に家庭で使ってもらい、その結果として彼らの生活にどのような変化がもたらされたのかを調べています。

水野:『Hertzian Tales』では日本の事例も多く、伊東豊雄「東京遊牧少女のパオ」から珍道具まで多岐に渡り紹介されており、面白いですよね。青山さんはいかがですか。

青山:ACM SIGCHIカンファレンスで2017年に発表された「Evaluation of Prototypes and the Problem of Possible Futures」という論文が、未来をどのように考え、その結果をどのように評価するのかに関する具体的な手法に触れているという点で参考になると思い、紹介します。 ここでは未来に対してのビジョンを投影し、 そのビジョンの一部分を具現化させて現在に戻す形でプロトタイプを制作し、そのプロトタイプの使用を通して再び未来を思索する、というプロセスによって、未来志向のプロトタイピングを説明しています。

その上で、その中において行われる操作を大きくControlとStagingの二つに分類しています。Controlは「不確定性を排除することによって、未来を制御可能なものにしようとする」ことを指します。一方Stagingは「具現化された未来的なプロトタイプが、現在の世界の中で正確に動作するように調整を施す」ことを指します。例えば被験者にリードユーザーを起用したり、未来を再現した空間でテストをおこなうといったことです。このようなツールを計8個あげた上で、最終的な結論としてMargin of Toleranceという概念を提示しています。 すなわち、不確定な未来を完全に予測することは不可能であるため、未来が多少変動したとしてもその誤差を許容するような強靭な未来予測をどのように構築するか、ということを議論の焦点に据えるべきである、というまとめを行っています。

https://dl.acm.org/citation.cfm?id=3025453.3025658 より引用

水野:HCI研究として成立するようにデザインプロセスが一定程度体系化している点が特徴的ですね。渡邊さんはいかがですか。

渡邊:二つ紹介させていただきます。まず一つ目として、スペキュラティヴ・デザインを違う方向から理解するための補助として個人的に読むといいと思うのは、1999年に『Interactions』で発表された論文「Design: Cultural Probe」です。カルチュラル・プローブというデザインリサーチのツールは一見遠隔でのコンテクスチュアル・インクワイアリーのように見えますが、実際にこの中で述べられていることは、協力者の創造的な反応や洞察をいかに引き出し、デザインへいかに昇華させるかということです。そしてスペキュラティヴ・デザインとしての生成物もまた、鑑賞者もしくは参加者の創造的な反応や洞察を引き出すための媒体として存在する(Design for Debate)わけですよね。従って私はカルチュラル・プローブについて読み直すことで、スペキュラティヴ・デザインで生成される人工物とはどのような意味合いを持っているのか把握できるのではないか、と思います。

2冊目はシナリオプランニングの定本、『Scenario Planning』です。ビジネスサイドから見ると、第二次世界大戦中からすでに仮想シナリオをベースにして思考するシナリオプランニングが存在し、現在も主要な手法として広く活用されています。これはある意味でスペキュラティヴ・デザインと似通っている部分があると思います。シナリオプランニングに関しては多くの書籍や論文が存在するため、何から読めばいいのか紹介するのはやや難しいのですが、導入としてはシナリオプランニングの大家である未来学者、ハーマン・カーンによるロイヤル・ダッチ・シェルでの実践レポートや学術論文がいいのかもしれません。

スペキュラティヴ・デザインの系譜から見えてきたもの

水野:まとめを書くことで初めて気づいたこと、わかったことはありましたか。

青山:「何を対象としたオルタナティブなのか」を明言することで、スペキュラティヴ・デザインとは何なのか、ある意味間接的に定義しているなと思いました。 例えばダンは度々、スペキュラティヴ・デザインを定義してしまうことで硬直化してしまう危険がある、そもそもスペキュラティヴ・デザインは姿勢の問題である、といった主張をしていますよね。その主張が直接的な定義を避け、ポジショニングによる間接的な言及へと接続するんだな、と理解しました。『Hertzian Tales』の中では、資本主義社会における最適化、効率化を主目的においた既存のデザインに対するオルタナティブを示すものである、とした上でPost-Optimal Objects、Para-Functionality、User-Unfriendlinessといった概念を提示し、自分たちが何を対象として批評を行っているのか明らかにしています。このように、彼らがいかに自分たちのポジショニングを定めているのか、そのために何を批評の対象として設定しているのか、その一連の流れを再発見できました。

