仕事で成功して、家庭で失敗して

わたしのスタートアップが最も輝かしく成功していた時期は、わたしたち家族にとって最も暗い時期でした。

Erika Ito
12 min readNov 8, 2015

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一番上の息子が5歳のときに描いた家族の絵。

妻とわたしは大学で出会い、恋人になりました。はじめのうちは、あえて子どもを作らないことを選択していたのですが、どちらもビジネススクールに入ったことで、やむおえず子供をつくれない状況にありました。しかし、結婚してから6年が経った頃、お互いに子供が欲しくなりました。妻もわたしもスタートアップに勤めていて、どちらも真剣にキャリアを築こうとしていました。わたしたちは、最初の子を育てながら、同時に仕事も続けるのが当然だと考えていました。それを実現するために、エネルギッシュで素晴らしいベビーシッターをフルタイムで雇うことにしました。実際に妻は、会社が上場を控えていたこともあって、ベビーシッターのサポートを得ながら産後2週間で職場復帰しました。そして、妻が第二子を妊娠したころ、わたしはスタートアップスタジオのIdealabのマネージングパートナーとして、主に.comバブル崩壊の影響で経営が難しくなった会社の倒産手続きを担当していました。わたしは元々、第二子の誕生後、妻が産後6ヶ月で職場復帰するまで、しばらく休暇をとって家にいるつもりでいました。でも、第二子が生まれた頃(当初の予定よりも22ヶ月後)、状況は大きく変化していました。仕事への情熱を失っていたわたしは、なにか新しいことを始めたくて仕方がなく、新しい会社を起こすことにしました。妻と娘が退院する日、わたしは既に後のIronPortとなる、スパムメール対策サービスのための資金調達を始めていました。

最初はわたしと共同創始者の2人だけでしたが、大きな野望 – インターネットに蔓延している脅威から企業を守ること – はあっても、事業を拡大するためのリソースはありませんでした。だからまず、わたしたちは全て自分たちでやりました。設立初期のIT系スタートアップに参加するということは、朝早くから出社し、自分の身を削りながらなにかいいものを作り、資金が尽きるより早く意義のあるプロダクトをリリースすることです。それは人を雇いだした後も同じことでした。もう自分でコーディングすることはありませんでしたが、CEOとしてエンジニアチームと物理的に一緒にいることは必要なことだと感じていました。時々、みんなにランチやディナーをご馳走することもありました。週末にも開発が及ぶようになったとき、わたしたちはエンジニアをサポートするマネジメントチームを雇い入れました。彼らのために食料を買い、ドライクリーニングを受け取りに行き、車のオイル交換をして、子供たちのためにオフィスで子守ができる環境も整えました。

かけられた全ての労力が報われて、最終的にIronPortはCiscoに買収されるまでの7年間、大きく成長し、独立した会社として成功していました。それはとても素晴らしく、社会人として一生に一度できるかできないかの経験でした。でも、そんなキャリアとしては最も輝かしい日々でも、家庭は、疑う余地なく最も暗い日々でした。二人目が生まれてからたったの18ヶ月で三番目の子どもができ、どうやって子育てしていくか、夫婦で大きな決断をしなければならなくなりました。わたしたちは色々な計算 – それから自己分析も – をして、ベビーシッターをもう2人、さらに雑務を手伝ってくれるスタッフも雇わなければ、今のペースで仕事を続けるのは難しいという考えに至りました。第一子を出産してから何年もフルタイムで働き、勤めていたスタートアップが上場してからは事業開発部のシニアバイスプレジデントを任され、ハーバード大学のMBAを持つ妻、その先にも素晴らしいキャリアパスが見えていた妻が、専業主婦となって子育てに専念することを「選んで」くれました。

