ら抜き

自分は使わないと思っていても使っているらしい


(2006年3月16日執筆)

学会で面白い話を聞いた。

いわゆる「ら抜き言葉」というのがある。「見られる」を「見れる」、「来られる」を「来れる」、「食べられる」を「食べれる」と言うやつである。たいてい「いまどきの若者は」という修飾語が付き、年配者から良い顔をされない言葉づかいの代表格である。

私は「ら抜き言葉」を使ってはいけないとも誤用だとも思わない。言葉はそもそも変化するものであり、皆が不自然だと感じなくなれば、文法的におかしい、教科書には載っていない、と言ってみたところで仕方がない。「面白かったです」も「~のほう」も「微妙」も同様である。美しい日本語、という観点からは望ましくないのかもしれないが、使いたい人は使えばよく、使いたくなければ使わなければよい。ちなみに私自身は「ら抜き言葉」も「のほう」も「微妙」も嫌いだから自分では使わないし、使っているのを聞くのも嫌だが、それはあくまでも個人的な感情の問題に過ぎないと思う。


面白い話というのは、その「ら抜き言葉」に関して、実際に様々な世代の人々から膨大な量を収集した話し言葉のコーパス(音声データの集合)を調査したところ、若い世代ほど使う割合が多いのは意識調査の結果と符合するが、使う人の割合が50%を超える世代の分岐点が、意識調査と大きくずれるらしい。

具体的には、「あなたはら抜き言葉を使いますか?」という質問に対して「使う」と答える人が半分を超えるのは、1970年代生まれ以降の世代であるらしいが、実際に喋っている音声データを調べてみると、1940年代生まれでも約半分を超えているというのである。これは要するに、「ら抜き言葉なんてけしからん」と心の中では思っていても、実は無意識に使ってしまっている人が年配者にも多いことを意味する。

スーパーの店員がレジで「のほう」を連発するのを聞いたり、学生に「調子はどう?」と尋ねると「うーん、微妙ですね。」などという返事が返って来たりすると無性に腹が立つが、実は無意識に自分のほうでも使っているのかもしれない。うーん、微妙である。

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