弘文洞

養老渓谷にある崩れた洞窟の話


(2007年2月5日初出)

房総半島内陸部の観光スポット、養老渓谷にある「弘文洞」の話。

説明するよりも、現地にある看板の写真を載せるのがてっとり早い。これは2004年3月に撮った写真。

「耕地を開拓するために川まわしして作った隧道」と言われても、何のことだか分からないかもしれない。しかし、地理学の知識を少しだけ習得すると容易に理解できる。要するにこうだ。山中には耕地として使える土地が少ない。そこで、蛇行している川を途中でショートカットする土木工事を行う。すると、水はショートカット部を通るようになり、もともと川が流れていたところは、まず池(地理用語では三日月湖)に、やがて湿地になる。そこを耕地として使う。こういうことが江戸時代以前から行われていたのである。昔の人々は賢かった。

実は、房総半島中部には、このように蛇行した川が人工的に、あるいは自然にショートカットされた跡が多く残っている。次の写真は、大多喜町葛藤集落付近に残る川の流れの跡。

地形が巨大すぎてちょっと分かりにくいが、手前から右奥に向かって、かつて川が流れていた谷(いまは耕地)が延びている。これは地形図の上で発見し、わざわざ現地に調査に行ったときに撮った。


さて、話を元に戻すと、140年前に人工的に川をショートカットするために掘った隧道(トンネル)は、やがて「弘文洞」として知られる観光名所になった。当時はこの洞窟の写真が千葉の観光ガイドブックなどには必ず載っていた。残念ながら、「洞」の状態を見に行く機会を得ることはなかったのだが、看板の説明には「一大音響とともに崩壊」した事故が昭和54年(1979年)5月24日に起きた、とある。その3か月後に、小学生だった私が撮った写真がこれ。

崩壊の跡が生々しく残っているのが分かる。そして、それから25年後の2004年3月の弘文洞がこれ。

比較するには少々難があるが、いまや上部は完全に垂直になり、自然地形と言われてもおかしくない状態になっている。

私の中では、1979年の崩壊事故はそれなりに大きなニュースだったような記憶があるのだが、いまWebで検索しても崩壊したという史実が淡々と記録されているだけなので、新聞の千葉県版にひっそりと載った記事を読んだだけなのかもしれない。それにしても、「一大音響」とは気になる表現である。地理学と音響学がつながる瞬間かも。

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