3人の子どもが小かった頃、わたしはほとんど家にいませんでした。いたとしても、簡単に言うと、わたしは 特に協力的でもなければ、ポジティブな雰囲気でもありませんでした。このときのわたしはこう考えていました。「仕事で身を削っているんだから、家にいるときくらいはカクテルを飲みながらゆっくりテレビでも見ていたい。職場でずっと人と話しているんだから、家では静かにリラックスしたい。」そしてIronPortは成長し、お客様、プレス、アナリスト、もちろん社員らとも出張に出かけ、いつも家を空けるようになりました。わたしたちの売上はほとんどがアメリカ国外からだったので、ヨーロッパ、アジア、南アフリカの遠隔オフィスをサポートすることがとても重要だと思っていました。一ヶ月の半分以上も家を空けたことも何度かありました。逆に家にいるときにも、わたしはひどい寝不足で、時差ボケから回復する必要があり、とても子守を任せられる状態ではありませんでした。

その頃の妻の経験はわたしの経験とは大きく違っていました。彼女はずっと家にいて、子たちと短い単語での会話を朝から晩まで繰り返していたので、わたしが家に着く頃には、大人との会話をとても必要としていました。わたしがソファに座ってカクテルを飲みながらテレビを見ていたことは、彼女が一生懸命子供たちに教えようとしていた、「家族の輪」の完全に真逆の行動でした。お父さんがゴミ捨てや電球の取り換えをほどんどしないことで、「家族みんなで料理や掃除など、家のことを分担しよう」という彼女の教育は全く意味がなくなっていました。わたしは家庭よりも自分のほうがよっぽど大切だったので、彼女が「ストレスを感じている」ならば、掃除や料理をしてくれる家事手伝いさんを雇ったらどうかと提案しました。

はぁ。。わたしは問題の本質をちっとも理解していませんでした。職場では素晴らしいロールモデルとして振る舞えていたのに、家では最悪で、自己中心的な嫌な奴でした。なにかを変えなければいけませんでした。

CiscoがIronPortを買収したあと数年間はCiscoで働いていましたが、その後18ヶ月ほどの休暇をとりました。その間、わたしと家族の関係は大きく変わりました。ランチを包み、カープールレーン(複数人で車に乗ると優先的に利用することができる高速道路の車線)を走り、夕飯を作りました。わたしの役割の仕事をするようになったのです。妻や目標とするほかのお父さんたちの助けによって、わたしのプログラムは書き換えられたと言っていいでしょう。そして2011年、わたしはベンチャーキャピタルのAndreessen Horowitzにパートナーとして加わりました。でも、家庭での新しい役割は、フルタイムの仕事に復帰してからも継続しています。

妻とわたしが結婚してから22年が経ちました。親になってからの数年間もパートナーとして過ごし、わたしが変わるように努力したことの中から大切なものを紹介します。

繋がるために繋がりを断つこと

IronPortを経営していたころ、わたしの子供たちがまだ小さかったころ、わたしは職場で起こっていることは家庭で起こっていることよりもずっと大切だと思っていました。わたしは、体は居るけど心がここにいない、と責められることが多々ありました。(もし、トイレに行くふりをしてメールを書き終えることがあるなら、あなたはその時その場にいないのと一緒です。)妻はわたしにそのことを分からせようと、いくつもヒントをくれていましたが、それでもわたしは辞めませんでした。IronPortを退職したとき、わたしはしっかり家庭にコミットするには、仕事との繋がりを断つことが必要で(例えばPCやスマホの電源を切ること)、全ての神経を家で起こることに向けなければいけないのだと気が付きました。美味しい料理を作る。自由研究を手伝う。パートナーと将来について語る。

優先順位をつけて計画すること

妻とわたしは、毎週デートに出かけます。息子とわたしは空想のフットボール・リーグに所属しています。娘たちとは一緒に料理をします。ほとんどの場合、これらを動かせないアポイントメントとしてカレンダーに登録するようになりました。水曜日と金曜日の朝9時以前は「朝食を作りカープールするから会議に出れない」ということをカレンダーに登録してあります。そうすると、驚くことにその時間には本当に会議が設定されないのです。(可能であれば、会社の近くに住むことで、予定の優先順位を入れ替えるのがとても簡単になります。たとえば、家族との夕飯のために一度帰宅したあと夜の会議に戻る、など。)