渡邊:スペキュラティヴ・デザインはクリティカルデザイン、デザインフィクションのみならず、SFプロトタイピングやシナリオプランニングのような多くの類似する考え方やターミノロジーが存在しています。 青山さんの指摘にあったように、スペキュラティヴ・デザインには明瞭な定義や方法論があるわけではなく、それを避けることが重要であるとされます。一方、スペキュラティヴ・デザインを中心として類似する概念や手法をみると、いくらか体系的な知が眠っていることが今回わかりました。今、それらをスペキュラティヴ・デザインといかに紐づけて理解するかが重要だと感じています。すなわち、ビジネスや政策立案におけるスペキュラティヴ・デザインといったように、批評対象やテーマに対応した統合的な知の生成と蓄積による一定程度の体系化が必要ではないか、ということです。

水野:系譜をまとめてみた中で特に印象に残った理論、手法、実践例、概念などあればご紹介いただきたいと思います。すでにPost-Optimal Objects、Para-Functionality、User-Unfriendlinessといった概念をご紹介いただきましたが、それ以外に気になったものはありましたか。

渡邊くんによる概念図

渡邊:自分なりにビジネスにおけるシナリオプランニングと未来志向型のデザインを並置して整理してみました(上図を参照)。X軸に手法の特性、Y軸にシナリオの性質、Z軸にフォーカスする時間を設定しました。補足すると規範的シナリオとは「目指すべき未来」を構築するシナリオであり、探索的シナリオは「ありうる未来の可能性」を探索するシナリオです。このまとめにおいてスペキュラティヴ・デザインは「創造的、探索的な姿勢があり、フォーカスする時間帯は未来である」という相対的な位置づけが可能です。その他シナリオプランニングの各アプローチや、デザインフィクション、SFプロトタイピングなどをプロットしたこのまとめは、もちろん議論の対象となるかと思いますが、各概念を相対的に理解する手がかりとしては役立つと考えます。

水野:議論を誘発する、面白いまとめですね。

青山:一般的にスペキュラティヴ・デザインは未来の可能性を探索する形で認識されることが多いと思われますが、スペキュラティヴ・デザインにおけるオルタナティブの導出方法には、Alternative PresentsとPossible Futuresの2種類が挙げられます。James Augerが2013年にDigital Creativityジャーナルで提唱したAlternative Presents(下図)は、過去のある時点から分岐したありえたかもしれない現在を思索するタイプの手法で、 これはオルタナティブを提示しつつも未来について言及しないという点において、予測不能な未来であるがゆえに評価方法が不明瞭になる問題をある程度回避することができる、という意味で面白い方法だと思います。

https://www.researchgate.net/publication/263596818_Speculative_Design_Crafting_the_Speculation より引用

一方でダン&レイビーが提唱したPossible FuturesをしめすPPPP(下図)では、現在の地点から線的に予測が可能な起こりそうな未来だけではなく、不可能ではない起こりうる未来までを含めて探索する中で、我々が暗黙的に予測しているありそうな未来を相対化させ、様々な可能性を平等に議論の俎上に乗せようとして出てきています。

アンソニー・ダン&フィオナ・レイビー『スペキュラティヴ・デザイン』より引用
なお、PPPP図の元ネタはClem Bezold and Trevor Hancock(1993)

