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東京のやさしさ。気持ちのいい睡眠のヒミツ。

Erika Ito
7 min readDec 12, 2015

by Snippets

「何週間か前、電車で寝てる人を見たんだよね。」

「そんなのよく見るよ。」

「うん、でもその男性は女の子の肩で眠ってたんだ。」

それも、見たことはある。

「女の子は携帯を見てたんだ。」彼は続けた。「パズドラでも遊んでたんじゃないかな、そのあいだ。男性は、静かな寝息を吸って吐いて。狭いスペースにちぢこまってたよ。」

彼はビールをグイッと流し込んだ。ジョッキの下の方で渦巻く記憶を見つめていた。そして続けた。

「僕は彼女を見て、彼を見た。2人は付き合ってるんだろうと思った。寄りかかって眠る肩があるって、いいことだって思い出したよ。」

「上向いて大口あけて、バカみたいに寝るよりはいいよね?」

「そうそう。でも、電車が池袋に着いたら、その男性が目を覚ましたんだ。それから女の子の方を向いてモゴモゴ「すいません」と謝って、電車を降りてったんだよ。女の子はお辞儀して、ちょっとだけ男性を見て、すぐにまた携帯で遊び始めた。」

「付き合ってなかったの?」

彼は首を横に振った。

「付き合ってなかった。」

そばを酔っ払った観光客が歩いて行った。1人が歌い、そのほかは笑っていた。僕たちも笑顔で手を振り、僕は待った。

「その瞬間、」彼は続けた。「6年間も東京にいて、こんないい機会を見逃していたなんて。と思ったんだ。」

「この話って、僕が思うような方向に進んでないよね?」

彼は肩をすくめた。

「それで次の週、僕は試してみたんだ。優しそうな人の横に座って、電車が走り始めたらあくびをして、眠るフリをした。電車の揺れに合わせて体をゆらし、ゆっくりと隣の人の肩に寄りかかった。」

「それで?」

「だいたい、うまくいったよ。ほとんどの人がそのまま座ってた。日本特有のことなのかな、わかんないけど、たいてい寄りかかられている方は重さに合わせてちょっとだけ体制を変えて、それからまた本を読み始めたり、携帯をいじったり、新聞を読み始めるんだ。」

僕は電車で眠る人を見たときのことを思い出した。彼らが僕の肩によりかかってくるところを想像した。僕はどうするだろう。なんて言うだろう。

そのままにするか、何か言うか。どちらかだったら多分なにか言うだろうと思った。

なにを言おうか。思いつかなかった。

「どのくらい成功したの?」

「多分、60%くらい。でも、失敗しても、押し返されるだけだよ。一度、右にも左にも寄りかかったこともあったな。すごく気持ちよかった。」

「暗い地下鉄にあふれる優しさだね。」

「通勤する人の肩の上でね。」

面と向かって話しかけることはできないのに、肩を借りて眠ることはできる。これって、なんなんだろう。疲労の共有?もしかすると、救いを求める叫びなのかな — なにも言わなくても伝わり、駅と駅のあいだだけ許されるような。

「でも、なんでそんなこと続けるの?」

「僕、あんまり出歩かないじゃん。彼女もいない。ずっといない。友達を作るのも得意じゃない。仕事も家だし、いつも一人なんだ。人と繋がりたかったのかな。愛情とかさ。人の温もりをこっそり盗んでたんだ。重くないし。約束も必要ない。ある駅で始まって、次の駅で終わる付き合い。失恋も別れもなく、少しだけ温もりを共有する瞬間。」

僕はその言葉の余韻に浸った。揺り動かされた。言ってることはわかったが、どこかしっくりこなかった。へんてこに色づけされた絵画のカラーパレットを、一つ一つ直すような気持ちだった。

