ハウス・ミュージックが生まれた瞬間

Erika Ito
8 min readNov 25, 2015

シカゴの若いDJが、盗まれたLPレコードと初期のドラムマシーンにインスパイアされて全く新しいジャンルを確立するまで。

by Jesse Saunders

全ての始まりはドラムマシンだった。

1983年の夏、僕はシカゴでプレイするDJで、毎週金曜日と土曜日に、街で1番大きなクラブのひとつ「The Playground」でニュー・ウェーブ、エレクトリックヒップホップ、ディスコ、シンセポップなど、なんでもプレイしていた。The Playgroundは、あらゆる階級のシカゴ人たちが刺激的に入り混じることで知られていて、僕の仕事は、全ての人を同じようにエレクトロミュージックに合わせて踊らせることだった。

僕がローランドのTR-808を初めて触ったのもその頃だっただろう。それはプログラムで制御できるドラムマシンの先駆けで、すぐに僕の自慢であり楽しみになった。僕は、クラブのお客さんたちを個人的なフォーカスグループ(訳注:マーケティング用語。集団に意見を聞くこと。wikipedia)に設定し、この新しいオモチャにプログラムしたトラックを毎週末プレイするようになった。僕が作ったアップビートでエキゾチックな音楽に合わせて、1500人の高校生と大学生たちが体を動かすのを観察した。

さらには、シンセサイザーを使って音を足しながら、ターンテーブル上でトラックの編集やミックスをすることさえあった。メロディを足したり、違うドラムトラックも色々と試した。僕は、クラブを新しいサウンド — それは僕自身のトラックのときもあれば、レコードストアで見つけたトラックのときもあった — を試す場として、毎回、既存概念を押し広げるようなプレイをし、それは僕のDJに必須のアプローチ方法になった。そして、それが僕のサウンドのスタイルにもなっていった。

ある日、Importes Etc(訳注:シカゴのレコードストア)で新着の12インチレコードを漁っていたら、フランク・セルズというアシスタントマネージャーが僕に話しかけてきた。LPの山をかき分けていたとき、「うちのお客さんが君のプレイするレコードを知りたがっているんだけど」と何気なく言った。そして、「どのレコードのことか分かる?」と彼は聞いてきた。

僕がどのトラックのことか分からないでいると、彼は、「今週末のプレイをカセットテープに録音してくれないか?」と頼んできた。次の週には、それがどのトラックのことか分かった。TR-808を使って作った、後に「On & On」と名付けたもので、リメイク元のレコードは2,3ヶ月前に盗まれてしまっていた。

セルズは思いついてこう言った。「もしそれをLPにプレスできたら、ものすごい数売れるよ」。僕は衝撃を受けた。そのレコードが素晴らしいことは分かっていたが、自分の「On & On」アレンジを作るまでの過程を振り返ると、ありえないことだと思ったからだ。

オリジナルバージョンも「On & On」というタイトルで、僕がDJをするきっかけになった、兄貴的存在のウェイン・ウイリアムスが紹介してくれた。ウェインが手に入れたのは、最高なブート盤ディスコ・レコード(タイトルは思い出せない)で、色々な曲のいいところを少しづつ組み合わせて作られていた。そのレコードスリーブには、唯一「Remix by Mach」とだけ書いてあった。ウェインは、DJプレイ中のトイレ休憩のために、ときどきそのレコードのA面にあった15分のミックスをかけていた。

ある日リビングで、例レコードを裏返して聴いてみると、B面にはそのブート盤のマッシュアップが入っていた。その曲のベースラインはPlayer Oneの「Space Invadors」から、リフレイン(繰り返し部分)の「ツーツー、ヘーイ、ビービー」はDonna Summerの「Bad Girls」から、そしてホーンはLipps Incの「Funkytown」から取られていた。このマッシュアップが「On & On」と呼ばれていて、すぐにすごい物だとわかった。はじめてそれをプレイしたとき、ダンスフロアが熱狂的に盛り上がったから、僕のテーマ曲として毎回イントロで使うようになった。今思えば、「On & On」こそが、世界で最初に作られたマッシュアップだろう。

残念なことに — いや、この件があったから成功した僕にとっては幸運なことかもしれないが — それはThe Playgroundのブースから盗まれた、数あるレコードのひとつだった。このときばかりは、さすがに途方にくれたが、このレコード泥棒のおかげで、僕は自分のバージョンのマッシュアップを作らなければならないという使命感を得た。

すぐに、7234 South King Drive(シカゴ)にある寝室で、その貴重なレコードの音源を集めて、Tascamの4トラックカセットレコーダーに録音しなおしている自分がいた。そしてこれは、元々の「On & On」のいいところをさらに伸ばして、しっかり肉付けされた、ひとつの曲として仕上げるチャンスだと思うようになった。僕は、TR-808で新しく、いい感じのドラムをプログラムし、作曲家の友人、ヴィンス・ローランスが歌詞とメロディーを作った。

僕たちはそれを、友達とクラブで踊ったり体を動かすことを想像するような、自然に心から幸せだと感じられるような音にしたかった。振り返ると、それはハウス・ミュージックだったということになるが、人が自然と踊りたくなる燃料としての音楽という意味で、僕がずっとやってきたDJのプレイスタイルととても似ていた。

僕は、ディスコの4つ打ち、Kraftwerkのエレクトリックなインパクト、Giorgio Moroderの弾けるようなポップシンセや、Donna Summerの「I need love」を組み合わせた。このフロアがうまく盛り上がるようにアレンジした、新しい「On and On」をダンスレコードの最先端だと思うようにさえなった。

なにかすごいことが起こりそうだと直感した。そして僕はこの新しいバージョンを毎回のプレイで使い始めてみた。めちゃくちゃなヒットになった。

ヴィンスにプレス工場と話を繋いでくれるように、手助けしてもらった。1週間後、僕は自分のバージョンの「On & On」初盤500枚を手にし、すぐにImportes Etcに届けた。誰もそれが何なのか理解していなかったが、需要はとても高く、数日で全てが売り切れ、追加の1000枚がすぐに製造された。僕たちが、それを地元の店やラジオ局に卸すと、そのレコードはさらに勢いに乗り始めた。

そこから先は、もう歴史だ。シカゴで地元のラジオ局が流すと、その曲には命が与えられ、アメリカ国内の他のラジオ局、そして世界中のナイトクラブで次々にプレイされるようになった。

「On and On」の影響は、距離と時間の両方で、広い範囲に及んだ。新しいサウンドをインスパイアし、最終的にはシカゴ・ハウスというジャンルで呼ばれるようになり、「Move Your Body」のような曲も生みだされた。今日EDMとして知られている音楽でさえも、ダンスフロア用に組み立てられているという点で、「On and On」が元になっているとも言えるだろう。

というわけで、「On and On」の成り立ちは、ハウス・ミュージックの成り立ちとも言える。それはずっと続いていくストーリーなんだ。「And on. And on.」ずっとずっと。

イラスト by Thoka Maer
写真撮影 by Jessica Chou|スタイリング by Su Han/Dew Beauty Agency
ジェシーサンダースのツイッターアカウント:@JesseSndrs

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Erika Ito

Product Designer at VMware Tanzu Labs (former Pivotal Labs) in Tokyo. Ex Medium Japan translator. | デザインに関すること、祖父の戦争体験記、個人的なことなど幅広く書いています😊