さらに面白いのが2016年、Design Research Societyカンファレンスでイギリス・ランカスター大学のPaul Coultonらが提唱した概念図(下図)です。後にCoultonの同僚であるJoseph Lindleyが度々援用しています。個々人が考える「ありそうか、ありそうでないか」ということ自体が、そもそも個々人の過去の経験によって構築される主観的な概念でしかない。したがって、唯一絶対の現在は存在せず、それ自体がすでに個々人においてオルタナティブであることを前提に未来の思索を行わなければ、議論が豊かなものにならないのではないかという指摘です。このように、限定的ではあるがアップデートが行われているのが印象的でした。

https://www.researchgate.net/publication/301286491_Games_as_Speculative_Design_Allowing_Players_to_Consider_Alternate_Presents_and_Plausible_Futures より引用

スペキュラティヴ・デザインが孕む問題と限界

水野:定義や方法の体系化、固定化を避けつつ進展してきたスペキュラティヴ・デザインに関する議論は依然としてたくさんあると思います。皆さんから見て、特に気になる論点があればご紹介いただけますか。

緒方:結局「議論を巻き起こすためのデザインどまり」であって、何か具体的な行動やプロジェクトにどう繋がるのか議論として不十分かな、と感じます。

青山:今指摘された点は、「議論によってどの程度意識が変わったのか」ということを含め、スペキュラティヴ・デザインにおける成果物の解釈や評価に関して未だ定まったものを持たない、あるいは持てないことが根幹にあると思います。正確な予測が不可能な未来の、あるいは実際には存在せず機能しないオブジェクトの評価指標とはなにか、評価する必要自体がどの程度あるのか、デザインとして評価しないのであれば、スペキュラティヴ・デザインが多くの語彙を借りている現代芸術とどのように差別化されうるのか、といった点がスペキュラティヴ・デザインにおける問題であると考えます。

渡邊:単なる実践として捉えようという風潮があるとしたら、結局現代美術との差異がさらに不明瞭になる気がします。かといって研究として割り切って捉えようとすると、トロント大学のMatt RattoによるCritical Makingやイリノイ工科大学のBruce TharpによるDiscursive Designなど、研究を行うためにタクソノミーだけいたずらに増加している傾向が見られるようになり、やがてスペキュラティヴ・デザインが持つ有用性は看過されていくのではないかと思います。つまり、実践的研究としてのスペキュラティヴ・デザインが示唆する有効性や新規性がなかったものとして扱われるんじゃないか、という焦燥感です。とはいえ、スペキュラティヴ・デザインの不明瞭さはどこまで貫くべきなのかと、今回のまとめを通じて考えさせられました。

緒方:評価方法が定まっていない状態のまま、スペキュラティヴ・デザインがアイデア出しのツールとして消費される危険性があると思います 例えばビジネス領域で非連続的イノベーションを考える、といった場合などです。デザイン思考のようにスペキュラティヴ・デザインがツールとして捨象され、消費される問題が将来、拡大していくのではないかと懸念しています。

渡邊:今の話は、ナイジェル・クロスが指摘したDesignerly Ways of Knowingのような形でデザイン思考の意義を理解、応用する例が少なくなり、単なるツールとして消費される問題が起こったことを受けて、スペキュラティヴ・デザインも同様の道を辿るのではないか、という指摘ですよね。そのうえ、スペキュラティヴ・デザインとは何なのか意図的に宙吊り状態にされている今、スペキュラティヴ・デザインを消費しようとしている人に何を伝えればよいかも課題です。

そう考えると定義しない、定式化しないスタンスを維持したまま、いかにスペキュラティヴ・デザインを理解、解釈してその有用性を活かすか、というジレンマの中で社会実装が進むのでしょう。このジレンマがスペキュラティヴ・デザインの持つ限界性なのかもしれません。

青山:単なるツールとして消費されたり、既存の社会環境の中において利用されるのみにとどまるのではないかという指摘がありましたが、そもそもスペキュラティヴ・デザインがなぜオルタナティブを導出するのかといえば、それによって現状支配的になっている考え方を相対化させ、並列状態に戻して再考させるためです。

