理系における国語の重要性
文系科学者の戯言
電子化の話をブログに書いてみたり、「ディジタル処理」という変てこな名の授業を担当したりしている割に、本当の私自身はどちらかというとアナログ人間である。さらには、理工系の大学で教鞭をとってみたり、工学系の研究をしたりしている割に、本当の私自身はどちらかというと文系人間である。
と、言い切ってしまってもよいのだが、言った途端に矛盾が生じるのでそれはやめにして、本当の私自身はアナログとディジタルの複合人間であり、理系と文系の複合人間であるらしい。その証拠に、たとえば本屋における私の行動を陰から観察してみるとよい。仕事場の近くに巨大な本屋があり、昼食後の散歩代わりによくうろうろするのだが、特に目当てがない場合はたいてい次のような行動をする。
2F: 文芸新刊 → 音楽雑誌 → ビジネス雑誌 → 児童 → 語学 → 旅行。
3F: 医学雑誌 → 数学 → 電子 → 哲学 → 歴史 → コンピュータ → 芸術 → 楽譜 → 文房具。
順序に脈絡がないのは、この本屋の書架の並び方によるもので、特に意味はないが、この逆順に回ることはあまりない。いずれにせよ、数学書と哲学書とコンピュータ雑誌と楽譜を同時に3Fのレジに持っていくことなどがよくある。考えてみれば、特に最近そういう行動をとるようになったわけではない。小学生の頃、一番好きな科目は音楽で、次が国語、次が理科だった。
だから、というわけでもないのだが、理工系の大学だから数学と理科が得意でないと、という考えにはどうも賛成しかねる。最近は、大学入試で課せられる科目が3科目や2科目と少なくなった。我が大学の入試も例外でなく、数学と英語と理科という3科目受験が標準的である。信じられないことに、国語は必須ではない。
知識や能力の有無だけを測るのならば、数学と英語と理科で一向に差し支えないが、人間としての感性や生き方や常識のセンスを見るには何と言っても国語でしょう。それに、国語の成績がよい学生は、数学の応用問題も解けるし、コンピュータのプログラムも上手に書けるし、就職活動での面接も難なくこなせることが多い。仮に将来、いまよりももっと入試が簡単になって1科目だけで受験できるようになるのならば、国語の試験を課すべきだと思う。
そうでもしない限り、私が歴史書のコーナーで立ち読みをしているところに遭遇したときに、「あれ、先生どうしてこんなところにいるんですか?」と、まるで理工系大学の教員は歴史に興味を持ってはいけないと言わんばかりの偏見を持った人は減らないと思う。別に私が誰に何と思われようと構わないのですが。
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