七月十四日

朝: ハムと卵の目玉焼き、納豆、ヨーグルト。昼: 定食屋のササミカツ定食。夜: 洋食屋のハンバーグセット。

暑い。もっぱら室内での座り仕事なので暑さ自体は苦にならず、暑いことが単純に楽しい。室内でのパソコン仕事は病気の元だと感じる。仕事が終わって外に出て陽射しを浴びるとうれしい。


富山生まれ「極力採りません」「閉鎖的な考え方が強いです」 本間不二越会長、会見で持論 |北日本新聞ウェブ[webun ウェブン]

富山生まれの人材を総合職として採用しないという方針を述べた経営者がいるらしい。富山とは書いてあるものの地元生まれ、とパラフレーズしてもいいだろう。ネット上では批判が渦巻いているが素朴な共感や納得の声もある。

このように意見が二分する場合は片方の「納得」は抑圧されている意見であり、批判の方は誰も反論できない「正論」だ。「正論」はしばしば現実を捻じ曲げる。地方生まれの人間を差別してはダメだ、と言われれば誰も反論できないだろう。しかし、地方生まれで地元在住の人に保守的な人の割合が大きい、と言われれば地方と都会を両方経験したことのある大抵の人の実感に合致してしまう。要はそこを問題としているわけで、個人としての地方出身者を差別しているわけではなく、マスとしての地方出身者の性質を語っているわけだ。この「納得」は、まあ「本音」と言ってもいいだろう。

本当は誰しも「本音」を語りたい。というか日常会話のレベルでは語っている。しかし公的な場所では「正論」が強い。この「正論」が色々なものをダメにしている。

「正論」はときに科学的な物言いであるかのような顔をする。タバコや酒が体に悪いから辞めた方がいいとか、一日30分は運動をしたほうが良いとか、そういう意見だ。だが人間にとっての真理とはそのような「べき」の話ではなく、実際人間がどう存在しているかというレベルで調べなければ得られない。人間はどんなに体に悪いと言われても酒もタバコもやってしまうし、運動もせず暴飲暴食するものだ。一部には「正論」そのものの生活を送る人も居るだろうが、「正論」人間だけが人間ではない。「正論」通りに事が運ばない原因を調べなければ何も問題は解決しない。

こんな風に「正論」が世の中をダメにしているときに、公的な場で「本音」レベルで発言できる人は稀有だ。王様は裸だと言える人間は偉い。「王様は裸だと言える人間は偉い」という言葉も「正論」の一種であろうが、人は「正論」を得意げに掲げるとき「本音で議論すべき」という正論をも忘れてしまう。


ところでブログをはてなブログからMeduimに引っ越すことにした。Mediumとか今更すぎるが、理由はいくつかある。

重い

とにかく重い。ブログサービスとは昔から重いものと相場は決まっているものだが天下のはてな様なのだからその技術力でサクサクと動く軽いブログを作ってほしかった。これではレン鯖でWordPress動かしたほうがマシなくらいである。

クソブログが多い

ブログは昔と違い検索からの流入よりももっぱらSNSからの流入で読者を集めるようになってきていて、ソーシャルなつながりが重要となっている。そのせいではてなブログも以前よりもさらにSNS的な側面が出てきているのだがそこでおすすめとして表示されるブログの9割9分がクソである。読む価値があるのは技術系の記事だけ。このようなクソブログの中にまみれていたくない。それは耐え難い。

自分が読み返すときMediumのほうが読みやすそう

俺のブログは読者が居るわけでもないし、唯一の読者は自分自身である。つまり自分のために書いている。自分があとで読み返したとき読みやすいのはどう考えてもMediumである。

スマホで書くときMediumのほうが書きやすそうだった

もちろんはてなブログであろうがMediumだろうがスマホアプリでPCと同じ書き味を実現することは不可能だし、細かいバグもあるのだが、はてなブログのアプリはかなり書きにくかった。キーボードでテキストが見えなくなったり、画像のプレビューがろくにできなかったり、タイトルや本文が表示されなくなったりした。こういうバグに自分の方を慣らしていくのはバカのすることだ。ブログはもう布団に寝転がってスマホで書きたい。ブログのためにいちいちPCの蓋を開けたくない。

Mediumもかなりソーシャルっぽいのでこの空気に自分が耐えられるかはわからないが、空気を読めないというコミュ障の持ち味を活かして頑張っていこうと思う。

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