そもそもアブダクションという考え方自体、仮説の真偽ではなく仮説の妥当性の強弱、競争関係を重視し、その時々で最も適切な仮説を選び出そうという考え方であったことに戻って考えてみましょう。これまで様々な面白いビジョンをスペキュラティヴ・デザインは提示してきましたが、結果として「ありうる未来たち」がどのように競合したり関係しあったりするのか、導出された様々なビジョンの利用方法に関してあまり話が及んでいないため、支配的なデザイン理論や方法論を相対化するに至っていないと思います。

また、最終的にスペキュラティヴ・デザインが議論の場をつくる、とか、人を集めて考えさせる、ということを目的としているのであれば、その議論自体がどのような性質のものなのか、という点が問題になると思います。議論がその時々のルールによって規定されるゲームであると考えると、スペキュラティヴ・デザインがどの議論をどういう形で巻き起こそうとしているのか、ということに関して誰も言及していないというのは、最終成果物の条件を定めないまま進んでいるともいえ、大きな問題だと思います。

水野:「ディベートのためのデザイン」とも呼称されてはいるが、勝敗や優越を競う議論でないとしたら、どのような成果が議論として導出されることがスペキュラティヴ・デザインに望ましいのか。成果がいまだ不確かであるという指摘は、重要かもしれないですね。

スペキュラティヴ・デザインの日本における展望

水野:2018年10月、オリィ研究所という組織を中心にした「寝たきりの人でも操作できる分身ロボットを活用した実験カフェ」のクラウドファンディング・キャンペーンが成功しました。コミュニケーションをとることが生きる上で非常に重要だという考えから、ALS患者が目の周りの筋肉だけを使ってロボットを遠隔操作し、カフェに来ているお客さんとコミュニケーションをとる、という社会実験だそうです。

このような事例に顕著かと思いますが、日本では欧米諸国と比べると肯定的に(ロボティクスなどの)一部の新技術の導入を捉える傾向があると思われます。他方、新技術がもたらしうる倫理的課題などに関する議論はあまり盛んではありません。そんな国、日本では今後スペキュラティヴ・デザインはどのように発展していくのか。皆さんはどのようにお考えですか。

渡邊:日本でスペキュラティヴ・デザインがどのように発展していくのかについて、具体的な示唆を述べることは現在の日本のデザイン理解の土壌を考慮すると正直難しいです。そこで私は今後、スペキュラティヴ・デザインが日本でどのように受容されるべきかを考えたいと思います。

ご指摘の通り、現在の日本は新技術に寛容な姿勢で取り組んでいると思います。しかしその背景には、日本企業のグローバル市場での復権があると私は考えています。失われた20年を経て没落した自社のポジションを復活させる欲望に駆られ、新技術開発とその受容が広まっているということです。このような状況においてスペキュラティヴ・デザインはツールとして消費される危険性があるでしょう。そこで私は単に新規技術開発や応用のためではなく、広く社会システムや倫理と絡めることを前提に何らかの実践をしなければいけない環境下でスペキュラティヴ・デザインが日本で受容されてほしいと考えます。

青山:私は日本が持つ神道的な常若の思想をひとつの可能性としてあげたいと思います。自然災害などの環境変化の激しい日本においては、新しいものを受容したり 、自分の周りの環境が一変してしまうことに対して、非常に柔軟な精神的土壌が存在すると考えます。するとそこにスペキュラティヴ・デザインが受容される余地は大いにあるだろうと思います。一方、それが面白がられるだけに終わり、議論に繋がらないという点についていえば、ヨーロッパのような多民族国家で議論をして意見をすり合わせなければそもそも何も進めることができない、という環境で必要に駆られて出てきたデザインを、単一民族で空気を読む習慣のある日本において定着させるための「必要性に駆られる必要」があると思います。

