学び、考え、伝え、意味をつくる

> ファインマンは「意味をつくりだそうとすること」が「考えること」であり、そのことを伝えようとすることが「教育」や「学習」であると確信する。
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284夜『ご冗談でしょう、ファインマンさん』リチャード・ファインマン|松岡正剛の千夜千冊
http://highlite.jp/quotes/5993

エンターテイメント以上に、学びを得たいと思う。これは自分が正しく実践できていると言うことではなく、そうありたいと思う、という話だ。

自分がなぜそう志向するのだろうと考えた時に、上の言葉はヒントを与えてくれる。

僕は昔から考えることが好きで、何かと思いに耽っていた。とは言え大層な話ではなくて、考えなくても良いような瑣末ことや、単なる夢想や、何気なく気になって考え始めたことなど。夜が更けても続くので、寝付きの悪さに拍車がかかる。

様々な思いつきに対して、自分なりの解釈を加えていって、「どういう事なのか」を考え続ける。とは言えそれが事実や真実であると決め付けるでもなく、その時考えたことの結果として、自分なりに世界を捉えていた。

このプロセスは確かに「意味をつくりだそうとすること」だと思う。そして何かを考えるという行為は、何かを生みだし、何かに繋げたいという想いの始まりだ。

なぜそれをするかは分からないけれど、人は何かを生みださずにはいられないし、生みだすことは楽しいことだ。楽しいから、やりたくなる。

生みだすことは純粋に楽しいことだけど、その生みだされたものが人々に受け入れられるかは、また別の話になってくる。

個人の頭のなかで完結している限り、大抵のことは整合性を保っている。だけど一度外に出そうとした途端、色々な細部が露呈して、不完全であることを思い知ることになる。

例えばこうして今、思い付いたことを書き進めるだけでも、頭のなかから出す時点で壁があって、また考えながら、戸惑いながら言葉に変えていく必要がある。頭のなかの曖昧な考えを、文章は許容しない。

けれども伝える努力をすることで、初めて価値へと変わり始めるのだと思う。アイデアには価値がないが、その実現に価値があることのように。

そして、この価値ある意味を生みだすためには、学習が必要だ。より多くの人に価値が伝わるように努力し、行動し、結果から学び、自分だけでなく周囲の情報からも学びを得ようとして、少しづつ先へ進む。

このプロセス全体が考えることと、学ぶことと、伝えることの関係性を作り上げるのだと思う。

Startupのプロセスは、今までにない意味をつくりだそうとすることに他ならない。だからこそ学び続けて、考え続けて、伝え続ける必要がある。

そう考えると、自分がなぜ今ここにいて、今行っていることを行っているのか、それが分かる気がする。

学ぶ、考える、伝える。学ぶ、考える、伝える。このプロセスは苦しみも伴うけれど、やはりとても楽しい行為なのだ。