京極夏彦『書楼弔堂 破曉』:記録から記憶を織り上げ、歴史の一点から虚構の言葉を立ち上げる

京極夏彦の『書楼弔堂 破曉』は、記録に残された歴史の一点から鮮やかに虚構の世界を立ち上げ、「本」という存在、その意味に向き合う小説です。歴史上の人物を物語に登場させ、その話し方や考え方は作者の筆によるものなのですが、政や戦といった観点で描く物語とは異なり、日常の言葉が飛び交う様子を切り取った描写が新鮮であり、ひと味違う時代小説として楽しむことができます。
舞台は明治維新後の日本です。文化も政治も、そして人々の営みも大きく変わったようでありながら、江戸以前のものが強く残る時代。その混沌の中で生き方に迷う人々が、引き寄せられるようにたどり着くのが一軒の書肆(本屋)です。物語は、書肆を訪れた客と主との会話、そして見届け人のような語り手の言葉で構成されます。次から次へと交わされる言葉に引き込まれ、圧倒的な量の本や暗がりでゆらゆらと揺れる灯りの中で自らもその会話に立ち会っているかのような気にすらなりました。会話が進むと、やがてささやかな変化が生まれ、それは再び歴史の一点に吸い込まれていきます。

「破曉」とは「曉(アカツキ)を破る」、すなわち夜明けを迎えるということでしょうか。明治より前が「夜」というわけではないのでしょうが、政治のシステムが変わり、次第に人々の生活も変化してくると、新旧の価値観に挟まれて揺らぐ人々も多かったのだろうと思います。この物語では、本との出会いこそが次の一歩を踏み出す契機となります。膨大な言葉の奔流とともに、「その人に読まれるべき本」の存在が、人々の背中を押す。
単行本の表紙を飾る月岡芳年の「幽霊之図うぶめ」は、霞んで今にも消え入りそうで、その後ろ姿からは怖さよりも切ない気持ちが呼び起こされます。その絵を太田記念美術館で観たときも、その儚い雰囲気にしばし言葉を失い、その前から離れられませんでした。そして、表紙に加えて、目次や奥付に使われている明朝体が目を引きます。どこにでもあるようで、大きさや位置を徹底的に設計(デザイン)された明朝体の文字は、強烈な存在感を放ち、他の書体では出し得ない味わいを生みます。本というものが背負う意味の大きさが、この本に印刷された文字のすべてから感じられます。
