宗達にデザイン感覚の現代的原型を見る

もう6年前のことになりますが、酒井抱一生誕250年ということで、1月から3月にかけて東京の各所で特別展がありました。酒井抱一は現在のアカデミック的には「琳派」に属すると分類されており、これは尾形光琳がそのスタイルを固めたのでそう呼ばれているのですが、その光琳の先駆けとして俵屋宗達が位置づけられています。

もっとも、よく知られているように、宗達、光琳、抱一には師弟関係はなく、それぞれが先達の作品を勝手に見つけて私淑して手法を独自に学んでいる事実があることから、後の世になって、多分大正時代に「琳派」と呼んで系統づけられたということです。そんなわけで、収集家の方もひとつの流れとしてこれを受け止めており、酒井抱一の生誕記念展示では、先達と位置づけられている宗達や光琳の作品も見ることができるわけです。実際には、宗達は江戸時代前期の京都の人で、抱一は江戸時代後期の江戸の人。200年くらいの隔たりがあります。

さて、光悦と宗達による金銀泥下絵の和歌巻にはいくつかのシリーズ作品があります。畠山記念館では「金銀泥薄下絵古今和歌巻」を見ることができました。この下絵は宗達本人なのか弟子のものかどうかは不明ですが、本阿弥光悦の書で、彼のディレクションのもとに作成された、とてもシンプルでかっこいい作品です。

畠山記念館には、その他に「金銀泥四季草花下絵古今集和歌巻 」(重要文化財)があり、出光美術館には「蓮下絵百人一首和歌巻」の断簡(後の世の人が掛け軸などにするために長い巻物の部分を切り取ったもの)や、「月に萩・蔦下絵古今和歌巻」「花卉摺絵(かきすりえ)古今和歌巻」といったものがあると図録には載っていました。これらは実際には見ることはできませんでした。
既に見ていたのは、神戸市博物館に来た「鹿下絵和歌巻」(シアトル美術館蔵)と京都国立博物館の「日蓮展」で展示されていた「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」(京都国立博物館蔵)の一部分でした。

いずれも、一種のグラフィックデザイン的であるという点でとても面白いと僕は感じます。例えば、同じように装飾絵画としての主流であった狩野派の作品とは明らかに違っています。その違いとはなにかというと、例えば、画面構成におけるリズム感であり、リズムを作り出すために空間の切り出し方や物体の抽象化(デフォルメ)についてあえて思い切ったことをしています。そこが絵画というよりグラフィックデザイン的であるゆえんだと思います。

下絵和歌巻ではないですが、それを端的に示しているのが、宗達の「蔦の細道図屏風」だと思います。画面の背景は緑の丘のように見えるのですが、その手前で画面の左上から右下に掛けて空間が裂けて開けているようになって、その中に蔦が向こう側の空間を垣間見るような感じで垂れ下がっている、みたいな構成になっています。もはやSF的ですらあります。

そもそも、グラフィックデザインというものは現代的な発想であると僕は思い込んでしまっているのかもしれません。だから、あの時代にこんなものが!と思って面白いと感じてしまうのですが、実際には、人間のデザイン発想は近代的な部分では少なくとも数百年前とはそれほど変わっていないのかもしれません。変わったのは、それを表現する技術やそれを生み出す組織力に過ぎないというわけです。例えばこれから千年もすれば、僕らは江戸時代前期、あるいは中世くらいの時代の人間と同じくくりの中で分類されるのかもしれません。ここら辺の人間はほぼ同時代人というわけです。

「金銀泥四季草花下絵古今集和歌巻 」と「月に萩・蔦下絵古今和歌巻」を図録でみると、前者はその冒頭がすごい竹の幹のクローズアップで始まっており、後者は、満月を表すすごく大きな銀の円が冒頭でいきなりどーんと現れ、そして四季の草木や月に照らされた萩へと巻物の絵がまるでカメラがパンしていくかのような構成になっています。現代の映画やアニメーションででもありそうな構成だと感心します。でも、それは現代的であるというより、実際には、ひとつのデザイン的なあるいは音楽的な物語構成について江戸から現代にかけての近代人(もしかすると中世も含む)が持つ原型みたいなものなのかもしれないと思うのでした。逆にいうと、宗達の作品にはそういうことを見いだせる要素がいくつもあるように思います。そういうところが僕にとっては、宗達を興味深いと思えるひとつの要因です。

さてそんなわけで、これから、デザインと呼んでいる感覚も、実はもしかすると近世や中世以降人の感覚はそれほど変わっていないという仮説で、その連綿と続く感性の流れについてここに書いていきたいと思います。

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