花火

今年の8月1日。江戸川の花火に行った時のこと。

会場から遠い山手線あたりから浴衣姿の若者がちらほらといた。夕方の少し早い時間だったが、小岩に向かう電車は既に不穏な混み方で、駅では「本日花火大会のため大変混雑いたします」と非常のアナウンスがされていた。

やはり若いカップルが多かった。ああして若い頃を十分に満喫できる幸福・幸運を羨ましく思い、それができなかった自分の過去をさめざめと思い遣った。そしてやはり今も変わらず孤独なままでいることを。

改札を出るとそこも人だらけで、ミツバチの巣に入ったように賑やかだった。混雑のあまり人の流れが完全に止まってしまうその瞬間を具体的に恐れ牽制するかのように「立ち止まらずお進み下さい」「駅構内での待ち合わせはお止め下さい」と、ここでも駅員が必死のアナウンスをしていた。それを無視して立ち止まり待ち合わせる群衆に幾許かの不快感を覚えた。

初めて行く場所だったが、駅を出てから会場へは矢印で示される順路のまま、人の流れに合わせてただ歩けば良く、地理に暗くても行き先が自明なのは実に便利だと思った。黄色く黄昏れる夕方の街を、周りを歩く家族連れやカップルの尋常の会話を聞くともなく聞きながら進んでいると、彼らと違って一人きりの自分もまた、彼らと同じように何かしらの人間関係に属しているように錯覚できたりした。

次第に日が暮れていく中を人の群れに混じって歩く。ここはあの世で、みんな死んだ人なのだと思ってみたりした。自分もまた死人の一人に違いない。「俺自身の絶望の今生を終え、俺と違って温かく生きた人たちの死後に合流したのだ…」。あの世にしては暖かく牧歌的で、人通りの多い道に出た露店では今が書き入れ時とばかりに呼び込みをしていた。俺はこの矛盾を反芻し愉しんでいた。

皆赤の他人であるにも関わらず、人間一般が皆、ゾロゾロと同じ方向へ、「どこか」へと目指し一心に向かっていく。この現象は何か原型的で、無意識下にこびり付いている太古の記憶に一致するかのようだ。他の文化圏では聖地巡礼として宗教体験の一部となるような心理。だが根底にあるのは人類全体に共通のこの素朴な神秘性に他ならない。…人間には鮭の回遊のような本能がある(あった)のかも知れないし、アフリカを出発した人類は理想郷への見果てぬ夢を見つつ斯く移動を続けたのかも知れない。或いは精子の群れが一様に卵子を目指す時の意識が魂に刻み込まれているのかも知れない。…


駅からは割と遠かったが、とうとう爆心地らしきところへ着き、土手を上まで登った。眼下に広がる人の海! 驚くほど沢山の人がいて、雑多な色彩を埋め合わせた帯となり彼方まで土手の斜面を埋め尽くしていた。驚くほど沢山の人…! 目に飛び込んできたこの光景は何か俺に感動をもたらすものだった。

始まるのを待ちながらウロウロと歩いた。右手に見えるあの橋を渡る電車が総武線であること、今いるここが、千葉に住んでいた数年間、都内に出る度に車窓から眺めていた川と土手だったことに気付いた。何もない空っぽ人生で出歩くこともなかった俺は、この時初めて車窓に降り立ったのだった。

それから19時、最初の一発目が上がる時のカウントダウン。これから何か素敵なことが始まるのだという、場を包む楽しげな期待。くすぐるような興奮は、現実を・人生を楽しまない俺にさえ伝染した。そしてまだ日が暮れる前の夕空に上がった最初の花火。群衆の歓声。それは格別のものだった。

それから二つ、三つと花火が上がるのを見続けた。飽きさせないようにメリハリをつけてプログラムされていることを思った。次第に日が沈み真っ暗になる。花火の上がるちょうど向こうに満月が見えていた。


花火の穂がきらめいてたなびくのを見ていると、視力が一瞬回復したのに気付いた。遠近感を感じられるほどクリアに見え、夜空の大きな空間の広がりを、現実のものとして認知できた。ほとんど十数年もの間、俺の視界に靄をかけ続けた離人症の症状から、一時的に解放されたようだった。世界の広がりを認知できた。その中にいる自分自身の事も。

今まで心を通わせたことのない他人との、あんなに大勢の人間との一体感。同じものを見て、同じ感動を共有していた。


ひときわ明るく、まるで人生の一瞬のきらめきのように花火が弾け、火薬がジャアっと音を立てるのが聞こえる。土手を埋め尽くす群衆から拍手と歓声が上がる。予期していなかった特大の花火が力強く空気を震わせ、今まで何度も痛めてきた俺の胸を、思いがけず太鼓のように叩いた。それは細かい振動となって伝わり、悲しみでダメにしてきた俺の心臓を解きほぐすように。

俺は今までの人生が報われるように感じていた。決して大袈裟でなく、確かにそう感じていた。今までの苦しみが。今までの悲しみが。美しい花火の閃光に報われるよう。終わりも見えなかった絶望の歳月、今までの人生の果てに、この一瞬が俺を待っていたことを知ったのだった。


夜空に現れては消える花火に見入るうち、俺はいつしかこれが人の手によるものだということを忘れ、その本質を捉えようとして考えていた。それはまるで生き物の・紛れもない偶然であるのにも関わらず・完全な必然の内にあるとしか理解し得ないその不可解な美しさのよう。

花火は、圧倒的な現象として、過剰な音と過剰な光を放ち、これでもかこれでもかと、夜空にその実存を烈しく刻みつけるのだった。ただ人の目を楽しませる為の徒花が、繰り返し繰り返し(意味も無く!)その圧倒的な実存のみをただ示していた。

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