耳と脳と皮膚と骨

先日、音楽のライブをした。音楽といっても数人で集まって即興的に音を出すという実験的な音楽。楽器を弾くメンバーもいれば、得体の知れない物体をこするメンバーもいる。口でアワアワ言うだけの瞬間もある。こんな風なのでとても従来の音楽ライブとしては受け止められていない。むしろ・・
「これ、音楽なの?」
という意見が良く聞かれる。それから「意味わかんねぇ」「奇抜なことやりたいだけでしょ」とか「オナニー的だ」とも言われる。
実際参加しているメンバー達と話すと、「音楽なのかどうか」という意見はもっともだということになる。音楽ではないのかもしれない。どちらかというと音そのものを探したいと思ってやっている。メンバー自身が意味を分かってやっているわけではなくて、ただ確かなのは探し物をしている最中なんだということで。
時々自分たちのことを「ノイズ」と言ったりする。でもそれは一般的に「ノイズバンド」という響きからイメージする意味のノイズではなくて、単純に雑音というコトに近い。
「世界は雑音に満ちている」
なんていうと仰々しいけど、日常生活には音が溢れていて、その音はあまりにも日常過ぎるので殆ど聞こえない。というか耳と脳と皮膚と骨で聞かないように選別している。毎朝洗濯機はグイングイン唸っているし、カーテンは風になびいて壁と摩擦する。ビニール袋が飛んで行く音もするし、遠くの道路をバスが走る音も伝わる。
それを一括りにすると「雑音」という表現になる。ひとつひとつは純粋なそれぞれの固有な音なだけなのだけども。
そういう自然な状態を雑音というのなら僕らは雑音をやっているのだ。だから自分たちでノイズって言ったりする。もっともっとノイズそのものになっていって、誰にも気が付かれないライブになったら成功かもしれないと思う。
「誰にも気が付かれない音楽」
逆にいうと、クラッシック音楽というのは長い年月をかけて雑音を削除して、純粋な上澄みの部分、濁りのない和音だとかズレないテンポだとか、生活の中では極自然な音達を排除して人工的な美しさを追求したのかもしれない。
クラッシックの音楽会に行くと、子供がたった一人大声で泣くだけでその音楽は壊れてしまう。ビニールがカサカサ音をたてただけで雰囲気が台無しになる。つまり、上澄みは繊細なのだ。壊れ易く、他者を受け入れにくい。そうい意味で言うと雑音(ノイズ)を含めて完成させようとする音楽は音に対する受け入れは割りと広い。
昔、屋外でライブをしたときには救急車が通り過ぎ、そのサイレンが曲に参加したし、突然鳴り出した車両盗難防止のアラームもその場で取り込むことができた。どこからか流れる有線放送さえ一体になれる。
これは大分丈夫な音なのだ。
もちろん難しい。一つの音が爆発的に大き過ぎると他の音は聞こえなくなるし、自然界のタイミングを再現するのは至難だ。
今さっき、空を飛行機が通り、風で葉が揺れ、建て付けのわるい戸がカサっと一瞬音をたて、遠くでは工事で使う電動ノコギリの響きが始まり、小道を歩く女性のヒールと配達のバイクが進んだり、止まったりしている。それらの音がズレたり合ったりしながら同時に、ひたすら音をたてている。日常はこうやって沢山の音に囲まれて生きているのに耳は一向に辛くないし、疲れない。
これをライブで再現(いや、出産かな)しようというのだから難儀なバンドだ。
確かに安易なカタルシスだけを聴きたい気分の時があることも確かなんだけれど、実験をゼロにしてしまっては進展が望めないのも確かなんだ。遥か昔に誰かが発見した和音の組み合わせや、その順番を入れ替えて作ったものだけが音楽だなんてことはないのだし。
「また、できたらいいね」そんな風に思うメンバーと1%の聴衆がいてくれることに感謝して。
拡張音楽バンド Son&PankillyGirls オフィシャルサイト