実名の覚悟
くろたま
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認識の境界線 — Re: 実名の覚悟

SNSへの実名参加について、これだけ考え方が分かれて行くのはなぜか‥と色々考えてみる。
私にも匿名と実名の両方の経験があり、現在はアーティスト・ネーム (Didier Merah) の方が世界的に認知されているので、アーティスト・ネームもリアルネームも両方共に「実名」のような感覚で周囲も認識して居る。

但し職業によっては実名参加が裏目に出る場合、私がそうであるようにDidier Merahと言うブランド名で配信して居る私の音楽作品や執筆物が実名とLinkした場合に、なかなかアーティスト・ネームをリスナーや読者に記憶して頂けない‥等のリスクも付いて回り、どちらが好いかと言う答えを出すのはとても難しい。

この場合、いわゆる「仕事の付き合い」か或いは「個人的に繋がりたい相手か」に、その答えの矛先が分かれて行くのではないだろうか。


例えば私の場合は「仕事の付き合い」であれば必然的に「1 対 多数」の関係性が周囲との間に生じるし、そうではなくいち個人としてSNS等に参加する場合であればもっとクローズドな人間関係‥、つまり「その相手と関わっていることを世間には公表しない(場合によっては、それが出来ない相手である)」と言うようなコミュニケーションが多々発生する。
そのことが理由でFacebookではあえてフレンドリンクをしないままで居る知人や友人が私には複数存在し、本当に人の数だけコミュニケーションが存在すると言っても過言ではない。

では、どちら側の人たちとより深く関わりと持ちたいかと訊かれたら、おそらく「実名を公表し、その名前で社会にコネクトし活動している人物」と私は迷わず答えるだろう。
なぜならばSNS経由で人と繋がる場合の殆どが、知人ではないし面識もないからだ。

つまりそうではない相手(匿名でSNSに参加している人たち)とは深く関わる必要も理由も私にはないわけだし、何となく(悪い言い方をするならば)「コミュニケーション上の頭数」と割り切ってしまえば好い‥とも思う。
勿論そういう相手とはプライベートな時間を割いてまで関わることはないだろうし、おそらく相手もそうであろうと言う暗黙の了解が成り立って居れば、双方が匿名か実名か‥と言う条件の相違がSNS内での関わりにさして大きな支障を与えることもないだろうと思っている。


結論として、個人的な心情の面では私は、記事『Re: 私がネット上に実名を出すようになった理由』の元記事を書かれた 斉藤 正賢さんの考え方の側に同調し、共感する。
斉藤 正賢さんとは機会があれば是非個人的にお話ししてみたい(会って、目を見て)相手となる可能性も大であり、「腹を割って話しをする」相手として生真面目なスタンスで接して行ける可能性を秘めている。

HNや匿名でSNSに参加されている方へは勿論そういう感情は起きないし、起こすこと自体がナンセンスだときっと相手も感じている。

名前の壁は意外に厚い。
好くも悪くもあまり明け透けにすることには個人情報の流出等のリスクも生じるのであまりオススメも出来ないが、同時に「それなり」の話し相手として暗黙のうちにカテゴライズされてしまうリスクも受け入れた上で、「それなり」の話題の息抜き以上にインターネットを利用しない人たちにとっては実名がどうの、匿名がどうの‥と言う話はきっと「どうでも好い」ネタに過ぎない、そんな気もするのだが‥ (笑)