コミュニケーションをとること

IronPortで出張にでかけたとき、わたしは何日も連絡をとらないことがありました。妻は、友人に「今週スコットはなにをしているの?」と聞かれたときも、彼女は正直に「全然わからないの。直接メールしてみてもらえる?」と答えるしかありませんでした。わたしはそれほど没頭していたのです。家族とのスケジュールを優先するようになった今、わたしは家族との食事の予定を組んでカレンダーに追加し(これがわたしたちの中で1番大切なことかも知れません)、お迎えとお見送りをし、小回りがきくように調整します。たとえば、「ちょっと時間が余ったから子供のバスケの試合を30分だけでも見られるかも?」「帰り道にどこかで買っていくものはある?」など。わたしの役割は会議と会議のあいだに、なにか起きていないか連絡をとることです。ただし、もしわたしが「親当番」のとき — たとえば妻が遠くに出掛けているとき — には会議の最初に「すみませんが、妻が留守なので、子供たちになにかあったときのために携帯を手元に置かせていただきます」と相手に知らせるようにしています。このようにコミュニケーションを改善したことが、最も大きな変化をもたらしました。今日、一日に複数回の電話やメッセージは普通のことになりました。もっと広い意味で考えても、コミュニケーションは大切です。家族は — どんな人も含みます— スタートアップに加わることやCEOになることなど、人生を変えるような決断をするときには、みんなで一緒に話し合って決めるべきだと思います。そして、話し合って決めた約束でも、人生に進展がある度に、ゆるく変更できるような自由度も残しておくべきです。

関わること

家庭内の全てのことに深く関わらないのなら、本当のパートナーになるのは不可能です。パートナーに、特定のタスクだけを切り分けてあなたへ割り当てるように頼むなんてことはするべきではありません。もしかしたら、切り分けもできるかもしれませんが、それは2人で一緒に決める必要があります — さらにそれは、パートナーの選択や夢を尊重したものであるべきです。でもわたしは、最も忙しいCEOでもカープールをするべきで、ランチを作ったり、宿題を手伝ったり、朝食や夕食を作ったり、また、学校の行事に参加するべきだと思っています。つけ加えると、わたしの妻は家庭を「マネージメント」する人が必要だったのではなく、わたしが「自分事」として日々の生活やイベントに参加することを必要としていました。家庭と繋がっているには、毎週家庭の生活に参加せずには不可能で、それはアウトソースできるものではありません。また、そうすることで人がなにを必要としているかが分かるようになるので、CEOとしても、よりいいCEOになれるのではないでしょうか。

ベンチャーキャピタル、スタートアップ、それ以外にも激しい起業の世界で白熱している議論があります。それは、「全てを手に入れるなんて不可能では?」や、「最高のCEOや創設者は、野心家で、熱狂的で、全てを犠牲にしても成功させる気概を持っているべきなのではないの?」といった内容です。あなたも、このような問題で苦しんでいるカップルを見たことがあるのではないでしょうか。ほぼ日常的にバランスが崩れ、どちらかが大きな犠牲を払っているようなカップルです。

歴史的に見て、シリコンバレーにおいてユニークなのは、初めてCEOを経験する年齢です。シリコンバレーのCEOは、歴史深い業界よりも10歳近く若いのです。わたしの観察では、20代のCEOでも会社を率いる準備が整い、知識もしっかりつけていますが、家族が大きくなりつつあり、それまで以上に手がかかる時期に、なぜ思うように物事進まないのか、理由を知らないことですごく損をしているようにも思います。理想的には、わたしが紹介した変化のポイントをもっと早い時期に身につけておけるといいでしょう。

わたしがこんなアドバイスをするのは、とても簡単です — 会社を売却したあとなのですから。現実には、わたしの家族の視点からみると、IronPortを成功させるために、少なくはない犠牲を払いました。それでも、わたしは希望にあふれています。これからの世代は、仕事と家庭の境目が薄い環境で育ち、今までのどんなときよりも人との繋がりを保つことができる新しいテクノロジーに慣れているので、「全ては手に入らない」世界を乗り越えていけるでしょう。

この記事の以前のバージョンa16z.comに投稿されました。

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Erika Ito

Product Designer at VMware Tanzu Labs (former Pivotal Labs) in Tokyo. Ex Medium Japan translator. | デザインに関すること、祖父の戦争体験記、個人的なことなど幅広く書いています😊