選んだ色が悪いんじゃない。問題はそれよりもっと深かった。

「でも少し経つと、」と彼は言った。「本当に眠りに落ちるようになったんだ。目を閉じて、隣に寄りかかると、うとうとする。」

「僕はそんなこと出来ないな。電車でしょ?羨ましいと思っちゃうくらいだ。」

「よかったよ。混んでる電車に、幸せのスポットができたみたいなんだ。人とのつながり。つかの間の平穏。重さのない付き合い。」

「そんなの嘘みたいだよ。」

「それが、あったんだ。」

僕は、なにも言えなかった。

「そういえば、」

「僕は睡眠障害だったんだ。マットの上では、その幸せスポットを見つけられなかった。枕は柔らかすぎるし。毛布には息を塞がれる。夜中に何度も目がさめるんだ。朝はひどい気分で、ムカムカしながら起き上がる。」

「それでどうなったの?」

「仕事がうまくいかなくなった。集中できなかったんだ。それから、もっと電車に乗るようになった。ずっとたくさん。山手線を一周、多い時は二周して、できるだけ隣の人からいい睡眠を吸い取って、動く気力を保とうとした。」

悪い習慣が雪だるま式に大きくなるのは、面白い。見落としてしまうような、髪の毛みたいなひび割れが、知らないうちに窓ガラスが割れるような亀裂になって、気がつくと飛行機は落ちている。

「ある日、髭も剃らず、やつれた僕は、高田馬場から上野まで、プラダの鞄を持った中年女性の肩で眠っていた。そのとき、昔飼っていたスプークスという犬を広場で探している夢を見ていた。そうしたら、The ByrdsのTurn, Turn, Turnが聞こえてきた。何年も、いや、何十年も聞いてなかったのに。」

「そんなことあるんだね。僕は夢のなかで音楽なんか聞いたことないよ。」

「それがさ、上野で起きたとき、彼女だって気づいたんだ。隣の女性。彼女がThe Byrdsを口ずさんでいたんだよ。それで、彼女は僕を見て休んだほうがいいって言ったんだ。僕は、ああ、そうだと思うと答えた。彼女は、誰でも疲れちゃうことはあるのよ、と言って笑った。」

僕は続きを待った。彼はどうやって言葉にするか考えていた。

「彼女は、僕が息子に似ていると言った。その息子はプログラマーだった。僕のように。彼女は、息子が一緒に住んでいること、帰りが遅くなるときがあること、たまに会社で眠るときもあると言った。家では鳥を買っていること。それがオウムだということ。息子がそのオウムにThe Byrdsの歌を教えたことを話した。面白いなと思ったよ。僕は彼女の話を聞いた。それから、今息子さんはどこにいるの?なにしてるの?と聞いた。」

「彼女はなんて言ったの?」

「こっちを見て、悲しそうに笑うと、ここで降りるわ、と言った。それで行っちゃったんだ。」

「へえ」

「その日はずっとその会話について考えちゃったよ。あの表情が頭から離れなかったんだ。あの目。痛みと喪失感と優しさで色づけされた絵画のようだった。その夜は、赤ちゃんみたいに眠れたよ。」

「その後、彼女には会ったの?」

彼は首を横に振った。

「実は、自転車を買ったんだ。最近はもう電車に乗らないようにしてる。だって…」彼は間をおいた。「そのほうが健康的だろ?」

彼は、空になったビールのジョッキを見つめていた。話したよりもずっと多くのことが、頭の中で渦巻いていることを、彼の目が物語っていた。言葉にできない感覚や感情だろう。

彼の試みでは、彼が人の温もりを吸いとっていたのか、それとも人が彼の温もりを盗んだのか、どちらなのだろう。この場合の、ギブアンドテイクの比率が気になった。

彼が色付けした、へんてこな絵画も、どこかでバランスが取れていたのだろうか?

ジョッキを持ち上げた。空だ。

「もう一杯いく?」

彼はうなずいた。

「もう一杯。」

多分、その答えはいつまでも見つからないだろう。

The Byronの音楽

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Erika Ito

Product Designer at VMware Tanzu Labs (former Pivotal Labs) in Tokyo. Ex Medium Japan translator. | デザインに関すること、祖父の戦争体験記、個人的なことなど幅広く書いています😊