日本におけるスペキュラティヴな建築運動としてのメタボリズムについて考えてみると、 第二次世界大戦後の日本が高度経済成長によって急速に再建されていく中で、一旦白紙に戻った地上に自分たちが新しい未来をつくるのだ、という特殊な社会認識の共有環境があったからこそ大きな力を持つに至ったわけですよね。そう考えると、首都直下地震や南海トラフ地震後の日本など、自然災害によって身の回りの環境がある意味定期的に根本的に変わる日本の特殊な状況と結びつけることで、より自分たちごととしてのスペキュラティヴ・デザインにアプローチできると考えます。

緒方:私も日本で自分ごとにするための工夫が必要かと思います。日本は非常にガラパゴス的な技術、国内でのみ需要がある技術があります。そうした需要との上手な重なり方があればスペキュラティヴ・デザインやクリティカルデザインが国内で議論されるきっかけになるのではないかと思います

水野:なるほど。本日はどうもありがとうございました。

参考文献

Anthony Dunne

Hertzian Tales: Electronic Products, Aesthetic Experience, and Critical Design

https://www.amazon.co.jp/dp/0262541998

Anthony Dunne, Fiona Raby

Design Noir: The Secret Life of Electronic Objects

https://www.amazon.co.jp/dp/3764365668

Anthony Dunne, Fiona Raby

Speculative Everything: Design, Fiction, and Social Dreaming

https://www.amazon.co.jp/dp/0262019841

Matt Malpass

Critical Design in Context: History, Theory, and Practices

https://www.amazon.co.jp/dp/1472575172

Woody Wade

シナリオ・プランニング――未来を描き、創造する

https://www.amazon.co.jp/dp/4862761658

鷲田祐一

未来洞察のための思考法: シナリオによる問題解決

https://www.amazon.co.jp/dp/4326504242

Brian David Johnson

Science Fiction Prototyping: Designing the Future With Science Fiction

https://www.amazon.co.jp/dp/1608456552

Paola Antonelli

Safe: Design Takes on Risk

https://www.amazon.co.jp/dp/0870705806

Paola Antonelli. Text by Paola Antonelli, Hugh Aldersey-Williams, Peter Hall, Ted Sargent

Design and the Elastic Mind

https://www.amazon.co.jp/dp/0870707329

Paola Antonelli

Talk to Me: Design and the Communication between People and Objects

https://www.amazon.co.jp/dp/0870707965/

Alexandra Daisy Ginsberg, Jane Calvert, Pablo Schyfter, Alistair Elfick and Drew Endy

Synthetic Aesthetics: Investigating Synthetic Biology’s Designs on Nature

https://www.amazon.co.jp/dp/026201999X

柏木博、佐藤卓、リピット水田堯、アンソニー・ダン&フィオナ・レイビー、長谷川祐子

うさぎスマッシュ

https://www.amazon.co.jp/dp/4845913178

参加者略歴

青山新(あおやま・しん)

https://thinao.tumblr.com

1995年生まれ。多摩美術大学美術学部環境デザイン学科卒業。2018年から慶應義塾大学政策・メディア研究科在学中。修士研究においては、都市微生物のメタゲノム解析を行うGoSWABとの共同による、微生物との共生を前提とした未来住宅の提案を通じて、建築領域におけるスペキュラティヴ・デザインのあり方を探索している。

渡邊光祐(わたなべ・こうすけ)

www.linkedin.com/in/kosuke-watanabe-b4815b177

1995年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部2019年卒業。豪スウィンバーン工科大学へ1年間留学、サービスデザイン/イノベーションマネジメントを専攻。スペキュラティヴ・デザインを通じた経営戦略形成に関する研究を行う。

緒方亮介(おがた・りょうすけ)

https://twitter.com/ryogata

1995年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部2019年卒業。研究会ではGoogle ATAPとの共同研究にてウェアラブルテクノロジーの未来を思索した動画に登場するサービスやインターフェースのデザインなどを担当。仮想の未来から思索するこれからの日本の学校教育のあり方について研究。

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